7-5. 技術提携でノウハウ料を取られる。しかし、受け入れる会社の経営の質によっても導入の成否が決まるのだから、成功させた会社は経営指導料をもらってもいいのではないか。
松下電器産業創立者 松下幸之助
戦後の日本産業界は、海外で開発された技術を、使用料を払って使わせてもらって力をつけてきた。
そして、輸入した技術を独自の工夫で改良し、さらに新しい機能を付加し、特許を持っている元祖企業の品質を上回る高品質・高付加価値製品に仕上げることで、逆に海外に輸出して外貨を稼いできた。日本産業界は、研究開発・技術開発力の弱さを、生産技術を磨くことによって、カバーしてきたのである。
こうした日本の生産技術を、世界に認めさせたエピソードがある。それは、世界の産業界をアッと言わせた、フィリップ社との契約における松下幸之助の「経営指導料」請求である。
昭和27年のことである。
松下電器は、外国の家電製品の技術を導入するに際して、いくつかの候補企業を選定していた。調べてゆくと、国情や会社の性格からオランダのフィリップス社がいいということになり、提携の話を進めた。
ところが大きな問題が起こった。技術援助料が高いのである。
アメリカの会社なら売り上げの3パーセントで済むところを、フィリップス社は7パーセントも出せと言ってきた。フィリップス社側の言い分としては、アメリカの会社と提携しても成功しないが、フィリップス社と提携すれば必ず成功すると言うのである。
どうするか・・・。
ここからが松下幸之助の真骨頂である。松下幸之助はこう考えたのである。
アメリカの技術もフィリップス社の技術も、技術自体に大きな差はない。にもかかわらず、それだけ値段の差があるということは、技術以外の面、すなわちその技術をいかにして活用し成果を上げてゆくか、といった面が違うのだろう。
そこまで考えて、松下幸之助は、
と考えた。
学校でも、先生が上手に教えても十分に理解できない生徒もいれば、あまり手をかけずとも理解する生徒もいる。
「フィリップス社は、いわば先生が良いから7パーセントのコミッションをよこせと言っているのに等しい。しかし、これは生徒の側を無視した言い分ではないだろうか」と考えたのである。
そこで松下は、フィリップス社にこう言ったのである。
フィリップス社は驚いた。そんな経営指導料など聞いたこともなかったからである。
交渉の場ではさまざまな反対意見が出たが、松下幸之助の主張どおり、フィリップス社の技術援助料4.5パーセント、松下電器の経営指導料3パーセントで合意しておさまったのである。差し引き技術援助料は1.5パーセントである。
反響は大きかった。
松下は転んでもただで起きないとか、よくあんな悪知恵が出るもんだとの声も聞かれたが、しかしどれも、松下幸之助の発想のみごとさを嫉妬するような印象しか与えなかった。経営指導料とはよくぞ考えついたものである。
それにもまして周囲が驚いたのは、それをあの百戦錬磨のフィリップス社に納得させてしまった松下幸之助の不思議な力であった。