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横浜の洋館・建造物

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1859年の開港以来、横浜港は生糸貿易で日本の近代化を支えてきました。生糸商人たちが活躍した時代を感じさせてくれるのが洋館です。明治-大正-昭和の時代に作られた横浜の洋館をご紹介…
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025.横浜貿易協会ビル・海洋会館ビル

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物018/みなと地区≫ *大桟橋入り口交差点に面して…

梶文彦
10か月前
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060.外交官の家

■明治の外交官の暮らしぶりがわかる JR石川町駅の駅を西に降りて山手を見上げると、カラフ…

梶文彦
1か月前
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横浜の洋館・建造物<サイトマップ>

横浜の洋館・建造物 サイトマップ  1859年の開港以来、横浜港は生糸貿易を中心に取引は急速…

梶文彦
1か月前
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055.山手89-6番館(えの木てい)

 ■山手本通りのパティスリーは震災復興賃貸住宅 元町公園を登ると、エリスマン邸があり山手…

梶文彦
1か月前
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044.旧ポートトレインD51と転車台

■憧れのハワイ航路――ボート・トレイン  新港に鉄道が延長された際に新港埠頭4号岸壁の脇に…

梶文彦
1か月前
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026.昭和ビル(旧カスタム・ブローカービル)

 日本大通を横浜公園から海岸のほうに歩いてきて、県庁舎の裏、海岸通りとの交差点を左折して…

梶文彦
1か月前
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043.旧横浜港駅・旧横浜港税関跡遺構

 ■埠頭に鉄道――最新の港湾施設が完成  開港以来、生糸をはじめ輸出入の需要が増えて荷扱いが膨大になり、鉄桟橋=大桟橋を作りましたが、1本の桟橋では荷扱い量に限度があり、H.S.パーマーにより港湾の整備計画が作られ、その結果、新港が作られることになりました。  新港計画は、明治32(1899)年に工事が着工され、赤レンガ倉庫のある地区が埋め立てられ、明治38(1905)年、新港埠頭の第一期工事が完成しました。    赤レンガ倉庫は明治44年(1911)年に完成し、埠頭に乗り入

053.山手111番館(旧ラフィン邸)

■明るいスパニッシュスタイルの洋館 山手111番館は、大正15(1926)年に建てられた、噴水を挟…

梶文彦
4か月前
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042.汽車道、港一号、二号、三号橋梁

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物041/みなとみらい・新港地区周辺≫ *いま汽車道…

梶文彦
10か月前
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040.ドックヤードガーデン(横浜船渠2号ドック)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物040/みなとみらい・新港地区周辺≫  *2号ドッ…

梶文彦
10か月前
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039.旧横浜船渠(前三菱重工業横浜造船所)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物038/みなとみらい・新港地区周辺≫ *大正11年の…

梶文彦
10か月前
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031.横浜情報文化センター(旧横浜商工会議所)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物027/日本大通り≫ *神奈川県庁舎の前から見た全…

梶文彦
10か月前
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059.山手234番館

 ■日本人設計の暖炉付きの震災復興洋館アパート  港の見える丘から歩いていくと、横浜山手…

梶文彦
3か月前
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058.ベーリック・ホール

■公邸も兼ねた?スペイン風の大きな洋館 一見して、みたことがあるような既視感にとらわれそうな建物だ。日本人が洋館をイメージしたときに、思い浮かべそうな建物ということかもしれない。前庭が広く、余裕の感じられるゆったり作られた建物も外国をイメージさせるのだろう。 前面の、上部が円形になった3連のアーチや玄関ポーチのデザインは、山手111番館とそっくりなスパニッシュスタイルで、アメリカ出身のJ.H.モーガンによるものだ。日陰で見にくいが軒下のタイルの装飾も特徴的で、2階の窓を挟んで