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ラメント・バスの系譜④:バルバラ・ストロッツィ

この素晴らしい芸術における多くの師匠方に啓発され(とりわけフランチェスコ・カヴァッリ氏、今世紀の最有名人の一人にして、私の幼少時からの親切な教師)、私は二番目の労作を世に送り出しました、

Barbara Strozzi, Cantate, ariette, e duetti, Op. 2 (1651).

フランチェスコ・カヴァッリの弟子の一人に、有名な女流作曲家のバルバラ・ストロッツィ(1619-1677)がいます。女性の歌手や演奏家は当時も珍しくありませんでしたが、作曲と楽譜出版を生業とした女性というのは、おそらく彼女が最初でしょう。

バルバラ・ストロッツィは、ヴェネツィアの詩人ジュリオ・ストロッツィと使用人のイザベラ・ガルツォーニの間にできた私生児で、養子として引き取られる前はバルバラ・ヴァレという名でした(おそらくヴァレは母の旧姓)。ちなみにジュリオ自身も私生児です。

Giulio Strozzi (17th century copy, after Bernardo Strozzi 1635).

ジュリオ・ストロッツィは初期のオペラの台本の作家として知られ、モンテヴェルディらのオペラの台本をいくつも手掛けていますが、生憎その多くは音楽が残っていません。

Proserpina rapita (1630, reprinted 1644).

そして彼は Accademia degli Incogniti(未知の学会)の主要人物の一人でした。

この胡乱な名前の組織は、1630年にヴェネツィア貴族の文学者ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロレダーノによって創設された、懐疑的で自由主義的な文人サロンです。そこで討論されるテーマは、肉体と魂の関係といった哲学的な問題から、芸術論、恋愛論、はてはチーズの試食まで、多岐にわたっていました。

この「学会」には、17世紀半ばのヴェネツィアの主要な知識人の大半が所属していて、とりわけヴェネツィアのオペラの黎明期を支えたのは、ここのメンバーだったのです。

しかしながら、この組織は飽くまでも文学者のものであり、音楽家は参加が認められていませんでした。そこでジュリオ・ストロッツィは1637年に音楽専門の下位組織、Accademia degli Unisoni(調和の学会)を創設しました。

もっとも、これは実質的にはストロッツィ邸に集まってバルバラの歌を聴く会であったようです。バルバラは少なくとも1634年、15歳の頃から「インコニティ」の集会で非公式に歌を披露していましたが、それが余興に収まらなくなってきたのでしょう。彼女は「ウニーゾニ」の会員ではなく「女主人」として、集会で皆にお題を出したり、賞を与えていたりしていたことが記録されています。

Barbara Strozzi? (Bernardo Strozzi c.1640).
https://skd-online-collection.skd.museum/Details/Index/408640

バルバラ・ストロッツィの肖像として知られている、このベルナルド・ストロッツィ(縁戚に非ず)による肖像画が、本当にバルバラを描いたものなのかは定かではありません。大した根拠があるわけでもなく、また10代のバルバラを描いたにしては少々老けすぎに見えます。

女性はヴィオラ・ダ・ガンバを手にし、脇には通奏低音付きの二重唱らしき楽譜とヴァイオリンが置かれています。彼女は演奏に誘っているように見えますが、さて、この取り合わせでどうしたものでしょう。

それはともかく、その装いがヴェネツィア名物の高級娼婦(コルティジャーナ)を想起させることが色々と物議を醸しているわけです。実際当時バルバラを売女呼ばわりする中傷もあったのですが、それに対しアカデミアの彼女の支持者たちが有り余る筆力をもって反撃したりしています。



バルバラ・ストロッツィは全部で8つの曲集を出版しました。これは17世紀の作曲家としては最多の部類に入ります。ただし「作品4」は現存せず、その痕跡すら無いので、出版業者がナンバリングを間違えて「作品5」として出してしまったのではないかという説もあります。

最初の曲集『Il Primo Libro de Madrigali』(1644)は、ポリフォニックなマドリガーレ集ですが、これは彼女としては例外的なもので、その後出版された作品の大半はソプラノ主体のアリアやカンタータです。これらはおそらくアカデミアで作曲者自身によって歌われたものなのでしょう。作詞者には父ジュリオをはじめとするアカデミアの文士たちが名を連ねています。

バルバラ・ストロッツィはオペラを手掛けることはありませんでしたが、彼女のカンタータは、レチタティーボやアリオーソとアリアを組み合わせた簡易オペラとでもいうような作品です。そしてカヴァッリの薫陶を受けた彼女のこと、ラメント・バスが常套的に用いられています。

《Il Lamento》

『Cantate, ariette, e duetti, Op. 2』(1651)収録の、ソプラノ独唱のためのカンタータ《Il Lamento》は、サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼの亡霊がルイ13世に語りかけるという異色のシチュエーション。

Henri Coiffier-Ruzé d'Effiat, marquis de Cinq-Mars (Anonymous, 17th century).

サン=マール侯爵は若くしてリシュリュー枢機卿に取り立てられ、ルイ13世の小姓となった人物で、王の寵愛を受けて出世していくも、スペインと内通してリシュリューを失脚させようと計画していたことが露見し、1642年9月12日にリヨンで処刑されました。享年22歳。

ここではサン=マール侯爵とルイ13世の間に同性愛関係が噂されていたということを知っておけば十分でしょう。

Sul Rodano severo
giace tronco infelice
di Francia il gran scudiero,
e s'al corpo non lice
tornar di ossequio pieno
all'amato Parigi,
con la fredd'ombra almeno
il dolente garzon segue Luigi.

無慈悲なるローヌの岸辺にて
臥せるは無惨な屍
フランスの主馬頭なり
その肉体が葬礼をもって
パリに帰ること能わずば
せめて冷たき亡霊として
哀しき小姓はルイを追う

Enrico il bei, quasi annebbiato sole,
delle guance vezzose
cangiò le rose in pallide viole
e di funeste brine
macchiò l'oro del crine.
Lividi gl'occhi son, la tocca langue,
e sul latte del sen diluvia il sangue.

麗しきアンリは、日の翳るが如く
その魅惑の頬を
薔薇より菫に変じ
彼の金色の髪は
死の霜に染まる
その目は濁り、顎は弛み
乳色の胸に鮮血は流れる

Oh Dio, per qual cagione
par che l'ombra gli dica
sei frettoloso andato
a dichiarar un perfido, un fellone,
quel servo a te sì grato,
mentre, franzese Augusto,
di meritar procuri
il titolo di giusto?
Tu, se 'l mio fallo di gastigo è degno,
ohimè, ch'insieme insieme
dell' invidia che freme
vittima mi sacrifichi allo sdegno.

おお、神よ、何故に
(亡霊は問う)
かくも急かれたか
あなたの最愛の従者は宣告された
反逆者なり罪人なりと
しかるにフランス王は
正義の称号を得るに
相応しくあるか
よし私が断罪に値するとて
然り、あなたもまた、あなたもまた
震える嫉妬の
怒りの犠牲に私を捧げたのではないか

Non mi chiamo innocente:
purtroppo errai, purtroppo
ho me stesso tradito
a creder all'invito
di fortuna ridente.

我が身は潔白とは言うまい
遺憾にして違えり、遺憾にして
自らを裏切り
運命の微笑みの
誘いに乗った

Grand'aura di favori
rea la memoria fece
di così stolti errori,
un nembo dell'obblio
fu la cagion del precipizio mio.

大いなる寵愛の後光が
かくも大きな過ちの
記憶を覆い隠した
忘却の霧
それが転落の元

Ma che dic'io? Tu, Sire - ah, chi nol vede?
tu sol, credendo troppo alla mia fede,
m'hai fatto in regia corte
bersaglio dell'invidia e reo di morte.

だが何をか言わんや、陛下、知らぬものがあろうか
あなたが私の忠誠のみを信じ
私を宮廷の妬みの的とし
死を宣告させたのだと

Mentre al devoto collo
tu mi stendevi quel cortese braccio,
allor mi davi il crollo,
allor tu m'apprestavi il ferro e 'l laccio.
Quando meco godevi
di trastullarti in solazzevol gioco,
allor l'esca accendevi
di mine cortigiane al chiuso foco.
Quella palla volante
che percoteva il tuo col braccio mio
dovea pur dirmi, oh Dio,
mia fortuna incostante.

捧げたる私の首筋に
あなたは慇懃に腕を伸ばし
私に破滅を賜った
私に鉄と縄を賜った
私と戯れたとき
遊戯に興じたとき
あなたは火口に火をつけた
廷臣らの炎の鉱脈に
あなたと私に打たれ
宙を舞う球は
告げていたのだ、神よ
運命の軽佻を

Quando meco gioivi
di seguir cervo fuggitivo, allora
l'animal innocente
dai cani lacerato
figurava il mio stato,
esposto ai morsi di accanita gente.
Non condanno il mio re, no, d'altro errore
che di soverchio amore.

逃げる鹿を追い
共に楽しめるとき
犬に引き裂かれた
罪無き獣は
啓示していたのだ
獰猛な人々に噛まれる私の姿を
私は王に対し何ら罪は無い
過大な愛の他には

Di cinque macche illustri
notato era il mio nome,
ma degli emoli miei l'insidie industri
hanno di traditrice alla mia testa
data la marca sesta.

五つの印(Cinq-Mars)によって
我が名は知られていた
しかし私の敵は
それに六番目を付け加えた
裏切り者と

Ha l'invidia voluto
che, se colpevol sono,
escluso dal perdono
estinto ancora immantinente io cada;
col mio sangue ha saputo
de' suoi trionfi imporporar la strada.

嫉妬の望みは
私が罪有りとなれば
赦しに与らず
遅滞なく死ぬこと
その血をもって
勝利の道を紫に染める

Nella grazia del mio re
mentre in su troppo men vo,
di venir dietro al mio pie'
la fortuna si stancò,
Onde ho provato, ahi lasso,
come dal tutto al niente è un breve passo.

王の寵愛を享受する間に
あまり高く上り
歩きつめた私の足は
運命を踏み外した
ああ、そして私は知ったのだ
全から無へは一跳びでしかないと

Luigi, a queste note
di voce che perdon supplice chiede,
timoroso si scuote
e del morto garzon la faccia vede.
Mentre il re col suo pianto
delle sue frette il pentimento accenna
tremò parigi e torbidossi Senna.

ルイは許しを請う
この声を聴きて
恐怖に震え
死せる従者の顔を見つめたり
王は涙と共に
己が短慮を悔い
パリは震え、セーヌは濁れる

全体としても Lamento と題されている本作の中心となるのは、やや変形したヘ短調のラメント・バスによるアリア "Mentre al devoto collo" 。処刑の間際に走馬灯を見るかのような哀歌です。

このアリアには、3声部の "Ritornello adagio" が付属します。これに楽器の指定などはありませんが、ラメントのセオリーからいって弦楽器で演奏されるものでしょう。カヴァッリのオペラに見られる Lament con Violini というのも、このような演奏を指示しているのだと思われます。

《Che si può fare》

バルバラ・ストロッツィの作品の中でも、現代において殊に人気が高いのが『Arie, Op. 8』(1664)収録の《何ができようか Che si può fare》

これもソプラノ独唱のためのカンタータなのですが、いきなりラメントで始まるという変わった構成で、おそらく人気の理由もそこにあるような気がします。ホ短調の下降テトラコードのオスティナート・バスに乗せて、東洋的ともいえる暗く陶酔的な旋律を歌い上げる、孤高の歌姫に相応しい傑作。

その歌詞は、これも例によって恋の苦悩を訴えるものなのでしょうが、甚だ衒学的で晦渋で、視点が男なのか女なのかも判然としません。とりあえず苦悩していることだけはわかりますが。

Che si può fare?
Le stelle rubelle
Non hanno pietà.
Che s'el cielo non dà
Un influsso di pace al mio penare,
Che si può fare?

何ができようか
紅き星に
慈悲は無く
もし天が
我が苦痛を和らげることなくば
何ができようか

Che si può dire?
Da gl'astri disastri
Mi piovano ogn'hor;
Che le perfido amor
Un respiro diniega al mio martire,
Che si può dire?

何を言えようか
災厄の星々は
雨を降らせて止まず
不実な愛が
我が苦悩を休ませることなくば
何を言えようか

Così va rio destin forte tiranna,
Gl'innocenti condanna:
Così l'oro più fido
Di costanza e di fè, lasso conviene,
lo raffini d'ogn'hor fuoco di pene.

かく運命は無情なる猛き暴君にして
罪無き者を断罪す
かく貞操と信義の
真正なる黄金は
苦難の火の中で精錬さるべし

Sì, sì, penar deggio,
Sì, che darei sospiri,
Deggio trarne i respiri.
In aspri guai per eternarmi
Il ciel niega mia sorte
Al periodo vital
Punto di morte.

然り、然り、苦しむべし
然り、嘆息せん
それによりて息づくべし
試練に終わりなきよう
天は我が運命を蔑する
命の終焉で
死の先端で

Voi spirti dannati
Ne sete beati
S'ogni eumenide ria
Sol' è intenta a crucciar l'anima mia.
Se sono sparite
Le furie di Dite,
Voi ne gl'elisi eterni
I dì trahete io coverò gl'inferni.

呪われし霊たちよ
祝福あれ
あまねく残酷なエウメニデスは
我が魂を悩ますことの他を知らざれば
ハデスの憤怒が
消え去りて
汝がエリュシオンの野に遊ぶ時
我は地獄で朽ち果てよう

Così avvien a chi tocca
Calcar l'orme d'un cieco,
Al fin trabocca.

かく盲人の足跡を
踏み行くものは皆
終には倒れ伏すべし

この曲もモンテヴェルディの《ニンフの嘆き》に劣らず、バロック音楽の枠を超えて盛んに演奏録音が行われています。しかし大抵は最初のラメントだけが演じられ、続くアリオーソ等は省かれるのが常。幸い歌詞内容的には、そこで切り取っても特に問題は無いですが。先の "Mentre al devoto collo" などは、それだけを取り出すと意味不明でしょう。

お薦めはアンサンブル・オニ・ヴィータルスの『Cantar d'amore』。やはり省略版ですが、古参の中世音楽グループによる演奏は、東洋的な旋律と絶妙にマッチして、いっそ現代的ともいえる無国籍風音楽を作り出しています。

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