意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その3.2 選択と集中 醜いまでに受験対策する 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
連作の続編です。
高校入試でも最難関校は尽(ことごと)く不合格になり、内申が効き滑り止めとなる都立高校群と滑り止めの私立高校にある意味で順当に合格という顛末。小中高と3度目の最難関の希望校受験全滅でした。ショックを受け、それに懲りて人生15年目で3度目の意識的に自分の殻を壊すを実施。選択と集中で、
只管(ひたすら)に希望する大学への入試対策に高校生活を使うと決意
という瞬間を迎えました。
ショックの大きさを物語る様にその後の動きが早かった…
高校入学前に当時は唯一の最難関大学向けに特化した予備校だった駿台予備校の選抜試験を最難関校の生徒さんと肩を並べて受験し合格。反撃体制を整えたのでした。
その辺りまでの詳細は以下をお楽しみ下さい。
ぼんやりと政治家になろうかと思いつつ、その助走期間としての生徒会活動も何もかも一旦棚上げし、入試を使って知的に極める、素直に馬鹿でない証明を得ることに選択と集中をしました。
その辺の経緯と顛末は少しネタバレですが…こちらもお楽しみ下さい。
高校1年生から通った駿台予備校は知的パラダイスでした。私が合格できなかった最難関校の生徒さんも沢山通われていました。授業内容も私の知的欲求に応えるものでした。
只管(ひたすら)に希望する大学への入試対策に高校生活を使うと言う決意を軽く飛び越えて、駿台での授業内容は大学での学究生活に向けての準備というスタンスでした。入試なんてその通過点で軽くこなせば良いだけという余裕。感動的ですら有りました。
ある意味で、テクニックではなく本質的な意味で、これこそが醜いまでに受験対策するということのソリューションとなりました。
その辺は、以下に詳しくまとめましたのでそちらもお楽しみ下さい。
しかし最難関校の方々とのギャップは埋まりませんでした。ですが、少なくともギャップが拡大することも有りませんでした。特に中高一貫校の難関校の方々は高校1年生で高校3年生までの内容を履修完了し、2年間は入試対策という時代でしたので、正に小学生時代の2年間の遅れをそのまま引きずって居たのでした。
まぁ、もがきながらも必死について行く日々でした。
一方、選択と集中をしても人並みに起こる身体の変化も手探りながら熟(こな)して居ました。その辺りはこちらをお楽しみ下さい。
また、恋愛も棚上げということで、たまたま高校のバス停前の本屋さんで手に取った高校の女子部の生徒さん向けに置いて有った一話完結読み切りの月刊誌にハマりを息抜きにしていました。
その辺りはこちらもお楽しみ下さい。
こんな感じで高校生活を過ごしました。記憶力に問題ある私には記憶することが必須な文系科目が増えてしまう共通一次試験導入等も有り、1浪でも希望する最難関大学には合格できませんでした。取り敢えず合格した滑り止め大学の医学部と理工学部のうち、親に甘えてもう1年だけ希望する最難関大学向けに大学通いつつ挑戦させて貰う前提で理工学部に入学しました。
ここに親の度量が。
その辺り大切なので以下に再掲させて下さい。
結局2浪して最難関私立大学の理工学部に合格したのでした。親には私立大学の理工学部の入学金を2回払わせてしまいました。
Again, 親の度量に感謝。
小学生からの2年間のギャップは結局縮まらなかったものの、希望していた人生にやっと乗ったのでした。
蛇足
上述の経緯での私の周囲の環境はベビーブーム末期でしたが、私の子供達はむしろ少子化が問題の時期でした。それでも私の子供達には、バランスの取れた学生時代をと小学生から受験の無い道に進んで貰ったのです。
超蛇足
最難関校入試全滅で、予備校に高校1年生から通う決意でしたので、教育費が嵩むと考えて親を説得し、滑り止めにしていた都立高校に入学手続きの書類を持って行った時のことです。高校の入学手続き受付の窓口の方から中学校の先生から連絡が有り、親御さんの意向で書類を受け取らない様指示が来ているので書類は受け付けませんとのこと。しかも帰って中学校の担任と話をするようにとのことでした。
前日夜中まで掛けて親と調整したのはいったい何だったのかという気持ちでした。
自分の意志を軽々と挫かれた気分でした。
まぁ、今思えば親としては医学部まである私立大学付属高校で、大学受験を断念しても内申で希望の学部に行けるというオプションを担保したかったのだと思います。
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