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意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その3.1 親の度量 人生15年目で3度目の意識的に自分の殻を壊すを許す懐の深さ  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 意識的に自分の殻を壊さずまわり道した今でも忘れない貴重な経験と、それに懲りて意識的に自分の殻を壊した経験から学んだ次世代へのお作法のお話です。

 それはシンプルに

 意識的に自分の殻を壊すを許す懐の深さ

 です。失敗しても…

 “できる限り”バッターボックスに立たせてあげる親の度量

 私が親にしてもらった最大の美点の1つ。これは次世代にも伝えたい。当たり前過ぎて意識しなくなっているかも知れませんが。

 モラトリアム、迷う自由を与えられる親に…

その背景こそがこの連作の前作です。

蛇足
 上述の私の習慣を切り出してまで端的にお伝えしたかったのです。

超蛇足
 しつこいですが…本編のみで完結するべくその背景も以下にAppendixとしてセットで再掲させて下さい。


Appendix

 同じ課題に3回完敗するも再挑戦に向かう話。

 上記の内容は以下にも再掲。

 意識的に自分の殻を壊さずまわり道した話(今でも忘れない貴重な経験)と、それに懲りて意識的に自分の殻を壊す話です。

 私が生まれて6年後に入ったのは、夕方校舎の廊下の端、西側の窓から冬の澄んだ空気の中夕焼けに浮かぶ富士山のシルエットが楽しめた区立小学校でした。

 給食の脱脂粉乳が絶滅し、冬の暖房は、1年間だけ石炭ストーブ、その後はコークスのストーブ。2年間は校庭にプレハブ校舎がありましたが、近所に小学校学校新設され、1/3程の生徒はそちらに移るといったベビーブーム末期の時代。

 こんな時代背景。背伸びして視聴していた青春ドラマおれは男だに影響されていました。自由、改革、ウーマンリブとか帰国子女、留学なんてキーワードが泥臭い主役と好対照で面白かったと記憶しています。今流なら、仮想世界の高校生のアバターで高校生活を疑似体験している感じかなぁ。

 そんな時代が私の基本を培いました。

 お坊ちゃんと揶揄され、それを友人の博多帰省にくっついて本能からか意識的に自分の殻を壊すことを覚えました。その後も知的欲求の赴くままに学びも楽しんでいました。宿題は授業中に粉して自宅では自分の欲求に沿って自由に学ぶ。それでも公立小学校での成績はトップクラスでした。
 古典的上昇志向で、思いつきで受験し、運で欠員補充試験に合格した四谷大塚という進学教室。そこで再度意識的に自分の殻を壊す日々。その辺りはこちらもお楽しみ下さい。

 そんな新しい生き方に落ち着いたのでした。しかしそもそも記憶力に大きな問題を抱えていてそれなりの工夫が必要でした。それが必要なのは今も変わっていないのですが(笑)

 そして常に最高を目指す性格だったので最難関校に絞って中学受験に臨みました。とはいえ自分自身周りの四谷大塚の生徒さんには敵(かな)わないと自覚していました。結果は予想通り全滅。

 流石に堪(こた)えたのですが、人生10年程度では経験不足。まぁ中学校3年間も有ればなんとかなると甘い見通しで心に始末を着けたのです。

 それで

意識的に自分の殻を壊すことはしません

でした。

 例えば制服に自由を奪われた様な抵抗感が有り、私服では中学生になっても当時の小学生が履いていたショートパンツを履いていました。少し進化して当時はバミューダパンツと言われていたハーフパンツも履いたかなぁ。(笑) 
 学習も自由度が極端に無くなり違和感だらけ。後に大学に入ってその違和感ある環境から開放されて学問の自由を取り戻すのですがwww

 ともかく中学生になってもそのまま「おれはは男だ」のノリで、周りが変わって行く中小学校の時の生き方ロジックで中学校時代を過ごしたのでした。

 相変わらず余裕の日々。例えばこんなエピソードも。

 そして上述の「おれはは男だ」のノリで正義感一杯の生き方。
例えばこんなエピソードも。

 また、人並みに授業から自己のロジックを壊される様な視点を学ぶことも有りました。例えば…

 中学校1年後期から立候補できる生徒会役員選挙に挑戦し、立候補可能な4期全て当選。副会長から中学2年で会長となり楽しんでいた生徒会活動。先輩からも自己のロジックを壊される様な視点を学ぶことも有りました。例えば…

 頑なに中学校入学の時に決めた敢えて意識的に自分の殻を壊さないという決断を守っていました。初心貫徹。

 こんな感じでバランスを取って充実した中学校生活をしていました。
(進取の精神と温故知新かなぁ。でも荒っぽい当時の世の中はそれを許してくれませんでした。(笑))
 しかし、一方で四谷大塚から超難関校に入った人達は異次元の速さで人生に必須な基礎的な知識と能力に磨きを掛けていたのでした。

 高校入試でも最難関校は尽(ことごと)く不合格になり、内申が効き滑り止めとなる都立高校群と滑り止めの私立高校にある意味で順当に合格という顛末。小中高と3度目の最難関の希望校受験全滅でした。

ショック

 流石にそれに懲りて人生15年目で3度目の

意識的に自分の殻を壊す

を実施。選択と集中で、只管(ひたすら)に希望する大学への入試対策に高校生活を使うと決意

という瞬間を迎えました。

 ショックの大きさを物語る様にその後の動きが早かった…

 高校入学前に当時は唯一の最難関大学向けに特化した予備校だった駿台予備校の選抜試験を受けて合格し、反撃体制を整えたのでした。

つづく

蛇足
 辛いのですが、何をすれば良いかのソリューションは明確でした。ですから連作その2に書いた様に、何をすれば良いか分からない小学校5年生の時の辛さに比べれば、やれば良いだけなので大したことは有りませんでした。(笑)


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