大阪和泉府中でドキッ ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
#夏の思い出
父が仕事の関係で大阪に単身赴任していた時の思い出です。
父は、家族で住む方向けの広い社宅に一人で住んでいました。和泉府中は1970年代初め頃は、田んぼも残っているようなのんびりした所でした。社宅に泊まらせてもらったのですが、バスマットの下に大きなゲジゲジが居てびっくりするような、ある意味自然の豊かさがありました。通勤は社宅から皆さんゆったりしたバスでされていました。父もそのバスを使って出勤していました。余り自炊はせず、帰りは街に繰り出して飲食して居たようです。古典的な昇格前の地方巡りだったようです。高度成長の最後の頃で、外資系石油精製の会社だったこともあり、私もその恩恵にあずかって豊かで明るくのんびりした時代でした。
戯れに一人で社宅の周りを散歩しました。夏の日差し照りつける午後、簡単に舗装された畦道を歩いていました。東京23区の外れにあった自宅付近にも畑はあったのですが田んぼは無く、水田の生暖かい風が新鮮でした。当時はスマホなど無く、道の案内表示と感で散策するのですが、余りにも似た風景が続くのと、道か直線ではないので方向感覚を失ってしまいました。暑さでなんとなく頭もボーとしてきて困っていると向こうから一人の白いセーラー服を着た小柄な学生さんが。眩しい夏の日差しでなんか天使のような感じ。人通りが皆無なので、結構勇気を出して道を訪ねました。軽い関西弁訛で、丁寧に社宅への帰り方を教えた頂きました。途中あっちの方向と、手で行き先を示してくださったのですが、その瞬間。
真っ白いセーラー服と紺のスカートの間から、
真っ白なお腹が…
ドキッ
中学一年生の私には強烈な印象。
二度とお会いすることのない方との
私の初めての大阪での夏の思い出です。
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