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意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.0 受験に集中した高校時代の自分を壊ずし知的自由を取戻した日々 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 生まれてからずっと夢見ていた知的パラダイスたる大学。小学5年生で四谷大塚の欠員補充に合格して以来失った学問の自由度。小学5年生前までの興味の赴くままに知を満たしていく至福の時間をやっと取戻しました。
 学内は学生運動の名残が少し残っていて、立て看板も絶滅危惧種ながら若干残っていました。

 ベビーブーム末期で受験戦争と言われた時代。意識的に自分の殻を壊し、バランスの取れた高校生活を選ばず、醜いまでに受験対策するということに。そのソリューションとして選んた駿台予備校が良かった…
 駿台での授業内容は大学での学究生活に向けての準備というスタンスでした。入試なんてその通過点で軽くこなせば良いだけという余裕。感動的ですら有りました。

 その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。

 しかし小学生時代、スタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の

 意識的に自分の殻を壊す

です。

 入試という他人の決めた知の体系から解き放って自分の知的欲求を基にした学究生活を取り戻す。それを真剣に追求しました。

 その前の1年間は出席管理の厳しい別の大学で電子工学を専攻していました。今風に言うなら仮面浪人かなぁ。助走期間か。幸いそこで取得した単位も有効ということで余裕をもった学究生活を送ることができました。

 思い切り知的に開放する最初の突破口は物理学でした。
そもそも予備校時代物理屋さんから数学も学びました。

 数学を駆使した物理学への入門も駿台予備校時代に終わっていました。

 ついでに学生運動をやり切った物理屋さん(既に好々爺だったwww)からの大人への予防接種も(笑)

ですから、大学の物理学の授業は楽しめました。大学の教科書は上述の基礎が有ったので私には読めば分かるよう構成されていると感じました。参考文献も豊富に掲載されていましたので、とても親切。
 実際教授も教科書に無いことに絞っての講義でした。

 ですから、例えばこんな感覚もこの大学生時代に醸成されました。

 1980年代初め。当時最新情報は放送と書籍から得て居ました。その意味で大学生協の運営する本屋さんも天国でした。学内に本屋さんが有り、しかも書籍を会員になれば割引で購入できるなんて。
 高校時代は予備校テキストと副読本縛りで、書籍購入は制限していましたので、自由に書籍を買える開放感がたまりませんでした。大学生協の品揃えも理工学部の学生の嗜好を良く理解していて普通の本屋さんでは取扱の無い書籍が豊富に在庫されていました。しかも最新版が何処よりも早く手に入りました。
 在庫が無いものも殆ど注文した翌々日までには入手できて居ました。

 当時は表面物理学、素粒子物理学、それを元にした電子工学等に大きな進展が有った時代で気に入った本は手当り次第に購入していました。

 外国語も特に英会話系はネイティブの方々が講座を担当して居ました。記憶力に問題が有る私でも受験で相当時間を使ったので会話系の授業も楽しめました。

 第二外国語としてのドイツ語もその前の大学で1年間学んで居たので会話まで何となくイケてる状態で臨めました。特に会話ではなくハインリヒ・ハイネ著のERSTE LIEBE 初恋 の授業は海外文学への扉を開けて貰えた、正に覚醒の時間でした。

ERSTE LIEBE 初恋 Heinrich Heine ハインリヒ・ハイネ著
朝日出版社 1967 

ERSTE LIEBE 初恋
Heinrich Heine ハインリヒ・ハイネ著

 教養課程ですらこれだけ面白いのですから、専門科目はもう天国…

つづく

 

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