私は駿台予備校卒業生 その3 物理の坂間先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
物理の坂間先生の話。
1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。
今回は、物理の坂間先生の話。
坂間先生は、まずその風貌に圧倒されます。白衣を着た仙人のような感じで、高校生になるまでの短い人生で、出会ったことのない先生でした。白衣は基本的に実験物理屋(化学、医学、薬学もそうだが)さんが着るので、「理論屋の癖に」と講師仲間に揶揄されたそうです。坂間先生の弁護をするなら、きっと私と同じで単にチョークで服が汚れるのを嫌っただけだと思っています。
講義が圧巻で、私としては美しかった。まるで美術。芸術作品を仕上げるように美しく問題を解いて見せて下さいました。微積分等を用い大学での履修内容と連続性が保たれる、無駄のないスマートさが有りました。
先生の仔細は、以下に綺麗にまとめられていますのでそちらに譲ります。
坂間先生の影響で物理と数学は、物理を対象にその記述言語としての数学として、一体となって私の頭の中に整理されています。
前回の山本先生の考え方中心と呼応して、具体的課題を数学という言語に書き下して理解する力が備わりました。
蛇足
理論物理屋のアカデミックな感じが素直にLovelyでした。
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