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コミュニティに飽きた (1/5)堀下
最近は、場にいて如何に「関係性の可視化を多層的かつ複雑系的に紡ぎ出すことができるか」が、ぼくの関心事。
とか言えばそれなりに”格好がつく”かもしれないんですが、その実ちょっと”コミュニティ”と呼ばれるものに飽きてしまいました。
2019年はじまったばかりのところから不穏な空気で申し訳ないのですが、一切の批判的な内容を含んでいない(つもり)ですし、むしろ超絶前向き(いつも通り)です。時期もいいで
おおきくなったら、○○になりたい (9/5)江本
ずっと準備していたつくば駅前コワーキングup Tsukubaの解体現場お披露目パーティを開きました。
解体現場でのイベントにも関わらず、ひっきりなしにひとがいる幸せな幕開けとなりました。ここから始まります。応援してくださるみなさま、本当にありがとうございます。
さて今回は、ハイパー個人的なオープニングレセプション回想です。
元子さんのことオープニングレセプションで、スーパーVIPが出席してく
【あげる】場所ってなんだろう (8/12)江本
つくば駅前にコワーキングスペース「up Tsukuba」を準備中です。クラウドファンディングを8/1に開始しました。ちょうどその日、かかってきた電話から聞こえた言葉は「工事が遅れます!」 oh...
しょうがない、しょうがないです。場所をつくるというのはそういうことなんだなと思っています。わたしのポジティブはとどまるところを知りません。
8/31,9/1にオープニングレセプションを予定していま
シンプルに、正直に。 (8/1)堀下
この1ヵ月。ほんとうにたくさんのことを考えました。
言わずもがな、その行く先は、まずはクラウドファンディングで起案する『つくばを【あげる】コワーキング "up Tsukuba"をつくります!』です。
公開する18:00を迎えるまで、少しさかのぼって、想いを整理してみる、そんな”日記”にしてみようと思います。もしかすると、なんの価値もない、文字の羅列になるかもしれないけれども。でも”今、ここ”の気
つくばじゃなくていい、が悔しい。 (7/31)江本
池袋に毎日通っていたのが嘘みたいに、今月は移動する車の中から田んぼを眺める日々でした。
(初めて見た蓮根畑)
会社を設立した6月から、本格的に準備し始めたつくば駅前コワーキング。というか、コワーキング(とか色々)を始めるぞ! でつくった会社です。
今回はディベロッパーと一緒に立ち上げるため、関係各位とのやりとりが一見すると複雑に。プロジェクト自体は去年の秋から発足していて、今年の5月とい
1万字の効能 (6/28)江本
「雑談」が起こる条件はなんなんだろう、と人見知りのわたしは考える。しょうもない話にこそ、信頼に足る関係性が求められるから。
人生における思い出深い雑談は、留学先でフランス人の友達とだらだら話し続けられたこと。学んでいた言語でどうでもいい話ができた!というのが最高にうれしかった。しかし内容はさっぱり覚えていない。
あの時間を共有できた! という感じだけが残る。ある意味刹那的。
えもフェスの意図
noblesse oblige? (6/15)堀下
卒業生とジンジャエールとLab3月まで筑波大生としてLabによく来てくれていた子がAmazonウィッシュリストを通じてLabにジンジャエール送ってくれました!(ぼくが結婚祝いに乗じて買わせたのですが…笑)
今回は一応結婚祝いだったのでアレですが。このPay it forward(恩送り)というかおすそわけというか…こういった動きをデザインしたいなぁと改めて思いました。
というのも僕はLabにい
合同会社for here設立に寄せて (6/6)堀下
合同会社for here を江本 珠理と起業しました。
ぼくにとっては2社目です。とは言え人生を通してやりたいことは変わっていません。”教育 × まちづくり”という軸で、まちと人とが育まれる長期的な環境の只中にいて、みんなと一緒にそれ自体を楽しみ続けたい、それだけです。
こんなにも魅かれたのが久しぶりで起業しました。率直に言うならば、江本と組みたくて起業しました。ぼくはここ1年半、日々Tsuk
巡礼とゆるスポーツが今の僕を再定義した (5/12)堀下
新大阪からつくばに帰る新幹線の中でこの日記を書いています。
京都にいた頃にいちばんお世話になった人の結婚披露宴にご招待いただいたので、弾丸日帰りになってしまいましたが、参加させていただきました。
5年前、ぼくは大学3年次を終えてからの3年間を休学し、”起業準備”という名のモラトリアムを過ごしていました。
そのちょうど真ん中の時期、期間にしても半分に当たる1年半を京都で過ごしました。株式会社し
わたしがいない場をつくる (5/9)江本
今思えば、ゲストハウス立ち上げでいちばん大変だったのはわたしには見える風景をチーム内で共有できないことだった(それに加えてそこまでの道のりをデザインし、交渉することも)。
他のひとにはそれが見えなかったことに気がつけなかった。
よく遊びに来る小学生が、10年後にシーナと一平でアルバイトしている姿。東京でも池袋でもなく「椎名町(Sheena town)」目掛けて来る観光客。
そんな、立ち上がっ