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震災でもウイルスでも死ななかった(地史的時間からは結局影響があるのかも知れぬが)人類種…

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震災でもウイルスでも死ななかった(地史的時間からは結局影響があるのかも知れぬが)人類種が自殺的に滅びてしまう(やはり災害や病に対する不得手も同じことなのかも知れないが)ように見えたとき、そもそも人類とはなんだったのか。

記事一覧

ジジェク「反復するレーニン」

ジジェクの選んだ2月革命から10月革命のあいだのレーニンの12の文章は、追放されていたロシア国外から激を飛ばし革命に尻込みするものを日和見主義として批判しつつ最終…

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2か月前

場所の意志

経済人類学のカール・ポランニーが普遍社会においての市場交換による利潤を否定して以来、消極的に互酬と再分配(贈与と貢納)として事後的に(意図的に企図できない)共同…

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2か月前

水中の哲学者たち2

社会に対する不適応というか違和感のシーンがチラホラ出てくるのだが社会=学校というか大学だろう。議論の場で吊るし上げられ攻撃される(なぜわざわざそんな場に引きずら…

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2か月前
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吉本隆明の時代

これは最終章まで来て、吉本隆明は60年の思想家であり、68年という現代に続くものではないという評価が出てくる。これを頭に持ってくればよいのだと同時にこれは読んで…

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2か月前
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水中の哲学者たち1

パレスチナ問題で何か発言しているアカウント関連のものを漁った一つがこれだった。ランダムにページを開いて思うことを書きつけてみる。 「人間の本能は増えること、繁殖…

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2か月前
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吉本隆明生誕100周年記念:都知事選回願1

新宿バスターミナルでの街宣には震災以降の新たな運動の担い手の面々が多く来て連なっていたという。私も最前にいたのだが、次の衆院選とともに立憲と一緒に震災以降の運動…

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2か月前

吉本の広松渉論

 吉本の広松論を読み返す。共同的なものと個人的なものがどちらが先で後かということに広松はこだわっているが、それはどちらでも同じでその後先を問題にすることは意味が…

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2か月前

都知事選

この都知事選が実際にジェンダーバイアスに関わる選挙だとすると、蓮舫が嫌いというのが大企業社員の妻に多いというのは、第3号被保険者と重なるということだろうか。とす…

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3か月前

果たされるはずもない約束

政治は選択を迫るものである以上挫折や達成感を避けることは出来ないが、高揚感から果たされるはずもない約束を支持するものとされるものがしてしまうことは千年王国の救済…

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3か月前

失われるホスピタリティといわゆる「経済」の破壊

医療福祉とはホスピタリティの最も発揮される領域、というよりホスピタリティそのものであろう。そしてその削減は単なる生の削減、ホスピタリティの喪失であり、サービスに…

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4か月前

廣松渉 東北アジアが歴史の主役に 日中を軸に「東亜」の新体制を 再掲

https://sasaki.hatenablog.com/entry/20100417   この東大哲学科のマルクス主義哲学者で新左翼雑誌「状況」の創刊者であり、南京大学に名を冠した研究室があるという廣…

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4か月前

雲をも摑むような話

もう四半世紀追っていた話なのだが忘れてしまっていた。常に目の前に突きつけられ問われている筈であり、知っていたあるいは読み続けていたテーマであった筈であるにも関わ…

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4か月前

シリウスの都 飛鳥 栗本慎一郎2005年10月

彼が著作でパレスチナの話をくりかえししていた事を思い出し、歴史を再確認するために参照した後期栗本慎一郎のこの本をふりかえるに今思えばこの書が何の反響も呼ばずに20…

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5か月前
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無為より過ちを選ぶ人間

死が無意味あるいは無秩序だとすれば、生は意味あるいは秩序と言えるだろうか。死が偶然なら生は必然だろうか。仮象としては生は偶然として、死は必然としてあらわれ、よっ…

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5か月前

事象の因果系列1

 東日本大震災をめぐる原発事故、コロナをめぐる対応、さらにパレスチナにおける虐殺について、それぞれ世界史的に対応は続いているのだろうが、それを放射能を見ない、ウ…

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5か月前

社会はトートロジー工場であり、トートロジーは生存に必要であり、創発は相変わらず暗黙知である件

能力、成功、創造性。どれも見えないものであり、既存の見えるものから生み出されるもの。見えるものである記号であらわすには0→1とあらわすしかない。しかし既存の1か…

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6か月前

ジジェク「反復するレーニン」

ジジェクの選んだ2月革命から10月革命のあいだのレーニンの12の文章は、追放されていたロシア国外から激を飛ばし革命に尻込みするものを日和見主義として批判しつつ最終的に政権獲得宣言にまで至る記録になっている。これは「革命」を可能にした当時の状況とともにレーニンが実現しようとした銀行の国有化など様々な国家解体のプログラムが是非はともかくとしてどのような運命を辿っていったかのこれ以後の状況の精査が必要に

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場所の意志

場所の意志

経済人類学のカール・ポランニーが普遍社会においての市場交換による利潤を否定して以来、消極的に互酬と再分配(贈与と貢納)として事後的に(意図的に企図できない)共同体内トランザクションを規定して、対外的には交易港を設定して固定レート交易(儀礼としての)、あるいは祝祭時に余剰品が分与されるという形でイレギュラーに個別交換(に結果的に見られる)があらわれ、場合によっては対内貨幣と別に対外貨幣が設定され、ま

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水中の哲学者たち2

社会に対する不適応というか違和感のシーンがチラホラ出てくるのだが社会=学校というか大学だろう。議論の場で吊るし上げられ攻撃される(なぜわざわざそんな場に引きずられてゆくのか≒学校だからだろう)描写や、机や椅子の環境に対する違和感、その外に逃げるように消費する食べ物や音楽、大学≒学校内の「労働」としての議論(対話)とそこから逃れて消費する。
何か生意気な茶化すような中学生が出てくるのは対話が学校生活

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吉本隆明の時代

これは最終章まで来て、吉本隆明は60年の思想家であり、68年という現代に続くものではないという評価が出てくる。これを頭に持ってくればよいのだと同時にこれは読んでも読まなくても同じという以前手に取った感じと同じことになるのではないかという危惧がうまれてきた。吉本のポジショントークだけをあつかっている機能主義的社会学のような本だからだ。これはブルデューのハイデガーの政治的存在論と同じで上野千鶴子などい

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水中の哲学者たち1

パレスチナ問題で何か発言しているアカウント関連のものを漁った一つがこれだった。ランダムにページを開いて思うことを書きつけてみる。
「人間の本能は増えること、繁殖だから意味がない」という中学生のはなし。「本能」は証明されてない概念とラカンがいっていたような「適応」だったか?フロイトの本能という訳語は欲動に変わったりしている。ようするに翻訳語が間違っているか不適合なのだろうが、ここでは所与のものになっ

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吉本隆明生誕100周年記念:都知事選回願1

新宿バスターミナルでの街宣には震災以降の新たな運動の担い手の面々が多く来て連なっていたという。私も最前にいたのだが、次の衆院選とともに立憲と一緒に震災以降の運動の流れが一旦終焉して途切れるような気がして、仕事などその他の関係から一般人よりはこうした運動の近傍に居やすかった私は震災以降だけでなく戦後史の流れ、近現代史まで回顧して総括する気分に襲われた。また吉本隆明生誕百周年記念という話が聞こえてきた

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吉本の広松渉論

 吉本の広松論を読み返す。共同的なものと個人的なものがどちらが先で後かということに広松はこだわっているが、それはどちらでも同じでその後先を問題にすることは意味が無い、とある。
 共同幻想、対幻想、個人幻想がそれぞれ還元不可能な三者とすれば、どこからそれ以外が出てきたとか出てこないとかいうようなものではなく、別個に考えなければならない位相にあるものとしていることと対応するか。
 それと「『物質』は抽

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都知事選

この都知事選が実際にジェンダーバイアスに関わる選挙だとすると、蓮舫が嫌いというのが大企業社員の妻に多いというのは、第3号被保険者と重なるということだろうか。とすれば数値的に予想できたことだろうか。カエル男とタガメ女という安冨あゆみの比喩があったが、この層が分厚いとすればイデオロギー的に疑似家父長制を維持するためその形態以外を排斥せねばすまないということになる。

果たされるはずもない約束

政治は選択を迫るものである以上挫折や達成感を避けることは出来ないが、高揚感から果たされるはずもない約束を支持するものとされるものがしてしまうことは千年王国の救済に似ている。政治に求めようもないものを求めるのは人間に生きる意味を与えるほど不可能性の表出に思える。吉本隆明の用語でいえば共同幻想は対幻想を侵食しないよう消えてしまわねばならない。原理的に思考不能な領域は介入できないししても無駄の極みなので

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失われるホスピタリティといわゆる「経済」の破壊

医療福祉とはホスピタリティの最も発揮される領域、というよりホスピタリティそのものであろう。そしてその削減は単なる生の削減、ホスピタリティの喪失であり、サービスに付加されたホスピタリティの削減であり、サービス経済の減失であり、よって経済そのものの喪失となる。経済効率の究極は人が居ない世界、となる。ある局面では学校教育も企業経済もその近視眼的効率自己目的化により容易にそうした死の世界(無管理の管理)を

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廣松渉 東北アジアが歴史の主役に 日中を軸に「東亜」の新体制を 再掲

https://sasaki.hatenablog.com/entry/20100417  
この東大哲学科のマルクス主義哲学者で新左翼雑誌「状況」の創刊者であり、南京大学に名を冠した研究室があるという廣松渉が死(94年5月22日)の2ヶ月ほど前(3月16日付)に朝日新聞に載せた30年前のエッセイは、当時自民党政権の交替劇(細川連立政権)や未だ日本経済が世界2位だった頃の余韻もあってかこれぐらいは

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雲をも摑むような話

もう四半世紀追っていた話なのだが忘れてしまっていた。常に目の前に突きつけられ問われている筈であり、知っていたあるいは読み続けていたテーマであった筈であるにも関わらず、手がかりもなく進展もしなかったのは、一体どういうわけだろうか。手がかりはどこにもなかった。今も有るとは思えない。過去の負債が多すぎて「そういう問い」を立てること自体禁止し抑圧し否定・排除に至った。そして同じような経路をたどって墜落して

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シリウスの都 飛鳥 栗本慎一郎2005年10月

彼が著作でパレスチナの話をくりかえししていた事を思い出し、歴史を再確認するために参照した後期栗本慎一郎のこの本をふりかえるに今思えばこの書が何の反響も呼ばずに20年弱経った今、その理由を結果論的に見ると根本的に何を言いたかったのがわからなくなっていることが挙げられる。タイトルも不正確であって、栗本が言うシリウス方向の建造物の傾斜が蘇我氏由来のものに見られるという話であって、飛鳥の都=シリウス方向を

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無為より過ちを選ぶ人間

死が無意味あるいは無秩序だとすれば、生は意味あるいは秩序と言えるだろうか。死が偶然なら生は必然だろうか。仮象としては生は偶然として、死は必然としてあらわれ、よって人は殺すのではないだろうか。死を必然としてもたらそうという試みは、神の王国を必然としてもたらそうという試みに似ている。

事象の因果系列1

 東日本大震災をめぐる原発事故、コロナをめぐる対応、さらにパレスチナにおける虐殺について、それぞれ世界史的に対応は続いているのだろうが、それを放射能を見ない、ウイルスを見ない、虐殺を見ないことにおいて同質とみなせるかといえば実際そんなふうに一直線にはなっておらずバラバラのようでもあり、多くは事件事象には関心なくゲームとアニメに熱中し時折り創作にこうした主題が放り込まれて消費しているだけのようにもみ

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社会はトートロジー工場であり、トートロジーは生存に必要であり、創発は相変わらず暗黙知である件

能力、成功、創造性。どれも見えないものであり、既存の見えるものから生み出されるもの。見えるものである記号であらわすには0→1とあらわすしかない。しかし既存の1から0へは消失になるが、既存のものからは見えない0は無限なのか無なのかは既存の1=有(限)からはわからない。既存の見えるものでなければ伝達可能とはならない。記号=社会化するには既存のものでなければならない。性差は0と1のバリエーション、有る/

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