廣松渉 東北アジアが歴史の主役に 日中を軸に「東亜」の新体制を 再掲
https://sasaki.hatenablog.com/entry/20100417
この東大哲学科のマルクス主義哲学者で新左翼雑誌「状況」の創刊者であり、南京大学に名を冠した研究室があるという廣松渉が死(94年5月22日)の2ヶ月ほど前(3月16日付)に朝日新聞に載せた30年前のエッセイは、当時自民党政権の交替劇(細川連立政権)や未だ日本経済が世界2位だった頃の余韻もあってかこれぐらいは最大公約数であろうというキャッチフレーズを並べて勢いよく願望を述べているという体のものだが、彼の出した理由付けは全部古びてしまって機能しなくなっているもののそうした概念の廃墟と関係なくパレスチナをめぐる道義的な西欧の死と日中韓FTAをめぐる日中韓交渉のあり方行く末という点でフロックでも意図せざる日本が米国の従属化における盾としての外交ではなく世界史の先端において自らの態度を決めねばならぬという最終局面に入ってきているかのように思われる。そこに廣松のいうような思想的一体感が日中韓においてあるとは思えず何かを見つけねばならぬが、経済的物流・人流の交錯と政権交代があれば思想的発展の物的条件は醸成されるかも知れない。