吉本隆明の時代
これは最終章まで来て、吉本隆明は60年の思想家であり、68年という現代に続くものではないという評価が出てくる。これを頭に持ってくればよいのだと同時にこれは読んでも読まなくても同じという以前手に取った感じと同じことになるのではないかという危惧がうまれてきた。吉本のポジショントークだけをあつかっている機能主義的社会学のような本だからだ。これはブルデューのハイデガーの政治的存在論と同じで上野千鶴子などいろいろな人々の軌道を叙述は出来るだろう。そもそもマルクスの論旨は搾取されるものとするものに世界が二分され破裂するというだけで、何もそれから先を言ってない上に見通しもないのに、それを基準にして人々が動いた時代があったことが未来につながるとはとても思えない。未来は何も描かれていないし、マルクス主義が無効だったというだけだからだ。これを現代の差別問題に接ぎ木するのは、必要ない教養というものだろう。共同幻想とはマルクス主義のことである。最後の章で疎外と反疎外の個々の知識人の物語が語られ68年の共同享楽幻想が唐突に導入される。何がどう繋がっているというのだろうか。マスイメージに解体した大衆の原像はマルクス主義の歴史的空間の外部に描かれていいる。それによってマルクス主義の延長線上の吉本隆明はもはや存在しない。
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