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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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#この街がすき

文献から見える「光る君へ」の時代背景

文献から見える「光る君へ」の時代背景

「妾」ではなく北の方がいい~!」
「二人で駆け落ちなんていや~!」
あれでは結局、玉の輿が目当てみたいで道長が怒っても当然だと思います。

「まひろさん、道長さまの北の方になりたいなんて厚かましいですわよ。」

by倫子

まひろは何を勘違いしてるんだろ?「恋は盲目」とはこのことか⁈

それに新天皇即位の日の高御座にあった子供の生首。
怪事件ですよね~!
誰の首かはわかりませんが、失脚した花山天皇

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丹羽家ファミリーヒストリー~前編

丹羽家ファミリーヒストリー~前編

さて、今度は「丹羽家ファミリーヒストリー」についてです。二本松藩の作品をいくつか書いている割には私もきちんと調べるのは初めてで、どちらかというとその家臣団に注目しがちでした。ですが、「中興の祖」とされる「丹羽長秀」は、織田信長の家臣としてご存知の方も多いのではないでしょうか。

丹羽家の出自三説丹羽家発祥のざっくりとした歴史については「大谷家」のところでも説明しましたが、実は三つの説があるようです

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「田舎館」という地名

「田舎館」という地名

やんさんの記事を拝読して、最近私の中ではちょっとした「青森&函館ブーム」が到来しております。

何度か書いているように、私も中学校3年間は青森で過ごしていたのですが、住んでいたのが南部地方だったため、津軽地方の文化については実はよくわかっていません^^;
言葉だけは、母方の実家である秋田とよく似ているので、ヒアリングは出来るのですが……。

そんな中で、中学生のときから気になっていた「田舎館村」。

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気になるジーサン《平手政秀》 [2/2] 「合理性」と「社会性」

気になるジーサン《平手政秀》 [2/2] 「合理性」と「社会性」

散歩中に偶然見かけた神社(名古屋市北区の綿神社)の由緒書に、以前から気になっていた平手政秀が「信長の奇行平癒」を祈願して自ら彫ったこま犬1対を奉納した、との記述を見つけ、政秀の邸宅跡地・志賀公園まで足を伸ばしました。

数日後、政秀の首塚がある、市内西区の東雲寺を訪れました。平手町/志賀公園から西北西に2 kmあまり、ざっくり、清州城(当時は尾張守護代・織田大和守家の居城)と那古野城の、ほぼ中央あ

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気になるジーサン《平手政秀》 [1/2] 「奇行平癒」に狛犬奉納

気になるジーサン《平手政秀》 [1/2] 「奇行平癒」に狛犬奉納

ご近所に、ずっと気になっているジーサンがいます。

歴史上の人物なので生まれた時からジーサンだったわけではないでしょうが、歴史ドラマにたまにチョイ役として顔を出す時は必ず、既にジーサンになっているので、私たちがこの人で脳裏に想い浮かべるのは当然、ジーサン顔です。

名古屋市北区の地下鉄黒川駅から北方向に、散歩と称して徘徊中、とある神社入口の立て札に、ふと目が止まりました。
「綿神社」とあります。

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今さら二階堂氏

今さら二階堂氏

とっくにNHKの大河ドラマは「どうする家康」に移ろうとしていますが、やっとのことで、「鎌倉殿の13人」の総集編を視聴しました。
いやー、伊豆の純朴な青年がダークサイドに落ちていく様は、なかなか見応えがありました。
ですが、今回取り上げようというのは、「二階堂氏」。鎌倉殿の13人でも評議衆の一員であり、義時の3番目の妻の実家として紹介されていました。

二階堂行政元の名は、白尾三郎行政。祖先を辿ると

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空飛ぶ虎の考察@寅年も残りわずか

空飛ぶ虎の考察@寅年も残りわずか

皆さん今年も残りわずか。仕事を始めるとなかなか長いnote記事に取り組む時間が(めんどくさくて)取れずにいます。いろんなものを両立するnoterの皆さんすごいなぁ。

そんなわけで。いろんアイデアを記事にするのを先延ばしにし続け、イベントは時期を逃し続けました。ですが、これだけは寅年のうちに考察しときたいと思ったのでした。

それは、

「虎は空を飛ぶのか!?」です。

イケオジたちの付け髭に注目

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自治都市須賀川

自治都市須賀川

間もなく「直違の紋に誓って」の連載が終わりますが、第一章の白河戦争の際に、東軍の前線基地となっていた「須賀川」。
そういえば、その頃の須賀川って「そもそもどこの藩よ?」というのが
ずっと引っかかっていました。学校でも、「宿場町として発展した」としか教わっていないですし。

結果的には「一応、白河藩」。
「一応って何だよ?」というツッコミが来そうですが、調べる方も難儀な実態が有りました^^;

そも

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小泉八雲とセツが描いた日本の民話(島根・松江)

小泉八雲とセツが描いた日本の民話(島根・松江)

第1章 小泉セツの生き方に触れる武家屋敷が軒を連ねる松江の塩見縄手には、セツと八雲が暮らした家、2人の貴重な展示品が並ぶ館があります。セツとはどんな人だったのでしょうか。

 鬱蒼とした森の中、薄紙で作った舟に硬貨を一枚載せ、鏡のように澄み切った池の水面に、静かに浮かべる。若き小泉セツと2人の女友達は、その舟の様子をじっと見守っていた。池に浮かべた舟が早く沈めば早く縁に恵まれる。近くで沈めば近くに

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8月15日、あの頃のあなた

8月15日、あの頃のあなた

小学生の時「身近な人に戦争体験を聞いてくる」という宿題があった。細かいことは覚えていない。
ただそういう宿題があって、久米島の祖母に電話したことを覚えている。

思い当たる人物が居なくて祖母に電話をかけた。でも後から悪いことしたかなと思った。
もしかしたら祖母はショックだったかもしれない。

何故ならうちの祖母は戦後すぐの生まれだった。
戦時中を知らない世代だった。意外と若い。
(幸運にも祖母の故

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先祖が神として祀られる地で|東儀秀樹(雅楽師)

先祖が神として祀られる地で|東儀秀樹(雅楽師)

 1300年も雅楽を継承している「東儀家」の先祖は、聖徳太子の参謀だった秦河勝とされている。なので、聖徳太子や秦河勝にまつわる場所や歴史事にはいつでも興味をそそられてきた。法隆寺や広隆寺、蚕の社などを訪れると、他人事とは思えないほど何かしらの想いが湧き出る。

 秦河勝は多くの大陸文化、つまり音楽や宗教、機織り、酒造、建築法などを伝え定着させた人物で、文化人でもあり政治家でもあった。しかし太子が世

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「すみよっさん」は日本人にとって大切な氏神様だった

「すみよっさん」は日本人にとって大切な氏神様だった

「住吉祭礼図屏風」に描かれた神輿行列前回お伝えした「一心寺」へ行った後、住吉区にある「住吉大社」へも寄ってみました。

子育ても終了した老夫婦には早く帰る理由もないので、帰り道にちょっとだけ大回りしてみたのです。

それは大阪人にとって誰もが知ってる住吉大社です。

私の著書である「奥の枝道 其ノ二 大阪編」で堺市の「さかい利昌の杜」の紀行記事も執筆させていただいたのですが、再度調べてみて、地元に

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「一心寺」は我が家の第二の菩提寺

「一心寺」は我が家の第二の菩提寺

「一心寺」は国内最大の永代供養の寺子供たちがすっかり成人した熟年夫婦にとって、二人揃って出かけるのは、寺か神社ぐらいかもしれないです。

大阪市天王寺区にある「一心寺」は我が家の第二の菩提寺です。
和歌山の田辺市に第一の菩提寺があるのですが、遠いのでここにすでに故人となった主人の両親の遺骨を分骨しているのです。

コロナ禍以前は、主人は毎月、私は少なくとも3ヶ月に一度はお参りに来ていましたが、緊急

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「帝国キネマと東大阪」郷土史の中のウラ史実②~「あしたづ」第十号より

「帝国キネマと東大阪」郷土史の中のウラ史実②~「あしたづ」第十号より

▼「太秦映画村」は大阪にあった!京都にある太秦映画村を知っていますか?
私も子育て中に訪れた事がありますが、今でも現役の東映映画の撮影所です。
その前進が、かつて「帝国キネマ園芸株式会社」という社名で、大阪にあったという事実を知って驚きました。
私も半世紀をとうに過ぎるぐらい生きてますが、さすがに知らなかった。

まだ映画が「活動写真」と呼ばれ、無声映画に合わせて弁士がセリフを語る時代。日本にそれ

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