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暗号資産投資における雑感と、歴史的な振り返り、コロナ禍における今後の社会変容の展望について

本日は、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために、連日の"ステイホーム"が叫ばれ自治体からは外出自粛要請が継続している中で、自分がつらつらと感じた雑感とそれに伴う思考整理とエビデンスの確認、そしてその結実としての論述をnoteに記録しておこうと考え投稿しました。お読み戴いた方のライフハックという形でのヒントや、アイデアの醸造のお役に立てれば幸いです。

では、さっそくですが、書き連ねて参りたいと思います。


私がICOなどを活用して暗号資産やそれを取り巻く国内業者へと投資をした理由を考えると、その根底にあるのは恐らく"JAPAN as No.1"と称され、世界最大の都市であるマンハッタンに国産車が行き交い、ネオンサインには企業のロゴが輝き、あまりの成長ぶりに米国に関税などの圧力をかけられて、まるで現在の中国に対して米国がするように、疎ましく思われるほどのプレゼンスのあった時代の、微かな自国の栄光の記憶と、それに対する自尊心が呼び起こされたのかも知れません。

約40年ほど前に遡ります。我が国は1985年のプラザ合意を経て、それまで1ドル=360円だった為替レートの変動性の導入を契機として円高が強まり、高品質で高性能な工業製品の輸出高と相まって史上まれにみる好景気が訪れ、人々はその熱狂の渦の中に巻き込まれていきました。こうした発展が未来永劫に続いていくと誰もが思い込み、現実にはあり得ない共通の夢を見てしまったのでした。資産の余剰金が出てきた人々は、知識もないままに様々な投資商品を買い、その需要がさらに商品の価値を高めて好循環となり結果的に利益を産む事で、さらにそのマネーゲームに熱中していきました。

そうして徐々に彼らの期待値も実際の商品の価格もエスカレートしていき、必要のないはずの資産価値に見合わない額で不動産を購入し始め、その危険なレバレッジによるツケはどんどんと溜まっていきます。そしてある日、あまりにも実態と乖離した不動産価値の高騰や、その熱狂を抑えるために行った政治家の規制の一言によって一気に緊縮が発動し、風船に針を刺したようにバブル崩壊が引き起こされ、金融業者が連鎖的に破綻することで、我々は徐々にその地位から転げ落ち始めました。

しかし、そのバブル崩壊直後の数年間は民衆には不景気といったムードも悲観的な観測もなく、この国にはまだまだ心理的な部分からも立ち直るチャンスが残っていた状況でした。そこで舵を切り、ITバブルが勃興していく中でバランスを取りながら工業製品からの脱却を図りソフトウェア業界へと、社会全体がシフトしていく絶好のチャンスだったかも知れません。しかし、過去の成功体験の甘い夢が捨てられずに、その後も15年以上の間"ものづくり"というハードウェアに注力し、その好機を逃してしまうのでした。

まさに今日現在、国内ではサーバーが落ちて(*1)予約すらできないほどに需要が加熱しているコロナウイルス対策用のマスクを生産している有名企業の工場は、わずか15年ほど前には、高品質を謳った高価な大型の液晶テレビがフル回転で作られていたというのは、言うまでもない周知の事実ですし、廃棄する事もできなかった負の資産が、今回の災難によって少しは役に立ったという点は、どこか皮肉めいた話のようです。


このように時代の一歩先を読む事を常に背を向けて怠ってきた我々日本人は、グローバル化やIT化という世界のトレンドの波に完全に乗り遅れたうえに、ごく最近までODAとして資金や技術支援を差し出していた中国にさえもGDPで抜き去られる始末となりました。今や"GAFA"や一部の"BATH"という外国のIT関連サービスを、呼吸をするかのように当然の必需品として使用している状況であり、それらの企業と肩を並べるどころか、もはやその顔を見上げても見えないまでに引き離され、この国は内需に頼るだけのIT後進国となってしまいました。

そうした状況の中で、這い上がれずに傷ついた自尊心を持ち止まない鈍い痛みに耐え続けてきた我々は、2010年代に入ってブロックチェーンというまったく新しい技術の勃興により、先行者有利となるフロンティアの可能性を感じ、緻密な国民性をベースとした技術力や、政府の推進政策の追い風を感じ、フィンテックをきっかけとして各国と互角に渡り合い、再度世界を席巻し攻勢に転じていくというシナリオを思い描く事ができ、海外拠点も有する国産企業という同社へのそうした野望やカタルシスを重ねて感じた事で、暗号資産業者のICOプロジェクトへ賛同されて出資された方も多かったのではないでしょうか。

もちろん、この国の和(ハーモニー)の精神と島国という地政学的側面から見た超保守的な風潮は、根拠のない忖度や岩盤規制の根源であり、それが"失敗をして失脚をしたくない(*2)"という官僚や政治家の姿勢にも表れており、このような過去に類を見ないプロジェクトは彼らの手には余るものだったのでしょう。ここで過去の事例をひとつ挙げます。

2000年代の初頭、分散型のP2Pの概念と匿名性を併せ持った機能のネットワークを介して自由にファイルが共有できる無償のソフトウェアを、国内のある天才プログラマーが開発しました。このソフトウェアは匿名掲示板を主たる震源地としてPC初級者の一般ユーザーにまで広がり、写真や音楽や動画などのメディアは、参加者同士がデータの橋渡し役となりながら拡散していき、その便利さと有益性からユーザーからユーザーへと次々に伝播して瞬く間に普及しました。一説によるとこのソフトウェアの仕組みは、ブロックチェーンのアイデアにも多大な影響を与えたとも言われています。

さて、その開発者は称賛を浴びてIT企業に高額な報酬で雇われたのでしょうか?それとも自ら起業家となりソフトウェア事業を立ち上げたのでしょうか?…答えはどちらもノーです。なぜなら、彼はそのソフトの進化版の開発に着手したタイミングで、突然自由を奪われたからです。警察機関は"著作権の侵害"という開発者に責任を問えるのかどうか曖昧な理由で、そのプログラマーを容疑者として逮捕したのでした。法律でも裁く事ができないほどの先進性の高さゆえに、その処遇については多くの物議を醸し、前例の無い事象へは抑え込みが必要だという保守的な観点からなのか、三審制の長い裁判にかけられたのです。

国内の最高学府に研究者の助手として身を置いていた彼は、一転して容疑者という立場となってしまったのです。そして、7年もの長期間のあいだ法廷で訴え続け、日本で大きな震災が起こったその年に、ようやく無罪を勝ち取る事ができたのでした。しかし、その過酷であろうストレス下に身を置いた事で心身へ負担がかかったためでしょうか、無念にも彼はその無罪判決の2年後に、42歳という若さで逝去しました。

もし、彼が早期に解放されて、その技術力を遺憾なく発揮してその後もソフトウェア開発を続け、国益に寄与する役割を担っていたとしたら?もし、そうした新技術に対する偏見や悪いイメージを持たせない処遇であったとしたなら?もし、国が彼の才能を買って国家的なプロジェクトを立ち上げていたら?…。振り返ってみれば、相当な悪手だったとしか言えません。これは、ミレニアム以降に我々が辿ってきた"間違った世界線"を象徴する事件でした。

近年、こうした保守的な国の中にあっても、将来への危機を募らせる指導者も存在しました。先のバブル崩壊の経験と恐れから、"貯金は最たる資産運用"だと考える愚かな国民が、経済成長もなく極端な少子高齢化社会を迎えていき老後に困窮していく未来を少しでも変えていくため、彼らにメリットを享受させる事で投資行動へ向けさせようと、"つみたてNISA"の創設や仮想通貨業を含むフィンテック等の分野を、その豪腕により推進した金融庁長官がいました。しかし、その彼も運悪く起こってしまったコインチェックに対するハッキング事件が契機となったのか、事件の半年後に責任を取るかのように、ひっそりと退官する事となりました。

もちろん、このハッキング事件の影響やインパクトは大きく社会的な問題となった部分はあります。しかし、その事よりも、先に挙げた金融庁の人事による体制の変更が、その後の仮想通貨業界やFX業者への締め付けに拍車をかける原因になったのではないかと邪推しております。

おそらく、それまでは官僚相手にスムーズに通っていた話でさえも突然方針が変更となり、反故にされたり厳しくなったりと、事業者側もオセロを裏返すかのような余りの落差に混乱していったのではないか。穿った見方をすると、プライドが高い彼ら官僚の名誉に傷をつけてしまった"罪"から、仮想通貨事業者は問題児扱いされたり腫れ物に触るような"罰"を受ける扱いをされるようになったという事も想像に容易いです。

こうして現在のフィンテックや暗号資産業界も、彼ら官僚などの役人が失点を恐れるあまり後ろ向きのため、世界との競争においてズルズルと失速して沈んでしまうのかと悲観的にもなりそうではありますが、ここで、いったん視点を変えてみましょう。偉人の名言は、我々にいつもヒントを与えてくれます。"愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ"という言葉があります。近視眼的なミクロな視点だけでは物事の本質は見えてきません。我々の持つ歴史を紐解いてみましょう。

我が国は、170年ほど前に浦賀沖にアメリカが巨大な船に乗って通商交渉に訪れるまでは、切れ味の鋭い凶器を持ち歩き、珍奇なヘアスタイルをした蛮人たちが武力によって封建制を敷いていた独裁国家であり、産業はほぼ農耕という第一次産業で、白米が貨幣以上に価値を持つといった状況であり、当時の欧米列強諸国からすれば極東に存在する未開の後進国でした。当時の事件を伝える我が国の報道方法は新聞でも写真でもなく、"浮世絵"という写実的な技法すら持たない、平面的でユニークな絵画と人々の口伝に依るものでした。

しかし、その欧米との国交通商から始まってすぐに、260年という長きに渡った封建主義の崩壊から帝国主義への政治体制の変更という"明治維新"を迎え、わずかな期間に近代化を遂げる事となります。欧米諸国の最新技術を積極的に取り込み、電話網や鉄道などのインフラを性急に整備していきます。それにより産業も発展を遂げ、軍隊を保有し列強諸国に追いつくような勢いで進化していきます。そして、欧米との積極的な接触からわずか50年後には、有色人種として史上初めて欧米列強の大国であるロシアとの戦争に勝利する事になるのです。

ここから結論づけられる事は、我々日本人という民族は、既存のルールを変える事に対してはとても保守的な民族であるのですが、それと同時にトップダウンの号令がかかると一気に変容を受け入れられるという、類まれなる柔軟性も持ち合わせているのです。これは我々のもう一つの性質を表しています。

さて、ここでタイムラインを現在に戻します。日本だけでなく世界中に渡って同様の状況ではありますが、未だ治療法の見つかっていない、新型コロナウイルスの広範な蔓延という事態に見舞われています。しかしながら果たしてこの厄災を、ただ恐れ悲観的に捉えるだけで、振り返った際に同時代を生き延びた人たちが共通の話題として持ち出すだけの、不幸的な出来事として捉えるだけで良いのでしょうか。

毎日、いや数時間おきに目まぐるしく報道されるニュースでも取り沙汰されているように、我が国の政府は今まで及び腰であった、テレワークや、オンライン診療、オンライン授業、AIやビッグデータなどのテクノロジーを使ったIT分野を積極的に採用していく方針を打ち出しており、コロナウイルス対策としてそうした技術を活用していくトレンドとなっております。事実、そうした事業を展開する企業の株価も強く買われて期待感を持って取り上げられています。

こうした状況を切り取って一例として取り上げるのならば、たとえば主要都市圏の携帯電話による位置情報を収集した移動データは匿名で収集され、感染症対策の根拠とされ始めています。また、我が国で有史以来の長きに渡り、行政等の書類の本人確認として利用されていた印鑑制度ですが、ついに行政を司る大臣の口から「承認システムを電子化して、印鑑を利用するのは辞めよう」といった趣旨の発言が出てくるようになりました。これらは、その大きな地殻変動の余震として兆候を見せ始めているのです。

まさに我々は、大きな変容であるパラダイムシフトをリアルタイムで目の当たりにしていると言っても、過言ではありません。黒船による欧米諸国からの外圧がかかった事を契機として近代化が一気に進んだように、戦後のGHQによる帝国主義教育からの脱却を受け入れ欧米諸国と並ぶ先進国として成長していったように、我々は数十年ぶりに変容を遂げようとしています。

このコロナウイルスによる厄災は、超保守的な日本人の行動変容のトリガーとなるべく、必要悪であったのかもしれません。極東の人口1億ばかりの老齢の島国は、この厄災を契機に目覚めていくための大きなチャンスを得ました。反対に言えば、何もしない人間はただ時代に取り残されていくだけでしょう。

さあ、あなたはこの混沌とした世界の中で、どのように行動して、どのようにサバイブしていきますか?未来を作っていくのは、他の誰によるものでもありません。そう、我々自身なのです。


皆様の未来に、健康と繁栄が続く事を此処に祈ります。

*1  そもそも、大企業の子会社というクラスの企業で、需要が高いため高負荷になる事が明確に予測でき対策も取れる状況なのに、可変的なアクセス負荷対策が取れるクラウドサーバを一時的に導入したり、もしく最初から抽選方式での商品販売の対処を提案するようなリテラシーのある担当者が存在しない事が、IT後進国である事を体現しており、本当に憂慮すべき事だと感じる。
*2  我が国では、一度ミスをしたら信用を失い二度と良い役職に這い上がれず再起の機会を与えられない厳しい処遇だった歴史がある。代表的なものが、自身のミスの責任を取るための切腹だ。現代においても受験や就職は、時期が来たらそうしたイベントは初回でクリアしないと機会的な側面で不利になる事が多い。さらに、未だに根強く残る風潮として、一度入社した会社に定年まで勤め続けて引退するという終身雇用というモデルが戦後の日本の代表的なスタイルだ。これは、武士が死ぬまで同じ主人に仕え、決して他の人間には寝返るような裏切りはしないという精神論に起因していると感じる。しかし、近年は雇用の需給バランスが雇用者有利に傾いている事や、転職による流動性が高まったり、ライフワークバランスなどの考えが若者を中心に強まってきた事もあり、こういった文化も徐々に緩和してきている。