ウンガラン、霧
INDONESIA
繰り返し見る夢がある
それは福岡の実家の玄関先で、季節はいつも冬だ
わたしが靴を履いて外へ出かけようとすると、横開きのガラスの扉に長身の男のシルエットが浮かびあがる
このシルエットは
父かー
父は7年前にわたしたち家族に見守られながらこの世を去っていったが、夢の中のわたしに、<これは夢である>と認識することはもちろん不可能なのだ
わたしの予感のとおりに、扉を開けて玄関前に姿を現したのは父そのもので、スーツを見事に着こなしている
長身で恰幅の良かった父
おそらく年齢は50代ころで、首にマフラーを巻いて、顔の表面の皮膚も艶々と輝いて見える
もっとも精力的で、脂がのっていた壮年期の父の姿だ
そこで父はもう何十年も前に止めた煙草に火をつけて、わたしを見下ろすようにこう語りかけるのだ
ー”しかし、えまちゃんは可愛いよなぁ”
えまちゃんというのは今年4歳になるわたしの姪のことで、7年前に他界した父は、もちろん彼女に会うことは叶わなかった
父はその一言だけをわたしに感慨を込めて呟いたあとに、さっと踵を返し去っていってしまうのだ
そしてその微かな激しさを秘めた父の挙措こそが、まさに父そのものなのだ
昨夏、この夢をみて目覚めたあとで母に送ったLINEの記録が今もわたしの手元に残っている
その後、帰国した際に実家で家族が集まって食事をとっていたときに、この夢の話が再度話題にもち上がった
わたしと同じく、5つ歳下の弟も稀に夢の中に父が出てくるというのだ
それは母や2つ歳下の妹の夢の中には決して父は現れないということの裏返しでもあり、この事実に関して、母は以下のような省察を持っていた
ー”息子たちの夢には現れて、妻や娘の夢には出てこないということは、お父さんはわたしたち(母と妹)には余計な悲しい思いをさせたくないのだろうね”
もちろんそれが真実を穿っているのかは誰にもわからない
ただ、このわたしが最近繰り返し見るこの夢には、実は短い続きがあるのだ
そしてその続きは、今日に至るまで家族の誰にも話していない
Ungaranは霧に包まれていた
Semarangから車で南へ約40km、火山でもあるアンガラン山の麓に位置する、標高400mの小さな田舎町だ
この週末はこの町に一泊するつもりだと同僚のインドネシア人たちに話すと、彼女たちの反応は冷ややかだった
ー”ウンガラン?あんなところに行っても何もないわ”
それはなんとなくわかっていた
以前、高原リゾートのヴァンドゥンガンに一泊した帰りに通ったが、ほとんど何の印象も残さないような、寂れ果てた町だったのだ
しかしそれでも、ブッキングサイトで宿泊施設を探してみると、意外にも1泊してみたいと思わせる、古いインドネシア風のVillaが見つかったのだ
悪くない
そう、悪くないのだ
この町には何も期待はしていないが、少し標高が高い位置にあるので朝晩は上着が必要な寒さらしい
普段の喧騒と暑さからしばし離れるのも、悪くない
Villaの周りには何もないのだろう
それならばそれで、散歩したり、ワインの一本でも持ち込んで、書物にふけるか、気の向くままに何か書けばいい・・・
陽が暮れる前に中庭の小さなプールで泳いだ後は、何もすることがなかった
散歩もしたが、敷地内には日本庭園を思わせる緑の庭や、苔むした石造りのVillaの各棟があるだけで1時間ほどゆっくり散策すれば他には何もない
何よりここは郊外の山の麓に位置しているので、宿を離れても、外は急峻な山道があるだけなのだ
ここウンガランが観光地として人を引き付ける魅力に乏しい町だとはわかりきっていたが、しかし宿泊客がわたしひとりということにも驚かされた
これまで世界各地で、ずいぶんいろいろなところに宿泊してきて、ここインドネシアでも気の向くままに短い旅行を繰り返してきたが、無人の、宿泊客がいない宿に泊まるのは初めての経験なのかもしれない
陽が落ちる頃に、受付の美しい魔術的な模様がデザインされたバティックを着こなした女性スタッフと小さなロビーで雑談していると、この近くに近年できた欧米資本のホテルにひとが流れてしまい、ここはいつでも閑古鳥が鳴いているらしい
しかし何とか経営が成り立っているのは、古くからのリピート客が何度も足を運んでくれるからで、そしてそもそもはVillaは家族連れの大人数(5人~10人)が一棟丸ごと貸しきって宿泊するのが常なので、わたしのようにひとりで泊まる客こそが珍しいのだという
加えて、敷地内にあるダイニングレストランの味に定評があり、宿泊せずとも食事だけの利用客が多いというのだ
ー”食事はそんなにおいしいの?”
おそらくはまだ20代の初めの若い女性スタッフに訊いてみると、彼女はぜひ食べてみて欲しいといういくつかの料理の名をあげてくれたので、それを記憶し、忘れないように口内で呟きながら、陽が落ち肌寒くなってきた外を歩きながら部屋へ戻る
山の夜は早い
18時にはすでに陽が完全に落ちきり、庭園灯がぼんやりと薄暗く緑を映えさせるだけだ
わたしはVillaのテラスに出て、備え付けの木製のテーブルとチェアに腰掛け、ビンタン・ビールを一本開ける
ビールは外から持ち込んできたものだった
6缶パックと赤ワインを1本、クラッカーを1箱
インドネシアはイスラム教のドグマに依り、教徒の飲酒が厳禁されているので町中でもほとんど販売されていない
加えてここは地方の、さらに奥に入った田舎なのでたとえ宿泊施設であっても、そこにビールを置いてあるという保証がまるでないのだ
そして標高400mとはいえ、さすがに夜は冷え込んだ
長袖のシャツの上にアウトドア用のジャケットを着こみ、よく冷えたビールを飲んでいると、神経が研ぎ澄まされたような感覚になる
だからというわけではないのだろうが
遠くのダイニングレストランから話し声やジャズが小さな音で聞こえてくる
それを聞いて、わたしはかなり安心した
なぜならこの日は宿泊客はわたしひとりで、もし敷地内のレストランがわたしが食事に来るためだけにスタッフがスタンバイし、コックが包丁を研いでいるのであれば申し訳ないなという気持ちがあったのだ
やはり受付の女性のいったとおりに、外部からお客さんが食事に来ているのだろう
ビールをさらに1本空け、部屋にウェルカムドリンクと一緒に置いてあった小さなポテトチップスをつまみながらテラスでぼんやりと過ごしているととりとめのない考えが浮かんでは消えていく
自宅からラップトップを持ってきていたので、こういう静かで落ち着いた環境の中で<note>の、いくつかの書きかけで凍結させてある文章を解凍して一気に書いてしまえばいいものの、まるでそのような気持ちにはならない
スマートフォンの電源も切ったままで、沢木耕太郎も読みかけのまま
やがて赤ワインを開けて、小ぶりのビールグラスに注いでゆっくり飲んでいると、やがて眠たくなってきた
時刻はまだ20:00
まともな食事もとっていない
しかし、いいだろう
週末の休暇を過ごすためにここに来ているのだ
眠たいのなら眠ってもいい
夜中に目が覚めて起きても、残りのワインを空けてしまって、また眠ってもいいのだ
そしてその晩、父がでてくるあの夢を、また見たのだ・・・
目覚めたのはAM5:00
結局、夜中に目覚めることはなく朝方まで深く眠っていたことになる
カーテンを開けても辺りはさすがにまだ薄暗く、東の方の空に僅かに明るさを感じる程度だった
テラスの窓を全開に開け放ち、朝の冷たい空気を部屋一杯に引き入れる
洗面所の冷たい水で顔を洗い、歯を磨いてから山の方へ散歩に出ることにする
宿の周辺に人けはなかった
これまで歩いてきたインドネシアの様々な土地での朝は、屋台では早朝から料理の仕込みで鍋からは湯気が立っていたり、香辛料の匂いが漂ってくるのがあたりまえの光景なのだが、ここウンガランの山間の集落では不思議と見る限り、屋台がまったく見当たらないのだ
急峻な山道を登ると、山々には深い霧がかかっていたが、やがて陽が昇り始めると霧は薄くなり、やがて霧散していった
それは幻想的な光景の朝だった
少なくともここインドネシアでは体験したことのない特別な静謐さを持つもので、まさかここウンガランでこのような朝を迎えることができるとは予想できなかった
小川の水に触れるとキンとするほど冷たく澄み、森の中では様々な種類の野鳥の鳴き声が聞こえてくる・・・
父が出てくるあの夢をみたのは何度目だろうか
2度、いや今回で3度目か
全く同じ内容の夢を、昨夏から3度も観るということは、何かを示唆しているのだろうか
たぶん、何も示唆していない
いわゆるスピリチュアルに全く関心がないわけではなく、運命の神秘性を信じる下地くらいはわたしの中にもあると思うのだが、歳を重ねるごとに、不思議とその手の話を聞いたり読んだりするのが億劫になってきているのだ
特別隠すことでもないのだが、冒頭に書いた夢には小さな続きがある
踵を返して颯爽と去っていく父の背中を、わたしは慌てて追いかけるのだ
福岡の実家の玄関の脇には、コート掛けとも呼べない小さな衣類掛けがあるのだが、わたしはそこから自分の厚手の黒い上着とマフラーを取り、それらを身に着けないまま手に持って急いで父を追うのだ
やがて通りで父に追いつき、肩を並べて一緒に歩こうとすると
父からかなり厳しい拒絶にあうのだ
ー”戻りなさい”
お前は、戻れ、と
なぜこのことを意識的に母に話さなかった理由は自分でもよくわかる
それが夢の中にいるという自覚はないにせよ、死者についていくという行為自体が、あまり好ましくない種類の連想を想起させてしまうからだ
あの優しかった父がついてこようとするわたしを厳しく拒絶する
その行為自体が、つまり生きなさいとか、まだこっちに来るのは早いと父から言われているかのような暗示を生み出すのだ
それはあたかもわたしが死か、あるいは得体の知れない何かに魅了されているとでもいうように・・・
馬鹿馬鹿しい
早朝の山道をVillaに向かって戻りながら、やはり今回も夢の続きの話は母には伏せておこうと考えながらエントランスに戻る
すると、昨日受付にいた女性がちょうどバイクに出勤してくるところに出くわし、恋人と思しき運転席の男性の背から降りたところで、彼女はわたしを認め、こういった
ー”ミスター、ずいぶん早起きですね。昨日はよく眠れましたか?”
時刻はまだ6:00にもなっていない
ええ、と答え朝食は何時からと彼女に尋ねる
すると彼女は何かを思い出したような顔つきになってこういった
ー”ミスター、昨夜はうちのレストランで食事はなさってないでしょう?どうされたんです?”
缶ビールを2本とワインを1杯だけ、と答えると彼女は驚きこう続けた
ー”それはいけません。早速用意させますのでレストランに向かってください。本当は7:00からなのですが大丈夫です”
これが日本のホテルであれば、ここまで融通は利かないのだろう
すべてが合理性のうえに成り立ち、そのための準備と配置を行っているに違いないからだ
しかし、この宿の、この柔軟さはいったいどうしたことだろう・・・
日本のホテルを決して否定するわけではないが、海外の多くのホテルは部屋の準備さえ済んでいれば、チェックインさせてくれるところが多い
彼女の温かさに感謝し、部屋でシャワーを浴びてそのままダイニングへ直行する
父の夢をみた朝は、なぜかいつも異様にお腹が空いているのだ
それは普段は朝食をとらないわたしの習慣では考えられないことなのだが、急ぎ足で向かい席に着く
朝食はもちろんビュッフェ形式ではなくアラカルトだったので、メニューを仔細に検討したうえで、まずは珈琲ではなく紅茶をポットでもらい次々とオーダーをする
それでも全然足りないので・・・
全てに深く満足し、受付の彼女に御礼をいいに席を立つ
ところで父はこれからもまた夢に現れるのだろうか
わたしとしては、どちらでもいい
ただもしもまた出てくるのであれば、たまにはシチュエーションや登場人物を追加でキャスティングしてもらいたいものだ
もちろん、そのようなことを望んでも無駄だということはわたしも承知しているが
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