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生き方

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#生き方

私の死生観

私の死生観

私が死を考えるきっかけとなったのは20代後半で見た叔母の死でした。叔母は40代で乳癌を患い、回復したものの、8年後に転移し帰らぬ人となってしまいました。叔母の最期は壮絶なものでした。激痛に震え、ベッドの手すりを力の限り握りしめ、モルヒネを打たれながら旅立ってゆきました。

癌ということは最後まで知らされていませんでした。でも、病気のことは聞かず弱音もはきませんでした。最後まで生きようと必死でした。

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カウンセリング心理学② 認知行動療法

カウンセリング心理学② 認知行動療法

認知とは、人間が自身の五感を通じて外部からの情報を受け取り、それを理解し、意味を付与する過程のことです。私たちは日常の生活の中でいろいろなことを判断していますが、強いストレスなどでその判断に狂いが生じることがあります。認知はその時々の感情や行動に影響します。

現実にそぐわない極端な判断をしてしまうと気持ちがつらくなったり不適切な行動をとるようになることがあります。

認知の偏り
認知がマイナスに

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花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき

花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき

私の好きな詩の一つに
「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」
があります。「放浪記」で有名な林芙美子さんの詩です。

高校生の時に国語の先生から聞いたのが最初だったと思います。
長いあいだ二行の短い詩と思っていました。ところが、
以前にこの詩について調べた時に、こんな記事に行き当たりました。

2009年9月5日の時事通信によると、

詩は全部で12行あり、贈られたお相手は赤毛のアンの

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ブッダのことば 犀の角(拡大版)

ブッダのことば 犀の角(拡大版)

スッタニパータは仏教の最初期のパーリ語による経典です。スッタは経、ニパータは集まりを意味し、経集を意味していますが、翻訳は『ブッダのことば』として一般にしられています。数多い仏教の経典の中では最古の資料であり、ブッダの思想を色濃く伝えるものと考えられています。

インドにいる犀の角は一本でそれほど硬くないそうです。そのため闘争の武器にはなりません。でも、体は大きいので他の動物が向かってくることはあ

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方丈記 鴨長明

方丈記 鴨長明

あることがきっかけで3年ぶりに読み返してみました。

一切の万物が生滅変転して、常住ではありません。この世におけるすべてのものは時とともに移り変わって、同じ状態にとどまることはありません。
ひとの心も住むところもまた同じ。私はこのすみかとは人が住むところというより、心の居場所ではないかと思います。
長明はこの世の生きずらさの中で、安らぎの場所、自分の心の居場所はどこにあるのかを追い求めた、そういう

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置かれた場所で咲けなくてもいい

置かれた場所で咲けなくてもいい

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。
私たちは生まれた時にこの場所にたまたま置かれています。
この場所に自ら望んで置かれたわけではありません。
そんな場所で、一生懸命努力して咲かなければならないのでしょうか。

今、自分がどんな場所に置かれ、どんな状況にあるかは一時的なものです。
会社でも学校でも一生続くものではありません。たまたま居心地が悪ければ変わることもできます。別にそこではな

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生き方 心の内側を素直に話してみる

生き方 心の内側を素直に話してみる

人には自分のことを自ら話すタイプの人と、自分のことはかたくなに話さないタイプの人がいます。私はこういう人だと早く知ってもらいたいので前者のタイプです。こういう人は何を考えているのか比較的わかりやすいと思うのですが、後者のタイプは、どんな人なのか最初はわかりづらいのかもしれません。

自分のことを進んで話さない人は少しプライドがあって、軽く見られたくないという気持ちがどこかにあるのかもしれません。ま

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はじめての哲学

はじめての哲学

今、哲学の本を読んでいます。

 そもそも、人間てなんだ?という問いは以前から持ち続けていました。当初は、生物学やヒトの進化について学んでいました。それから宇宙論へ向かい、そのあと脳科学へ。こういった自然科学的なアプローチではヒトというのがどういった生き物であるかはわかりますが、人が生きる意味などについては何ら語ってはくれません。

自然科学では人が生を営んでいく上での世界像はつくりえないのです。

はじめての哲学 私の物語

はじめての哲学 私の物語

 人間は、他人や自分に対して物語ることによって、自分自身の世界像を確認しているようなのです。

 私の物語は、どこかに正しい物語があってその生き方を求めてしまいがちです。そうではなく、どういう考え方をすればいい生き方ができるかと発想することが大切。そして自分を否定するような考え方はしないこと。私は何がしたいのか自分によく尋ねてみれば、何か曖昧だった私の物語もはっきりしてくるかもしれません。

参考

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はじめての哲学 自分探し?

はじめての哲学 自分探し?

 養老孟子 「自分」の壁 では人生には世界の基準、物差しがあるべきなのにそれが揺らいでしまっているとあります。

 人間というのは一人一人がそれぞれの世界像をもっています。その世界像に方向づけられて生きているので、自分の世界像が危機に瀕したときそれを見直す必要にせまられます。このときに役立つのが哲学ではないかと思います。

 私とは何かについて他人や自分に対して物語る場面で私たちは自分の世界像をつ

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独学のすすめ 独学大全

独学のすすめ 独学大全

今日は独学についてのつぶやきです。

 「独学大全」 読書猿 著によれば、どのように学ぶかよりも何を学ぶかが大事だし、何を学ぶかよりも学び続けるか否かの方が重大だ。とあります。継続することができなければ学びは進みません。

 私の考えでは学びの下地は読書ではないかと思います。私も読書するのは苦手で、本を読むようになったのはここ10年くらいです。短編小説や実用書などの短いものから始めたように思います

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ブッダのことば 慈しみ

ブッダのことば 慈しみ

数多くの仏教の経典の中で、スッタニパータはもっとも古い経典の一つです。そのため後世の経典に見られるような煩雑で難解な教理はありません。ひとりの人間として生きる道が語られています。教祖であるとか宗教だとかいうことなしに、一人の人間として思想家として私淑するひとりです。

スッタニパータの慈しみからのことばです。

143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである

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生き方 ゲシュタルトの祈り

生き方 ゲシュタルトの祈り

私は私の人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
私はあなたの期待に応えるために、この世に生まれたのではない。
あまたも私の期待に応えるために、この世に生まれたのではない。
あなたはあなた。私は私。
もしふたり、心が通い合うことがあれば、それは素晴らしいこと。
けれどももし、わかり合えないままであっても、
それはそれで致し方のないこと。
                  フレデリック・パール

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「老師と少年」 南直哉

「老師と少年」 南直哉

今回は南直哉和尚さんの「老師と少年」について考えてみます。
少年は死ぬとはどういうことかが知りたくて老師のもとを訪ねます。

前夜

少年
「なぜです。みんなが考えるべきこと、考えなくてはいけないことではないのですか?」
老師
「そうではない。考えてしまう人と、考えなくてもすむ人がいるだけだ。そして考えなくてもすむ人が、世の中の仕組みをきめていく。その世の中で、考えてしまう人は迷い、遅れ、損をする

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