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方丈記 鴨長明
あることがきっかけで3年ぶりに読み返してみました。
ゆく河のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
一切の万物が生滅変転して、常住ではありません。この世におけるすべてのものは時とともに移り変わって、同じ状態にとどまることはありません。
ひとの心も住むところもまた同じ。私はこのすみかとは人が住むところというより、心の居場所ではないかと思います。
長明はこの世の生きずらさの中で、安らぎの場所、自分の心の居場所はどこにあるのかを追い求めた、そういう気がします。
今、私にもそういう心の居場所が一つあります。そこではなぜかくつろげます。素の自分に戻れます。人の家なのに。
それ、人の友とあるものは富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしもなさけあるものと、すなほなるものとをば愛せず。
今の世の中においては人の友達になるためには先ず何よりもお金持であり、その人になれ親しむということでなければならず、必ずしも情に深くて素直であるということは必要とされない。
現代の社会でも同じようなことが言えます。何事にも損得勘定で決める人たちが多くなってきました。目先の利益を優先させる人が多い。友達も計算ずくの表面上の付き合いだったりします。長明は言います。
「そんな友達なら作らないほうがましだ。」と。
友達って何でしょうね。素直に心で結びつくものではないでしょうか。なろうと思ってなれるものではありません。本当の友達を作るのはとても難しいことです。
長明は孤独を選びました。私も生きてゆくことは孤独なのだと思っています。
ブッダの教えにスッタニパータという聖典があります。数多い仏教の経典の中で最も古い経典であり、人間として生きる道が具体的に語られています。
その経典の中に「犀の角」という章があります。
75 今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益を目覚さない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間はきたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。
40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
36 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍の生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
古典には生きるための道しるべがたくさんあります。
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