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日本人の僕が外国人チームを受け持った結果…

私が外国人チームのマネージャーをすることになったのはまだ日本で働いている時でした。

当時の上司に今後のキャリアとして日本国外でマネジメントの経験がしたいという希望を伝えたところ、想像以上に話が早く進み、翌月にはオーストラリアへの転籍が決まっていました (簡単な自己紹介は以下の記事を参照ください)。

トントン拍子でいいじゃないかと思われましたか?確かにそうですよね。私もキャリア相談の時は炭治郎のように希望や期待に胸を躍らせていました。しかし、いざ社内転職が決まると、異国でしかも第二言語で本当にチームを取りまとめられるのかという不安に駆られ、善逸ばりに情緒不安定になっていました(善逸との違いは寝ても問題が解決していなかった点)。

平たい顔族の安心感

不安を解消するための効果的な方法として、まず不安の正体を知ることが挙げられますが、私の場合は不安の大半が英語力の無さから来ていて、この点に関しては一朝一夕で解決されるものではないということも理解していました。

そのうえで、ネイティブ(上弦の鬼)にはそもそも英語力で敵わないと割り切り、英語力以外の強みに焦点を置くことで不安を軽減させていました。ただ、英語力以外の面でも不安要素はたくさんあり、その一つとして「外国人の見た目」がありました。要するに風貌にビビっていたのです。

イメージ図。ではありません

私は当時オーストラリアと韓国の2チームを受け持っていたのですが、韓国チームは見慣れた東アジア人の容姿である一方、オーストラリアのチームはコーカソイド系の方が多く、平たい顔族の私とは真逆の顔をしていました。英語という同じ言語で話していても、韓国チームには比較的リラックスして話せる一方、オーストラリアのチームに対しては緊張している自分がいました。

罪深きルッキズム(Lookism)

これは後々気付いたことなのですが、私はこの時無意識のうちに日本で培われたルッキズムの影響を受けていたのです。日本では文明開化などの歴史的な背景やメディア、大衆文化の影響もあり、長らく西洋の美を理想としてきました(現在進行形)。

具体的には背が高い、目がぱっちりしている、鼻が高い、手足が長いなどの身体的な特徴を美とするものですが、日本ではこの西洋の美をベースにした外見重視=ルッキズムが少し行きすぎている傾向にあります。

こちらはイメージ図

その一例として、「残念ハーフ」という言葉があります (意味の説明は割愛)。この言葉の前提にあるのは「ハーフだから西洋人のように格好いい、綺麗なはず」という勝手極まりない美意識ならびに期待値ですが、こういった表現からも日本において西洋の美をベースにしたルッキズムがいかに重視されているかを垣間見ることができます。

そして、その極東の島国で生まれ育った私も残念ながら例外ではなく、オーストラリアのチームを受け持った当初は西洋人の容姿に対してある種の劣等感のようなものを無意識で感じ、萎縮していたところがあったのだと今振り返ると思います。

アンコンシャスバイアス

さて、無意識という言葉を意識的に何度か使いましたが、この無意識の偏見を英語ではアンコンシャスバイアス (Unconscious Bias)と呼びます。最近では日本のメディアでも耳にするようになりましたね。

【アンコンシャスバイアス】過去の経験や知識、価値観を通じて本人が気付かないうちに身に付けた無意識の偏見や先入観で、人の行動や意思決定に影響を与えるもの。

海外で仕事や生活をしていると、慣習の異なる人とやり取りする機会が増えるため、ふと自分の持っているアンコンシャスバイアスに気付く機会があります。例えば、人生最後のご飯にコーンフレークを食べてもいいんだと気づいたり(いや、やっぱ嫌か)。

私の場合、特に仕事を通じて上司/管理職のスタンスに無意識の先入観を持っていたことに気づく機会が多くありました。

M1優勝者ミルクボーイは日本人のアンコンシャスバイアスを狙ったに違いない

上司であって上司でない

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
我らが誇る諭吉先生の一節はあまりにも有名で、日本人の価値観に深い影響を与えていたりいなかったりします (厳密に言うとこの一節は彼の本の中で一般論として紹介されただけですが)。ただ、一つ言えるのは、日本人は仕事においては人の上に人をつくりたがるということです。

日本においては何かと上長の承認がないと先に進めないような仕組みが作られ、上司に対しては少し改まった話し方になり、更にはチームイベントや飲み会は何かと上司の一言から始まります。

日本の階層社会においては、歳や役職に応じてそれ相応の振る舞いをすることを暗に期待しており、上司は上司っぽくしなければならないのです(これ本当に嫌だった)。一方、欧米では評価者である上司に対してある一定の配慮はあれど、基本的には職種が異なるぐらいの認識しか持っていません。

クリスマスパーティではしゃぐ役職上は偉い人達

弱みは強み

さらに、欧米では自分の苦手なことや苦悩などの弱い部分(英語ではVulnerability)をあえて共有したりもします。当たり前ですが、どのような役職に就いている人も最終的には人間で、各々悩みを抱えながら生きています。

上司から積極的に弱い部分をチームメンバーにさらけ出すことは、その人の人間的な部分を見せることにあたり、結果として相手に安心感を与え、ひいてはより良い信頼関係の構築に繋がります。またグループにおいて心理的安全性を高めることは生産性の向上にも繋がります。

※何でもかんでも共有すればいいということではないのでご注意を。詳しくは下の記事を参照ください。

Call to Action - さぁ行動に移そう

では何をすればいいのか?

答えは簡単です。相手の見た目に関わらず一貫した態度を取り、できれば自分の弱みもシェアしてみましょう。今までより効果的に信頼関係を築けるはずです。

心の中で「〜なのに」と感じたら、それはアンコンシャスバイアスが影響しているサインかもしれません。一度立ち止まって自問自答してみましょう (男性なのに、女性なのに、大人なのに、子供なのに、平たい顔族なのに、、etc)。

最後に、ネイティブを上弦の鬼と呼ぶのはやめましょう。

無惨様(偏見)はあなたの心の中にいます。

※ここでの意見は個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません。

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