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ベケット

『文通』
 
蠱惑的な響きである。私はしたことがある。しかも想い人と。それだけで人生勝組宣言を発布できるのではないか…?儚くも甘酸っぱい手紙のやり取りを私は期待した。でも現実は非常だった。例えば私がこんな文面を送ったとする。
 
『テニス、好きなんだね!私も最近テニスの王子様にはまってますw
推しはありきたりながら不二くんですꈍ◡ꈍ
実は…テニプリもミュージカルやってるんだよ!私も最近まで知らなくて…´•̥ ω •̥`
いつか行ってみたいなぁと思う今日この頃です˙ᴥ˙』
 
実際はもっと長く、顔文字と色使いが潤沢なのだが羞恥心の都合上割愛してる。こうして見ると、鼻の下をのばした中年が女子高生に下着の色を聞いてるような文面になるのは何故だろう。
この返信は以下
 
『生憎僕はしがないプレイヤーで、その漫画を読んだことは無い。観劇が趣味と言ったけど、ミュージカルは興味がない。エリオットは良い、だがキャッツは好まない。そもそも僕は音楽を聴かない。何故なら、僕は日々音楽を聞いているから。衣擦れ、換気扇、時計の針、そして呼吸音。すべての環境音は音楽だ。音楽家とやらが音を並べた音楽に、僕は余り惹かれない。
話を戻すと僕が好む演劇はシュールレアリスムだ。ベケット、イヨネスコ、アラバール…この国ではシュールをコメディ様式の一つと捉えがちだが、実際は違う。神という規範の否定、それがシュールレアリスムだ。香川さんはどう思う?テクノロジーの発達した現代、本当に僕たちの心に神は必要なのだろうか?』
 
最初の一行で致命傷、二行目で致死量である。温度差たるや。もう滅びてしまいたい。そして彼が何を言ってるのかさっぱり分からない。私は市で一番大きい図書館に走り、借りれるだけの本を借り、自室に籠城する。そして決死の返信は以下
 
『うん、ニーチェは神は死んだって言ってるしねʕ•ﻌ•ʔฅ
エリオット!荒地は名作だよね。猫も、街中で見る方が好きだなぁ。
私も実は音楽聞かない!何事も自然が一番だよね ´ ꒳ `
シュールレアリスム、私も興味あったんだ!恥ずかしながら勉強不足でベケットしか知らないのだけど…よかったら今度詳しく教えてください💦
内海くん、多趣味だよねぇ…演劇を観に行くなんて私はしたこと無いです…。初めての環境に一人で飛び込むのって、何だか勇気がいるんだよね…。内海くんの向上心とか、行動力、とても尊敬します!
ところで…内海くん、おすすめの劇場とかあるのかな?私演劇にそこまで詳しくなくて…良い所があったら教えてほしいです!』
 
我ながら涙ぐましい。お察しの通り、この文面の駆け引きも全て空振りに終わった。次第に私の文面から顔文字や色味は消え、言葉遣いを矯正、親に無理やり習得させられた書道特待生の腕前を遺憾無く発揮し、武将の様な手紙を書くようになった。その方が内海くんと釣り合ってる気がしたから。
 
『連日世情を騒がすタピオカなる流行の反復、愚の骨頂に思い致す』
 
結果、オタクみたいな文章になった。


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