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思考の集積

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知識や思考のあれこれをまとめています。知的好奇心の赴くままに。
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記事一覧

能動的に受け止める

能動的に受け止める

この世のほとんどの物事は、受け手がどう捉えるかがすべてーーそんなふうに思うことがあります。

たとえば学校の授業。

同じ授業でも、身を乗り出すように取り組み、内容を貪るように学習する意欲の高い生徒と、
席には座っていても、心ここに在らずの生徒とでは、その意味合いはまったく異なるものになるでしょう。

犬も歩けば棒に当たる。

外に出れば何か災難に遭う、という原義で捉えるか、
外に出れば何か貴重な

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ちゃん

ちゃん

今回は、ちょっと短いのですが、人の呼び方について。

唐突ですが、僕は「ちゃん」づけで人を呼ぶのが苦手です……。
老若男女問わず、○○ちゃんと呼ぶのが苦手です。
いい大人が、「ちゃん」づけが苦手っていうのもちょっと変な気がして、少しコンプレックスでもあります。

思えば、これは小学生くらいからずっとそうでした。
なぜなんだろう。

というわけで、「ちゃん」について少し考えてみます。

漠然としたイ

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三元的オリジナリティ

三元的オリジナリティ

何かを創作するとか、研究するにあたって、おそらく最も価値を置かれるのが、オリジナリティ(独創性)。
新しいものを創り出すことに関わったことがある人であれば、誰でもその大変さを感じたことがあるでしょう。

僕は、そもそも完全なオリジナルはないと考えています。

それは、「もうこの世にはオリジナルが生まれ得ないほどのコンテンツが出揃っているから」ではなく、
「自分のオリジナリティを支えているのは他者で

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「公務員」から「学校職員」へ

「公務員」から「学校職員」へ

今年、転職活動をしました。

公立学校の教員から、私立学校の教員へ。

結局教員なので、全然「転職」という感じはしませんが笑
それでも、職業欄にはもう「公務員」とは書けなくなります。

今回は、僕の公立→私立の転職活動について、書ける範囲でまとめます。

動機

きっかけとなった出来事は特にありません。
自分のやりたいことを自由にやろうと考え続け、徐々に私立に心が傾いていった感じです。

僕の人生

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今、信頼

今、信頼

僕は物語が好きです。
幼い頃から物語を聞き、読んで育ってきました。

そして今は、人間とは「物語る存在」であると考えるまでになり、
自分でも物語を書いています。

どのような物語が好きかとか、
影響を受けたとか、
そういうのを語るのは
次の機会にして(なぜ)、

今回は、再び訪れた信頼の時代について少しだけ考えてみます。

何かを書こうという意志は、それを他者に伝えたいという欲求と表裏一体です。

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「考える力」をつける方法②

「考える力」をつける方法②

以前、
「考える力」をつけるためには筋トレと同じで負荷をかける必要がある
ということを記事に書きました。

そして前回、そのための方法①を紹介しました。

今回は方法②です。
それは、具体化/抽象化です。

具体化と抽象化

我々は、常時無意識にこの具体と抽象を行き来しています。

仕事のメールが複数届いていれば(具体)、今日は忙しいなと思うし(抽象)、
目の前に車がたくさん並んでいれば(具体)、

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「考える力」をつける方法①

「考える力」をつける方法①

以前、
「考える力」をつけるためには筋トレと同じで負荷をかける必要がある
ということを記事に書きました。

とはいえ、高校で授業をしていても、
「考えようにも、そもそも何をどう考えたらいいかわからない」
という生徒が多いです。

何か文章を読んだり、絵画や音楽、映画やアニメを鑑賞したところで、
その作品についてとか、テーマについてとか、
誰かに質問されることなく独りで何か考えることができる人は稀で

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予備校に通わず受験に成功する方法

予備校に通わず受験に成功する方法

この記事は、偏差値70強の進学校に勤めた経験のある高校教員が、進路指導を通して得た知見をもとに、現在の自分に考え得る最善の「受験成功論」を記録しておこうと思い立ち、書かれたものです。

10年後に見返したら、制度も考え方も180度変わっているかもしれません。
むしろそうあってほしいところです。

すべての保護者、そして自分を高めたいという欲求のあるすべての人に向けて書いていますが、
子どもを教育す

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「先生」という一人称

「先生」という一人称

日本語の一人称は多様です。
私、僕、俺、あたし、わい、わし、自分、うち、吾輩、俺様、朕(?)……
自分の名前で呼ぶこと、相手との関係性で呼ぶこと(パパ、ママなど)も含めれば、無数にあります。
これらを英訳すると、すべて"I(アイ)"になります。

こうした一人称の多様性は、日本語の立派な個性でもあります。
相手との関係性を強く意識する文化。
敬語の文化とも繋がっています。

一人称が変わると、その

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「受験はゴールではない」はなぜ綺麗事に聞こえるか

「受験はゴールではない」はなぜ綺麗事に聞こえるか

高校で教員をしていて、気づいたことがあります。
それは、「受験勉強」と「学校の勉強」に対する認識が学校側と生徒側でズレる理由です。

皆さんは、この2つの「勉強」の関係について、どう考えますか?

「受験勉強と学校の勉強は別物」
「学校の授業だけでは受験に合格できないから、予備校に通う必要がある」

一般にはこうした考え方が散見されます。
多くの人は、「受験は受験、学校は学校」と割り切っているよう

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未来開示請求

未来開示請求

ふと思った。
「未来開示請求」ができるとしたら、どれくらいの人がするだろう。

あなたは、自分の未来が開示できるとしたら、しますか?
それとも、未来は知らない方がいいと思いますか?

そもそも、未来は自由に創造していくものだと考えますか?
それとも、未来はすでに決まっていると考えますか?

大昔から、
「人間には自由意志がある(から未来は決まっていない)」派 vs 「未来はすでに決まっている(から

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「事実>理論」の落とし穴

「事実>理論」の落とし穴

現代はエビデンス主義全盛時代。
どんなことを述べるにも、
「データは?」
と詰められる。

データは非常に大事です。
正面からは見えないこと、そもそも人の目には映らないことを可視化してくれる。
主観の中に、客観性をもたらしてくれる。
そういう意味では、なくてはならないと思います。

しかし、それが全てではない。
「データがあれば正しい」というわけではないし、「データがなければ誤っている」というわけ

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なぜBは死んだのか

なぜBは死んだのか

学校の国語の授業では、「なぜ」と問うことがあります。

物語で、「なぜ〇〇は××したのか」。
評論で、「〇〇を××というのはなぜか」。

「なぜ」は飛躍を埋める問いです。
〇〇と××の間にいくらかの飛躍があるとき、それが問われる。
その飛躍を、「〜から」と埋めるのが解答者の役割です。

僕は、この「なぜ」の問いはかなり慎重に扱わなければならないと考えています。
なぜか。
問い自体が攻撃的な側面を持

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因果と相関と

因果と相関と

因果関係と相関関係は、混同されやすい概念です。
因果は原因と結果。Aの結果、Bが起こるという論理。A→Bという一方的な関係。
かたや相関は、値の相互変動。Aが変わればBも変わるという論理。A↔︎Bという双方向の関係。

たとえば、文科省が出している「朝食摂取と学力調査の平均正答率との関係」について。

これはどちらか。

確かに、朝食摂取率と学力には関係がありそうです。
しかし、一概に朝食を摂った

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