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予備校に通わず受験に成功する方法

ある生徒と担任の会話。

生徒「この大学受けます」
担任「(ちょっと高望みだな……)どうしてこの大学なの?」
生徒「親と塾長に受けろと言われたので」
担任「え? 君はどこを受けたいの?」
生徒「わかりません」
担任「ほかの大学は調べた?」
生徒「調べてません」
担任「この大学には実際に行ってみたりした?」
生徒「いいえ」
担任「それで、本当にこの大学受けるの?」
生徒「わかりません」
担任「君はどうしたいの?」
生徒「……」

数日後、保護者から電話。
「担任の先生から問い詰められたのが怖くて学校に行けなくなりました。大切な受験期に、なんてことをしてくれたんですか」

結果、生徒は受験したすべての大学に落ちた。

この記事は、偏差値70強の進学校に勤めた経験のある高校教員が、進路指導を通して得た知見をもとに、現在の自分に考え得る最善の「受験成功論」を記録しておこうと思い立ち、書かれたものです。

10年後に見返したら、制度も考え方も180度変わっているかもしれません。
むしろそうあってほしいところです。

すべての保護者、そして自分を高めたいという欲求のあるすべての人に向けて書いていますが、
子どもを教育するにあたり、漠然とした希望(野望?)を持っている方、たとえば

「灘や開成などに行ってほしいとまでは思わないけど、地元のトップクラスの公立高校に行ってくれたらいいな」

「できれば現役で国立大学に行ってほしい、もし私大に行くなら早慶、MARCHくらいまで頑張ってほしい」

といった思いを持っている方には特に役立つかもしれません。

さて、冒頭のエピソードですが、みなさんはどのように思われますか?
残念ながら(?)、僕自身の体験談ではないのですが、似たようなことを言う生徒は毎年必ずいます。
そして、これこそ、僕が進路指導において最も問題だと感じているところにほかなりません。

塾や予備校に通う目的再考

塾や予備校に通う目的は、ほとんどの場合が「受験対策」になると思います。

では、受験で成功する目的は何か。

保護者の視点から考えると、「自分の子どもには、いい大学に入っていい就職先を見つけていい人生を送ってほしい」といった、漠然としているが、だからこそ人生を貫く強い願望がそれなのではないでしょうか。

たとえば、「いい大学に入るための支援なら金に糸目はつけないぜ」の精神で出資できるなら、それも手なのかもしれません。

しかし、塾や予備校に通うのにいくら費用がかかるか、ご存知でしょうか。

平均的には、
中学の塾で年間20〜30万円
高校の予備校で100万円前後
と言われています。

あくまで平均ですが、もしこれを各3年間続けると、
中学で60〜90万円
高校で300万円前後
になります。
合計すると、350〜400万円ほどになります。

一方で、やろうと思えば自力でなんとかしてしまうこともできる。
受験のためだけにこの金額をかける意味が、本当にあるのでしょうか。

しかも、僕の考えでは、予備校に頼らずに進んでいく方が、より強い達成感を得られるうえ、成功するための力がつきます。
むしろ、金額の差よりも、そちらの差の方が大きいと思います。

受験に成功するために必要な力

僕は、進学校に5年間勤めました。
そこで出会ったたくさんの生徒、保護者。
当然、受験に成功する人もいれば、失敗する人もいます。

5年間の受験指導の中で、僕はあることに気づきました。
(運の要素を排したとして、)受験に成功する人には共通点がある
また、その成長過程や保護者にも共通点がある

これから、自分の受験経験、そして進学校での指導経験をもとに、「受験に成功するために必要な力」を4つ挙げます。

それさえあればうまくいくと僕は本気で思っています。

さらに、力のある生徒の成長過程、保護者が持つ共通点についても言及します。
幼児期の過ごし方、小・中学校での様子、高校での様子。
それぞれについて記します。

ただし、これさえ読めば「楽に」受験を突破できるといった「特効薬」のような内容ではありませんので、その点だけご了承を。

まず、前置きとして、「受験勉強」と「学校の勉強」の関係についての考察したので、よければご覧ください。

この中にも書きましたが、基本的に受験は演繹思考で考えます。
それゆえ、志望校、志望学部を設定するのは絶対条件です。

しかし、そんなことは受験生であれば誰でもやっていること。
それでうまくいくのであれば、おそらくその人には「必要な力」がすでに備わっているということです。

では、その力とは何か。
最も大切なことから挙げていきます。

①考える力

拍子抜けされるかもしれませんが、
間違いなくこれが最も重要です。
綺麗事や建前ではなく、僕は本気で信じています。

ここでは、「思考の基礎体力」と言い換えてもいいかもしれません。

誤解のないようにいうと、「入試本番で考える力」のことではありません。
「入試までにどれだけ成長できるか」を決定するのがこの力です。

スポーツでたとえながら、話を敷衍していきます。

入試とは、スポーツでいうなら試合のことです。
その日、いかに相手を出し抜き、得点するか。
ただそれだけです。

入試がスポーツと違うのは、
「その場しのぎの知識や技術だけで勝つことが可能である」
という点です。

バスケやサッカーだとわかりやすいのですが、最後に勝つのは「走り切ったチーム」です。
いくら得点する技術に長けていても、最後まで全力で走り切ることができなければ、やがては負けてしまいます。

ところが、入試で必要なのはとにかく早く正確に解く技術

どれだけ単語を覚えているか、どれだけ適切な公式を使えるか、どれだけ減点されない記述ができるか。
これは一種のゲームであって、その人がどれだけ立派であるとか、地頭がいいかとかはほとんど関係ありません。

だから、塾や予備校は入試には有効なのです。
そこで提供される細かな知識や小手先の技術は、入試を越えてしまえば何の役にも立たないけれど、入試では確実に力を発揮する。
これは、ゲームの各ステージの攻略法を教え込んでいるようなものです。

対して、僕が提案するのは、

「ゲームの攻略法を誰かから教えてもらうのではなく、自分で収集し、蓄える方法」

と言えるかもしれません。

入試を突破するためには、攻略法はあるに越したことはない。
というより、競争相手のことを考えると、もはや必須です。
しかし、「思考の基礎体力」さえあれば、それは自分で学べるし、身につけられる。

スポーツでいえば、「試合を乗り切る体力をつけよう」というよりも、

「練習を充実させ、自らを成長させるために必要な基礎体力をつけよう」です。

まだわかりにくいと思うので、もう少し噛み砕いて。

思考力とは、筋力に見立てることができます。
負荷をかけることで、それらは成長します。
このとき、筋肉であれば傷つき、筋肉痛が生じます。
頭も、使いすぎるとぼうっとしたり、頭痛が起きたりしますよね。一緒です。

つまり、頭の筋トレを繰り返すことで、多少の痛みは伴いますが、筋肉と一緒で、確実に思考の基礎体力はついてきます。
すると、「考える」ということができるようになってきます。

何を当たり前のことを、と思われるかもしれません。
しかし、実際にみなさんはどれだけの思考力を持っていますか?

試しに、次の問題について考えてみてください。
時間制限はありません。

<問>
真の平等とは何か?
「機会の平等」「結果の平等」の両方の観点を盛り込み、あなたなりの意見を論理的にまとめてください。



……
いかがでしょうか。きつくありませんか?
実は、多くの人が、ひとつの問題についてじっくり考えることができません。
まして、答えをまとめることができる大人はものすごく少ない。
高校生も同じです。考えられない人が驚くほど多い。
考え始めると、頭もだるくなってくる。
それは、単なる筋トレ不足なのです。

ほとんどの入試は、この「考える」部分を軽視(あるいは無視)して、知識と技術で戦う場になっています(ただし、上位の学校ほどそうもいかなくなってきますが)。

上記のような問題が出たとしても、受験の訓練を 受けていれば、「浅い思考」で十分な解答が可能です。

しかし、教科に限らず、そもそも自分で考えることができなければ、より長い目で見たとき、大きな成長には繋がらないし、最終的な「コスパ」が悪い。

改めて、ここで僕が重要だと述べているのは、即座に答える反射神経でも、解答の型に沿った浅い思考でもなく、
時間をかけて内容を深められる思考の基礎体力のことです。

では思考の基礎体力を向上させるにはどうすればいいか。
単純です。負荷をかけるのです。

たとえば、学校の授業というのは、残念ながらほとんど受け身で乗り切ることができます。
どれだけ活動を盛り込んでも、課題を課しても、きっかけにはなるかもしれませんが、そのトリガーを引けるのは本人だけ。
結局、主体的になるかどうかは本人にしか決められません。
そして、考えるという行為は、主体的に取り組むことでしかなし得ません。

筋トレでは、「鍛えている部分の筋肉を意識すると効果が上がる」と言われています。
思考の場合は、むしろ、意識することで初めて効果が出ます
つまり、受け身の姿勢ではどれだけ時間をかけても思考力は上がらない。かけた時間も金も無駄になります。

負荷のかけ方はいろいろありますが、まず必要なのは、思考方法を増やすことです。

スポーツであれば、全身を鍛えるためにはいろいろな体の動かし方を知っておく必要があるのと同じです。
いつも腕ばかり動かしているのでは、強くはなれない。

思考方法にも種類はいろいろあります。
「なぜ」の考え方。因果をたどる方法。
「何」の考え方。言い換えの方法。
「どのように」の考え方。取捨選択の方法。など。
多くに共通しているのは、論理的であることです。
そのうちの一端をご紹介します↓

思考方法を増やすという意味では、僕は算数・数学を勉強するのが一番大事だと考えています。

数学を勉強することで身につけるべきは、公式の暗記などではなく、敵(問題)の全容を把握し、適切な武器(解法)を選んで対処していく能力です。

②具体化の力

受験の場合、志望校と自分の現在地との間の「距離」を割り出し、残り時間から、
「いつまでに」
「何を」
「どれくらい」
やれば届くのかを計算することが必要となります。

このとき、可能な限り具体的な数値を出すことが重要です。

たとえば、英単語について。

志望校の英語の過去問を三年分解いてみる。
合格点が60点のところ、自分の平均点は40点。
長文の単語は5割程度しかわからない。
長文が難しいこの問題で20点上げるためには、あと1000語は覚える必要がある。
入試本番まで残り1年。
単語は2ヶ月前には完成させたいから、10ヶ月で1000語=1ヶ月で100語=1日で34語覚える必要がある。
熟語も含めて1日40語覚えるとして毎日約30分勉強する必要がある。
さらに前日の復習が……

といった感じで、数値化することが重要です。
これは受験に限らず、社会人としても重要な能力です。

③環境を整える力

当然ながら、勉強のための環境は重要です。
ここでは、塾や予備校に通わない=自宅や学校やカフェで勉強できるという前提で、「問題集の選び方」に焦点を当てます。

思考の基礎体力をつけるのと同時に、目的(ここでは受験合格)を達成するための技術も身につけていかなければなりません。
そのためには、技術獲得に繋がるモノ(ここでは問題集や参考書)を揃える必要があります。

志望校に合ったレベルのものをやるのは言うまでもないとして、種類豊富な問題集の中から、どれを選べばいいのか。
選考基準として僕が最も重要だと思うのは、解説と自分の相性です。

実際のところ、どんな問題集も、大手が出しているものはどれも質が高く、甲乙つけがたい。
そんな中でよく言われるのは、「自分に合ったものを選ぶのが大事」ということですが、
問題集が「自分に合っている」かどうかなんて、普通はわかりません。
わかるとすれば、複数の問題集を試して、結果的に好きなもの嫌いなものがわかるくらいです。
そんな余裕があればまだいいのですが、決して効率のいいやり方ともいえません。

ではどうすればいいのかといえば、書店などで問題集の解説をパラパラ見て、語り口や視覚的な見やすさ、内容の充実度などを見ます。

なぜ解説を見るか。

問題集は、問題部分よりも解説部分に個性が出ます。
そして、全ての学習において重要なPDCAサイクルの中で、受験勉強で特に重要なのがC(チェック)、つまり復習の部分だからです。

誤解されがちですが、学習においては、問題を解く時間よりも、解説を読み、適切な考え方を知り、自分の考え方を修正し、解答方法を学ぶ時間の方が大切です。

だからこそ、取り組む問題集で真っ先に見るべきは、解説の部分なのです。
(それでも選べないという人で、レベルの高い大学を目指す人には、僕は駿台かZ会のものを薦めています。個人的には最も難度が高く、面白いと思うから)

④実行力

これは目的意識の強さ、自分の計画に対する信頼の問題でもあるので、わざわざ挙げるべきか迷いましたが、結局これがないと何も始まりません。

誰しも、他人に行動を強制することはできません。
最後に動くかどうかは自分次第。
「行動する力」ほど鍛えにくく、自分でコントロールするのが難しい力もない。
しかし、誰でも身につけることができる力でもある。

コツは、スモールステップを踏むことです。
小さなこと、短期的な目標を実行すること。
毎朝単語を10個覚えるとか、1日10分散歩するとか。
ハードルは人それぞれですが、自分にできることを重ねていく、地道なトレーニングがいつか必ず力になります。


ここからは、僕が優秀だと感じる生徒、またその保護者の共通点を挙げていきます。

難関大学にすんなり入る生徒の共通点

①自分の意見を持てる

考える力があることとほぼ同義ですが、本当に優秀だと思う生徒は、どんな物事にも自分の意見を持つことができます。

ここで大事なのは、
「常にひとつの考えを貫いている」のではなく、
「状況に応じて意見を作り変えられる」ことです。

つまり、相手に応じて自分の形を変えられる柔軟さこそ、「考える力」の賜物だということでもあります。
転じて、相手の意見に耳を傾け、時には自分の意見を変更できるという点も、ここに含まれます。

②気持ちに余裕がある

どんなに優秀な生徒も、やるべきことに追われていたり、受験のプレッシャーを感じていたりします。

しかし、そんな中でも彼らは、周囲に「余裕」を見せます。

よくあるのが、中3や高3の終盤、「受験勉強に集中したいので学校を休みたい」という相談。
だいたい、こういう生徒は失敗します。

もちろん全員が全員というわけではありません。
ただ、何年もそういう生徒たちを関わっていると、次第に
「あ、これは失敗するな」
というのがわかるようになってきます。彼らには、余裕がないのです。

余裕のない挑戦はうまくいきません。
なぜなら、ゴールで体力を使い果たそうとすると、必ずゴール手前で失速するからです。

僕が強調する「余裕」とは、ゴールの向こうまで走る余裕のことです。

決して「点数的に余裕で合格する」わけではない生徒も、入試の直前まで学校で友人と遊んでいる人の方が、圧倒的に成功率は高いです。

集中力や効率という視点からも、常に勉強しているより、友人との雑談、適度な運動を挟む方が、おそらく勉強の効果は高まるでしょう。

なんにせよ、余裕を持ち、勉強以外のことにもしっかり取り組める人の方が強いという傾向は、確実に存在します。

難関大学にすんなり入る生徒の保護者の共通点

①ある程度子どもに任せている

驚くほど共通しているのが、このこと。
何十人、何百人と面談してきて、生徒が優秀であるほど、保護者の放任主義は強まります。

とはいえ、これは「ほったらかし」とはまるで違う概念なので、注意が必要です。

ここでいう放任とは、

たとえば志望校について、まずは子どもの意見を聞く。ただし、自分でもよく調べて、他の提案も含め、相談する。

たとえば家の門限について、厳しく設定しない。ただし、最低限のルールは必ず共有する。

たとえば交友関係について、口出しはしない。ただし、誰と仲がいいのか、名前は把握しておく。

というような、但し書き付きの放任です。

主導権を子どもに握らせ(ているように思わせ)、必ず影で支えるような関わり方をしています。

子どもは、家と学校で見せる顔が違う。
だから、まじめで優秀な生徒が、家で横柄な態度をとっていると聞いて驚くこともあります。
しかし、家でどれだけわがままで自己中心的でも、それを許容し、支えられる家族の存在が、子どもが力をつけていくためには大切なことなのかもしれません。

②お金に余裕がある

もう身も蓋もありませんが……事実です。

ただ、何も「大金持ち」だというのではなく、「衣食住に困らず、大学の受験料、入学金等を払える」ラインで十分です。

具体的には、大学の受験料は国立で2万円弱、私立で3〜4万円。
入学金はだいたい30万円。
5か所受験して、滑り止め1校に入学金を納め、本命に入学すると、
受験料15万円+入学金60万円=75万円くらい

かかります。
こうした出費に耐えられるだけの経済力があるといいのかもしれません。


最後に、僕が優秀だと感じる生徒の成長過程について、聞いたところをまとめていきます。

幼少期の過ごし方

とにかく奔放だったという生徒が多いです。
土いじりや虫捕り、ボールを使った外遊びなどが好き。
それから、友達と遊ぶ。
絵本をよく読む。
少なからず習いごともやっています。
多いのは、やはり水泳とピアノ。次いで公文や英会話、体操など。

小学校時代の過ごし方

やはりよく遊んでいたという生徒が多い。
屋内でも屋外でも、友達と遊ぶことが非常に重要だという印象。

そして、「独特な視点を持っていた」と主張する生徒が多いのも面白いところ。

「自分の見ている『赤』は、他の人にとっても『赤』なのか一日中考えていた」

「人を観察して、嘘をつくときの癖や法則を探していた」

など。

勉強というよりも、何もないところからルールを作って遊んだり、答えのない問題に取り組んだり、
考える力の素地を養う時期かもしれません。

保護者の方にも、子どもに考える癖をつけることを意識して接してほしいと思います。

「どうしてだと思う?」

「○○についてどう思う?」

など、意見を求めるのは常套手段ですが、
もう一歩踏み込んで、議論をすると、よりいいのではないかと思います。

保護者もしっかり考え、意見を持ち、それについて論理的に説明する。
そうした環境が、子どもの「考える癖」に繋がる。

子どもは子どもで、自分の好きなこと、興味のあることと存分に向き合い、得意を伸ばす。

そういう意味で、今まさに小学校の先生方が苦労している、自由深度学習などが、今後の鍵となるかもしれません。

また、経験格差という言葉もありますが、旅行や各種体験など、お金のかかる経験をたくさんしている生徒が多いのも事実です。

中学校時代の過ごし方

活動的だったという話をよく聞きます。
生徒会や部活の部長、学級委員など、さまざまな場面で中心に立っていた生徒が多いです。

また、十中八九が塾に通っています。
これは、中学生の段階ではまだ考える力が十分身についていないこと、塾に頼らずに受験する方法を生徒も保護者も知らないことが大きいと思っています。

もし、周りにそういったサポートのできる人がいれば、塾に頼る必要はなくなります。
塾に行っているからといって、勉強をしているとは限りませんので……。

高校時代の過ごし方

上記「難関大学にすんなり入る生徒の共通点」に挙げたことに補足すると、
行事や部活など、勉強に関係なさそうなことにも真剣に取り組む姿勢が印象的です。

これもまた、余裕の表れなのかもしれません。

また、できる生徒は、すでに将来に向けて活動を始めていたりする。
自分なりの目的が見つからない生徒は少しスタートが遅れますが、それでも、考える力がついていれば、目的を定めたときの行動力は凄まじい。

とにかく、何事も自分の頭で考えるようにすることが最重要です。

大学に入ってから

考える力をつけて大学に入った生徒と、そうでない生徒では、一見すると大学での過ごし方には大差がないかもしれませんが、
内面的、人間的成長には著しい差が生じます。

自らを律し、成長させられる能力を身につけた人間は、自分で目的や目標を見つけて邁進するエネルギーを持っています。
社会人になってから、その結果は年収や実績などの数字で表れるのです。

まとめ

はじめに書いたとおり、これは僕自身の経験を総括し、
こうすれば予備校に頼ることなく、受験戦争に負けない力を身につけられるのではないか
というひとつの考えを記したものです。

この考えにどれだけ汎用性があるかはわかりません。

それに、英才教育を施された子どもたちや、天才の類には通用しない論理かもしれないし、住環境、家庭環境に左右される要素も非常に大きい。

でも、少なくとも、
「考える力」こそ「生きる力」であり、これからの社会で必要となる力だ
ということは確信しています。

考える力は、何歳から意識しても、早いということも遅いということもないと思います。
それは結局、人間として自律することに繋がっていく。

冒頭の酷いエピソードのような事態を減らすためにも。

ぜひ、思考力を鍛えて、多くの少年少女たちには、本当の意味での「脳筋」になっていただきたいと思っています。

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