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意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.41 課外活動本格デビュー 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 生まれてからずっと夢見ていた知的パラダイスたる大学。学生運動の名残が少し残っていて、立て看板も絶滅危惧種ながら若干残っていました。
 そこで意識的に自分の殻を壊し生まれて初めての部活·サークル活動に本格参加した話の続編。

経緯
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 ベビーブーム末期で受験戦争と言われた時代。意識的に自分の殻を壊し、バランスの取れた高校生活を選ばず、醜いまでに受験対策するということに。そのソリューションとした選んた駿台予備校が良かった…
 駿台での授業内容は大学での学究生活に向けての準備というスタンスでした。入試なんてその通過点で軽くこなせば良いだけという余裕。感動的ですら有りました。

 その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。

 しかし小学生時代、スタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の

 意識的に自分の殻を壊す

です。

 入試という他人の決めた知の体系から解き放って自分の知的欲求を基にした学究生活を取り戻す。それを真剣に追求しました。
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 意識的に自分の殻を壊す意味で、学業に特化した人生から自分を開放し、生まれて初めて部活·サークル活動へ本格的に挑戦しようと思いました。
 政治家への登竜門の1つ、雄弁会が最右翼でしたが活動拠点が大学本部で理工学部から遠く通いきれない為断念。そこで第2候補の航空宇宙研究会に入ることにしました。
 その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。

 その航空宇宙研究会は日本女子大や学習院短大など他大学からも含め優秀な方々が集っていました。因みに現在は他大学とのインターカレッジを組んでいて、日本女子大学さんから公認も頂いているそうです。
 優秀な仲間と自由に研究するという雰囲気が居心地良さに繋がっていました。時間管理もユルく、それを称して航空宇宙研究会時間という時間が流れていると皆が言う様な世界でした。

 当時、大きく3プロジェクトが有りました。ロケットの燃焼実験、コンピュータの製作、アナログシンセサイザーの製作です。

 例えばロケットの燃焼実験。そもそものこのサークルの礎の分野です。宇宙・航空分野の学科が存在しなかった1960年代に「学科にとらわれず、宇宙・航空分野の研究を行うこと」を目的に設立されたそうです。私が居た1980年代前半までには、宇宙航空研究開発機構(JAXA)職員をはじめとした著名なOB・OGを既に多数排出して居ました。不定期ですが、交流会も有りました。
 最近は当時の仲間がニュースや雑誌に紹介されることも多く、JAXAなどで航空宇宙研究会のノリで楽しくく研究開発をしている姿を見ると、そんな人生の選択も有ったなぁとしみじみ思います。NASAでは国籍上不可能ですが、JAXAならある意味で黎明期からずっとど真ん中で航空宇宙技術を育てることを楽しめたと。

 個体ロケットの燃焼実験は夏休みに防衛大学校の実験設備を借りて推力の測定までするという本格的なものでした。しかし学内での学生運動が激しかった時期に過激な活動家が乱入、研究を妨害したなんてことがあったそうです。実際私自身も研究はしましたが、その煽りで燃焼実験は休止が続いていて参加できませんでした。上級生の方々が新入生の頃にはまだまだ研究妨害が残っていたようで、それはそれはロケットの燃焼実験をすることには慎重でした。

君は甘いなぁ

とまで言われる始末。今風に言うと先輩方は“マジ、ビビって”(笑)いました。まぁ、あさま山荘事件、よど号ハイジャック事件、テルアビブ空港乱射事件など物騒な事件などを小中高とある意味で当事者意識無く報道を傍観していたので、真っ只中に身を置いた先輩しか知り得ぬことが有ったのだと思います。
 良い機会なので学生運動について以下の資料も宜しければご覧下さい。

 当時の雰囲気という意味では以下の資料の写真だけでもご覧くださいませ。

 今となっては歴史の教科書にも扱いがある程の動きとして冷静に捉えられると思います。当時はその末期で上の写真にある様な立て看板は少し残っていたものの直ぐに絶滅。理工学部には学生運動をする方々も居なくなっていました。
 因みに文系の方々の居る本部キャンパスにはまだ活動をされている方々が大分後まで残っていました。
 そんな時代の空気をリアルタイムで直に感じることができたのも良い経験。課題解決のアプローチの巧拙(こうせつ)まで含めて深く物事を考えるキッカケを与えてくれたと思っています。
 それも本部キャンパスの建替工事が一段落した今では、少なくとも私の目にには学生運動をする方々は居なくなったと見えています。

 結局私が在席していた間は一度もロケットの燃焼実験は行われませんでした。専ら理論だけに終始。 

 ロケット工学の理論は基礎から学びました。ロケット工学の基礎は比較的シンプルで宇宙工学の教科書を1冊読めば充分でした。それに対して相対的にロケットの制御や通信技術は、当時日々大きく進化していました。ロケットの制御の研究はまだコンピューター技術や高速通信技術の黎明期だったこともあり、激しく進歩していたのでとてもエキサイティングでした。

 先輩も適宜質問に詳しく応えてくれ、研究のアドバイスも的を得たものでした。正に自力で研究しつつ、周りに知的に支援されているという実感と喜び…

 運と勘としつこさの人生

の果実を美味しく頂くという至福の時間が流れていました。 

 因みに今も当時から連綿と研究が進んで居るようです。個体燃焼の燃焼実験は、モデルロケットや缶サットの製作を行う「ロケットプロジェクト」としての活動に昇華しているとのことです。

 モデルロケットや缶サット、なんてのは私の時代には有りませんでした。今回の予備調査で知りました。宜しければ以下の資料をご覧ください。

 本格的なことはJAXAに入ってからというノリで、少し軽めの研究もして裾野を広げている様子。部員も余裕で100人を超えているらしいです。流石、現実的なしなやかさ、今風の良い割り切りですね~。
 その意味ではJAXA職員をはじめとした著名なOB・OGとの交流会も定期的に行うようになったようです。

 ここから派生して、人力飛行機のプロジェクトもあるようです。人力と言うのも何とも微笑ましい。

 まぁ何れにせよ高校生時代からは完全に自分の殻を壊して、ブッチギリの新しい世界の住人になっていました。

つづく




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