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短編小説マガジン【本の間の、文】

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短編・掌編小説のマガジンです。 本になる前のこの文章とあなたとの間で、素敵な体験を共有できましたらうれしいです。 『小説家の「片づけ帖」』 というメンバーシップ内で毎週1本のエ… もっと読む
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くらげの花_(6つの幻想小説・奇譚_原稿用紙57枚。1万9,318文字)

くらげの花_(6つの幻想小説・奇譚_原稿用紙57枚。1万9,318文字)


■くらげの花

やけに明るい満月の夜だ。アルバイト先のカラオケ店からの帰り、奏(かな)はさらりと晴れた夜の円山町を、ダリアのコサージュのついたサンダルで歩いていた。足元から顔の高さまで、くらげの花がふわふわと風に舞う。くらげの花は、月光を背負って上空を泳ぐイワシの群れに反射して、鳥肌が立つほど美しい。西日や朝日もまばゆくていいが、鮮明な月光ほどくらげの影を確かに描くものはない。

サメが泳いでい

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掌編小説【蓬莱山(ほうらいやま)】

掌編小説【蓬莱山(ほうらいやま)】

「子どもの頃から、繰り返し見る夢があるの」

 おもむろにそう言ったのは、同期入社の涼子だ。彼女は今年の春から私の隣の営業部に配属されてきた。途切れることのない繁忙期の中で、まじめな性格の彼女は昼休みも仕事にあてており、ランチタイムに一緒にでかけるのは数か月ぶりだった。

 ちゃんと寝てる? だったか、ちゃんと休めてる? だったか。涼子と同じパスタセットを注文し終えた私がそう声をかけると、彼女が話

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小窓_(掌編小説)

小窓_(掌編小説)

 真夏の午後3時。恵美は一昨日から昏々と眠り続けて、ようやく目覚めた。よくあることだ。恵美は毎日、最低でも 6時間、多い時には8、9時間は眠っているのだが、それでも月に 2、3度ほど目が覚めない日があり、丸一日眠ってしまう。長いときには2日間、ほとんど起きずに眠り続けていることもある。

 その眠気は、急に起こる。自分で予測できないタイミングで突然、恵美の社会的な足場を崩すのだ。眠っている間の記憶

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【芸者】_(前編)掌編小説

【芸者】_(前編)掌編小説

円山町の裏路地は、どこか温泉街のにおいがする。

小さな坂が複雑に分かれて細い道を成し、派手な照明で飾った飲み屋があるかと思えば、すぐ隣にちんまりと小料理屋が並んで、飴色になった木の引き戸や植木なんかが風情を醸し出している。昔から変わらないようでいて、いつの間にかどこかの店が入れ替わっている。わずかな違和感が常にある、奏が子どもの頃から当たり前に見ている風景だ。

子犬の1秒(掌編小説)

子犬の1秒(掌編小説)

「人は誰もが、悲しみや痛みを抱えて毎日を生き延びています。
乗り越えられない問題はその人の人生に起こらないって、よく言いますよね。私も今ではそう思えるようになりましたが、以前は他人から言われてもまったく信じられなかった。『当事者でもないアナタに何が分かるのよ』と、反発心から感情的になることさえありました。

神も仏もあるものかと天を呪っていたのです。それでも、ちっぽけな私に手を差し伸べてくれる人た

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短編小説【タツノオトシゴ】

短編小説【タツノオトシゴ】

 タツノオトシゴの形をしているんだよ、文京区音羽という町は。
 そう祖母に教わったのは、直[すなお]が5歳の春だった。地下鉄の江戸川橋駅の改札を出て、大人がちょうどすれ違えるほどの階段をゆるやかなカーブに沿って上る。すると急に視界が開けて、真っ青な空が直の目を射た。ぎゅっとつぶった目をようやく開くと、遥か頭上を大きな竜がうねりながら悠然と昇って行くように、首都高速道路が伸びていた。
 その光景に見

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