子犬の1秒(掌編小説)
「人は誰もが、悲しみや痛みを抱えて毎日を生き延びています。
乗り越えられない問題はその人の人生に起こらないって、よく言いますよね。私も今ではそう思えるようになりましたが、以前は他人から言われてもまったく信じられなかった。『当事者でもないアナタに何が分かるのよ』と、反発心から感情的になることさえありました。
神も仏もあるものかと天を呪っていたのです。それでも、ちっぽけな私に手を差し伸べてくれる人たちが周囲にいた。私が気づかなかっただけで、その手はずっと差し伸べられていたのです。
絶望の深淵に沈む人が心を閉ざすのは自然なことです。そして、閉ざした心の内でたった一人で苦しんでいる人は、傷を負っているのだと周囲に訴えることさえできません。人には現実を受け入れる時間が必要なのです」
良く晴れた秋の週末。全身を包みこむ霧のようにやわらかい女性の声と、硝子越しに見える空の青さとが、小林歩の意識をゆっくりと日常から切り離していく。
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