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掌編小説【蓬莱山(ほうらいやま)】

「子どもの頃から、繰り返し見る夢があるの」

 おもむろにそう言ったのは、同期入社の涼子だ。彼女は今年の春から私の隣の営業部に配属されてきた。途切れることのない繁忙期の中で、まじめな性格の彼女は昼休みも仕事にあてており、ランチタイムに一緒にでかけるのは数か月ぶりだった。

 ちゃんと寝てる? だったか、ちゃんと休めてる? だったか。涼子と同じパスタセットを注文し終えた私がそう声をかけると、彼女が話し始めたのだ。「先週もまたこの夢を見た」と言う。

 季節は初夏から夏にかけて。夢の中で涼子は東京から岡山県に帰郷しており、長距離バスで山道を登っているのだと言う。子どもの頃は、おばあちゃんの家に一人で行くという、連休のちょっとした冒険の夢だった。

 涼子はいつも進行方向に向かって左側の後ろから数列目の、窓際の席に座っている。通路を挟んで隣の座席には、黒い帽子を目深にかぶったおじいさんがぽつんと座っている。涼子を含めて、乗客は4人ほどだ。

 道幅は狭く、バスが1台通ったらいっぱいになってしまうような道だった。実際に実家があるところとはまったく違う風景だったが、なぜか無性に懐かしい。
 その夢の中で、決まって涼子はデジャブを体験するのだと言う。小さな神社の屋根が遠くに現れると、こう思うのだ。

「ここは前にも夢で見た気がする。今度こそ忘れないようにしないと」

 窓の外には棚田が広がっている。風が稲をなでると、緑色の海に波紋が広がっていく。真っ青な空が眩しい。棚田の中央にこんもりとした森があり、生い茂っている木々の中に木造の鳥居が見える。色は塗られておらず、生のまま。神社を取り囲む森は、まるで小さな島のようだ。木の生え方や枝ぶりが、なんだか人の横顔にも見える。
 「今とても大切な風景を見ているのだ」と直感し、涼子はしっかりと目に焼きつけた。

 目的地までは停留所が2つくらいしかないようだった。神社の近くがそのうちの一つにあたるようで、運転手が停留所名を告げた。

「次は、蓬莱山ほうらいやま。蓬莱山にとまります」

 蓬莱山なんて地名、岡山にあったっけ?
 首をかしげながらも、涼子は衝動的にバスを下りた。自分の故郷への帰路ではあったが、初めて下りる停留所だ。けれど、不安よりも懐かしさが大きい。

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