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「メタ正義感覚による社会デザイン」で分断を解決できるのか?
えー。こんにちは。ヒラヤマです。
読者の方にご質問を頂いたので(ありがとうございます)、久々にまたこんな調子で書いていきます。
今回、特に結論が定まらないと言うか、個人的には重要だと思うんですけど、うーん。って感じの内容です。グダグダ感があります。
「経営コンサルタントの倉本圭三さんという方が、インターネット言論その他について、私ヒラヤマと似たような現状把握から、全然別のビジョンを提案してい
制限選挙論者としての白井聡:「反知性主義」をめぐる永続戦争
政治学者で京都精華大学専任講師の白井聡氏が、シンガーソングライターの松任谷由実氏に対して、フェイスブック上で以下のような発言を行い炎上、発言を削除、謝罪するという騒動があった。
これは、松任谷氏がラジオ番組で、安倍晋三首相の辞任に際して、「プライベートでは同じ感性を共有出来る」「ロマンの在り方が同じ」「切なくなった」というようなような発言をしたことが原因のようだ。
なぜ、それが上記の発言につな
議論で寛容にたどり着けるのか?:シーライオニング・青識亜論・表現の自由
シーライオニング、という単語を聞いたことがあるだろうか?元々はゲーマーゲート論争と呼ばれる英語圏のSNS上での論争の最中に発明され、広く知られるようになった用語だ。
原義としては、論争などがあった時、対立者の理屈を理解しようとするふりをして、形式的には誠実さを保ちながら、執拗に質問を繰り返し、相手を疲弊させるような態度、を表す単語のようだ。このような態度を批難するための、否定的な文脈で使われる。
「独自研究」のすすめ
私がnoteをはじめて三ヶ月が経過した。一歩引いて、ここまでの自己総括、というほどのものでもないが、軽くまとめをしてみたい。
私の一連のnoteはいわゆる独自研究に該当する行為だ。
最初はこれに陥るつもりは無かったのだが、いろいろと迷走の挙げ句、方針転換して、やってみた。すると、案外、意味があるのではないか、という気分になっている。
独自研究はなぜ良くないか独自研究とは一人だけで物事を考えた
Vtuberはリアリティーショーか?:ミームとしての倫理規範
まず、本論に入るために、改めて倫理規範に関する私の認識を述べておく。
下記は別にオリジナルでもなんでもないし、あえて言語化するかは別として、常識的な話なのでは?とは思うものの、ここを争うのが目的ではないので、あくまで私の勝手な認識として述べる。
1.ミームとしての倫理規範規範は、自らに対してのみ課すことができる。「自ら」というのは共同体ならば共同体の構成員だ。他者を攻撃し、強制することは可能だ
SNSは、敵対的コミュニケーションに「倫理的交戦規定」を課せるか?(1)
私の一連のnoteを少しでも読んでいただいている方にはおわかりであろうが、私は基本的に今のインターネットで、異なる立場の間ではまともにコミュニケーションは成立しない、という立場をとってきた。
これは、残念なことに場の信頼感の欠如による構造的原因なので、いくら個人、団体が工夫してコミュニケーションを行っても無駄……というところで打ち切り、今までのnoteを書いてきた。
そして、各種SNSやオンラ