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「相互理解」の不在と敵対的コミュニケーション

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「相互理解」が無いゆえに、コミュニケーションの結果、全く会話が成立していない例を炎上ネタを起点に解説します
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記事一覧

制限選挙論者としての白井聡:「反知性主義」をめぐる永続戦争

政治学者で京都精華大学専任講師の白井聡氏が、シンガーソングライターの松任谷由実氏に対して…

議論で寛容にたどり着けるのか?:シーライオニング・青識亜論・表現の自由

シーライオニング、という単語を聞いたことがあるだろうか?元々はゲーマーゲート論争と呼ばれ…

人々は「理論」で連帯できるのか?:社会運動は今、なぜ無力なのか 後編

前編では、社会運動における連帯の失敗の典型過程を描写し、理論、つまり社会問題に関する直観…

人々は「理論」で連帯できるのか?:社会運動は今、なぜ無力なのか     前編

■連帯を拒否する当事者 社会運動。人々の連帯による、社会問題の解決。 今回はとくに、不当…

「相互理解」のアンチパターンとしてのメンヘラ.jp

本論考の前提 「相互理解」=「決定的に対立する人々の間での、最低限の理解」 前回要約:「…

「キモいと言うのは危険なのでやめろ」は妥当か?:リスク・シグナリングの巨大リスク

1.セットアップまず、状況設定をシンプルにするため、仮の話として聞いて頂きたい。 1) 男性A…

なぜ「俗流社会進化論」は消えないのか?:自民党改憲広報を起点に

進化論。これほど社会に影響を与え、誤解を招いてきた学問はないだろう。 俗流社会進化論が優生学につながり、ナチスドイツの民族弾圧への推進力となったという歴史は私がわざわざ追うまでもない。 本noteで検討したいのは、そこではない。なぜ、俗流社会進化論は消えないのかだ。 自民党広報部が憲法改正について、非常に興味深いマンガ広報を行った。 まだ序盤だが、次のような「論法」だ。 ・進化論によれば、変化することは良いことだ ・ゆえに、憲法を改正したほうがいい。 正直、私は

Vtuberはリアリティーショーか?:ミームとしての倫理規範

まず、本論に入るために、改めて倫理規範に関する私の認識を述べておく。 下記は別にオリジナ…

SNSは、敵対的コミュニケーションに「倫理的交戦規定」を課せるか?(1)

私の一連のnoteを少しでも読んでいただいている方にはおわかりであろうが、私は基本的に今のイ…

TERF論争とは何なのか:終わりなき「ジェンダー観戦争」はなぜ起きる?(1)

TERFという単語をご存知だろうか。 トランス排除的ラディカルフェミニストの略だ。 狭義には…

全てが箕輪編集室化する:唯一神、マーケティングの君臨

箕輪厚介氏のセクハラ、パワハラ騒動はまだ記憶に新しい。各所から批判が噴出した。しばらく彼…

「ラブドール規制論」は「感情論」なのか?

今回は、最近インターネットで「炎上」的論争になっている、ラブドール規制論について扱いたい…

テラスハウス事件:悪いのは山里亮太でも「匿名インターネット」でもなくリアリティー…

一応、立場を明らかにしておく。私は所謂「リアリティー・ショー」と呼ばれるものが個人的に大…

なぜ、藤田孝典氏は「絶対に謝れない」のか

今、対立する価値観の間で、そもそも相互コミュニケーションが原理的に不可能だ、ということを、いろいろな時事ネタで論証していくのが当面の目的だ。 まず、軽く経緯を紹介する。「もっと正しい事実がある」「お前はどっち派だ」「自称中立派か」という人も、ちょっとまっていただきたい。 岡村隆史氏が「コロナ後風俗に女性が増える」関連発言で炎上。これに、大学教員で福祉活動家の藤田孝典氏をはじめ、多くの方々が、岡村氏の発言は公共の電波を使った「女性差別」であるとして批判。 結果岡村氏は謝罪