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「相互理解」のためのコミュニケーション論

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インターネット時代の、民主主義に必要な、「相互理解」のための、コミュニケーション論、を求めていく一連の論考です。
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記事一覧

人々は「理論」で連帯できるのか?:社会運動は今、なぜ無力なのか     前編

■連帯を拒否する当事者 社会運動。人々の連帯による、社会問題の解決。 今回はとくに、不当…

SNSは、敵対的コミュニケーションに「倫理的交戦規定」を課せるか?(1)

私の一連のnoteを少しでも読んでいただいている方にはおわかりであろうが、私は基本的に今のイ…

で、「世間」の中でこの話を「みんな」に聞いてもらうには、誰がどうすればいい?

これまでで、今のコミュニケーションの分断の原因は、「世間」のルールによる自然現象である「…

「世間」の島宇宙としての日本の「コミュニケーション」と「自己責任論」

本noteの論旨要約と参考文献は下のnoteに書いてあります。 上記のnoteで言ったように、まずは…

このnoteの具体的手法と危険性

ヒラヤマです。 このnoteの目的について読んでいただいた方向けに書いてあります。先にそっち…

「世間」の島宇宙としての日本:客観的に「ゆるす」福祉システムを導入できるか?

以下の内容は、素人である私が最近勉強した内容に基づいています。いつもより更に多くの間違い…

テラスハウス事件:悪いのは山里亮太でも「匿名インターネット」でもなくリアリティー・ショーだ

一応、立場を明らかにしておく。私は所謂「リアリティー・ショー」と呼ばれるものが個人的に大嫌いである。今回問題にしたい「テラスハウス」は一切視聴していないし、それ以外の様々なリアリティー・ショー、とくに恋愛などにかかわるものは、その内容が耳に入るだけでイラついてしまう。これは客観性のない、全く個人的な好みの問題だ。だから、中立性の観点から、本当はあまり書きたい内容ではない。 しかし、本件に関わり、人命が失われていること、のみならず、その全責任を、「匿名インターネット」「SNS

「相互理解」のアンチパターンとしての民主主義教育

以下を読んで、理想的にはみなさんに、自分自身の考えをnoteなどで書いてみるとか、それぞれで…

「相互理解」のアンチパターンとしてのメンヘラ.jp

本論考の前提 「相互理解」=「決定的に対立する人々の間での、最低限の理解」 前回要約:「…

真の「表現の自由の擁護」勢力

「アイディア」では、「自己責任論」の完全解体のため、どういう具体的な方法があるのか、を提…

なぜ、藤田孝典氏は「絶対に謝れない」のか

今、対立する価値観の間で、そもそも相互コミュニケーションが原理的に不可能だ、ということを…

平田オリザ氏、または演劇業界へのアドバイス:「敵」との和解、「敵」への寛容こそが…

前回、平田オリザ氏炎上が、今、対立する人間同士のコミュニケーションが実質不可能であること…