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「ファシズムvsアンチファシズム」を解体できるか?(3)なぜANTIFAは「暴力的」なのか

前回、「悪」と「正義」の非対称性について述べた。今「悪」がファシズム、「正義」側がアンチファシズムである。

アンチファシズムとは何か。歴史的には中々難しい。しかし、理念としては単純だ。「悪」であるファシズムの実行に対抗すべきであり、さらにその世界観と思想を否定すべきだ、という思想のことである。究極的にはそれだけなので、ごく単純だ。

ただし、思想は単純でも、その実行は複雑で、かつ常に様々なコンフリクトを発生させる。だから問題は、アンチファシズムとは何であるべきか、ではなく、今アンチファシズムは何をやっているか、である。

一応、タイトルで誤解を招きすぎないよう、私の中の前提と結論から述べておく。実際のアンチファシズム運動のメインプレイヤーであるANTIFA運動は暴力的である。ただし、それはANTIFAの参加者の良心が原因というより、彼らが直面してきた、そして今なお直面する「ファシズム」が実際に暴力的であることが原因である。さらに、実際にはそれは「ファシズム」という実態を持っていないため、運動は空振りして、意味をなさない。

これはどういうことか。そもそもANTIFAとは何か。これも、素人が調べられる範囲で書き散らしていこう。とはいえ、理解すべきことは多くない。

要するにANTIFAとはアンチファシズム団体のうち、一つの大きい流れが、世界規模に広がって適当に分裂して、特に頭目や統制もなく、勝手に同じ名前を名乗っているものだ。

これだけ理解しておけば、素人としては十分だろう。歴史にうるさい人は、各自調べて頂きたい。

適当に分裂というのは、中々に適当である。それぞれあまりに主張が違う事が多いので、それも面白い。本題ではないので触れないが。

ただ、それでも一つの連帯が可能なのは、彼らが想定しているファシズムという仮想敵がそれだけ強大だからだ。人間はどんなに主張が違っても、強大な敵の前ならいくらでも団結ができる生き物である。

だが、我々素人はこう思うだろう。「ファシズムなんて、今この世にそこまで広がってなくないか?」これは半分正しい。半分なのは、単にこれは認識の問題であるからだ。

原義では、ファシズムは強固かつ単一の体系だ。しかし、ファシズムの部品はごくありふれた、人々の本能や社会の自然現象的構造による。実際、大体の「世間」や社会もこの部品を含む。

note(1)でみてきたとおりだ。忘れた方はご確認を。

ようするに、我々の住んでいる社会、世間は、疑いの目で見れば常にファシズム、またはその萌芽である。ゆえに絶対倒せないので、アンチファシズム運動は絶対に収束せず、また本気で倒そうとすればするほど手段を選ばなくなっていく。これが横から見た時の真実だ。

とはいえ、アンチファシズムは、あくまでファシズムの再形成を阻害する無限の予防措置だという論建ては可能である。よって、これ自体は矛盾ではない。

矛盾の原因は手段だ。そもそも、ファシズムはなぜ悪なのか。その実行において人々に各種の暴力を振るうから、実際に過去ふるったから。それだけである。つまり、ファシズム的なものに暴力で対抗するたび、アンチファシズムもまた自身の定義する「悪」へと近づいていく。アンチファシズムの正当性は傷つき、人気は落ち、少数派となって先鋭化していく。ゆえに矛盾を無視するようになり、さらに矛盾は加速する。

この事実、そしてその非対称性は前回見たとおりである。ANTIFAの人々が善良か否かはあまり関係ない。それこそ、メンバーが全員キング牧師クラスの偉人でない限り、運動全体が暴力的になるのは不可避の結末である。

そして、ファシズム側が自発的に変わることも不可能だ。というか、今、統一されたファシズムなど事実上どこにもない。人気のあるファシズムの理論的指導者や、ファシストだと自認する強力な意思決定グループなど、実質どこにも存在していない。ゆえに交渉とか、停戦も無理だ。

最近、ANTIFAが暴動を扇動し、かなり過激な暴力行為が実際におこなわれ、トランプ政権にテロリスト呼ばわりされた。州兵も実際に動かされている。鎮圧はすくなくとも法令に則った手続きではある。

詳しい経緯は任意のニュースサイトでご確認いただきたい。例えば以下だ。

トランプ大統領は筋金入りのファシストだろうか?まあそれはギリギリ想定することも可能だが、実際は違うだろう。そして明らかに、共和党の大半の議員、そしてトランプ大統領を支持している民衆はファシストではない。ただ利益のために共和党を維持しているだけだ。それこそがファシストである、と述べるのがANTIFAのロジックかもしれないが、私はANTIFAではないのでその認識を却下する。

今回、ANTIFAの扇動行為の引き金は、レイシズム的思想を持つ警官が、職務執行中に黒人犠牲者を過剰暴行で死なせたことである。それだけだ。これは原理的にいつでも起こりうる。アメリカからレイシストの警官が完全に消滅する、などすぐには不可能だろう一応、思考スキャン技術でも超発達すれば可能かもしれないが、国家がそんなもの振り回しているのは、仮にそれがファシズム政権でなくても最悪の暴力なので、ANTIFAでもそれを許しはしないだろう。

だが、レイシズムを見ると、ANTIFAはそれをファシズムの萌芽とみなし、叩き潰そうとする。単なる民主運動だけでなく、直接暴力を実行する。過剰暴行への対応、どころではない。略奪や破壊も扇動する。

そして、扇動に乗るのは必ずしも反レイシスト、またはANTIFAですらない。ただ、扇動や略奪に何らかの理由で乗りたい人は全員で乗っかる。

ANTIFAは、なぜここまでの暴力扇動を容認するのか?良心の問題に帰してもやはり意味はない。重要なのは暴力そのものだ。

結論から述べると、アメリカ社会において、レイシズムや、国家の統制力などによって振るわれる暴力の期待値が大きく、ANTIFAにとって、レイシズムや国家の統制力で振るわれる暴力はファシズムと同一視されるから。ただそれだけだ。

暴力に暴力で対応する時、「敵」の暴力より自分の暴力が低い分は、自己正当化可能である。「悪」をなくすのは無理でも、削減できるような気がするからだ。それだけである。要するに「世間」的な返報性のロジックが働いているに過ぎない。論理矛盾や一貫性など実はどうでもいい。指摘しても無駄だ。実際に暴力が削減できていない事実を叫んでも、響かない。それは相手が「悪い」からだ。

国家の統制のための暴力をなくすなど無理だ。それは犯罪し放題の最悪国家である。アナーキズムは単に皆で暴力をふるい合っているだけだ。そして統制暴力に対して暴力で応じたら、国家は統制を強める正当性を得るだけである。

レイシズムも削減はできる。だが暴力で応じてしまったら、レイシズム側にまた思想や反撃の口実を与えてしまうので、暴力が減るわけがない。

そしてこれらは「ファシスト」と何の関係もない「世間」的、動物的反応である。こうなってしまうとアンチファシズムはそれらの暴力的「反応」を一つに束ね、正当化するためのお題目と区別はつかない。

しかも、アメリカの民主主義は非常に面白い建付けになっている。緊急事態に個人が暴力、とくに火器を使用して民主主義の秩序と自由を維持することを憲法で求めているのだ。暴力による中央統制への反発の時代をくぐり抜けてきた歴史故である。ゆえに第三者も民主主義と自由の擁護者として対抗暴力に参加可能だ。

(信じられない人は、「合衆国憲法修正第2条」でググって頂きたい。)

ようするに、一度暴力の火種がまかれ、それに対する「反撃」がアンチファシズムの名のもとに正当化されると、ANTIFAはほぼ無前提の広域暴力扇動を実行、誘発された暴力を見た第三者も対抗暴力を実行、そして国家も鎮圧暴力を実行、という内戦がほぼ必ず発生する。止めるのは事実上不可能だ。暴力が無条件に許可されている時、暴力に短期的に「対抗」できるのは暴力だけだ。

これはある意味ではアメリカ特有である。合衆国憲法修正第2条は流石に特殊であり、西欧でも、同じ規模の暴力合戦はそうそう起きない。

だが、構造自体はどこでも同一である。要するに、その国の文脈上、そこまで無理なく即時実行可能な最大の暴力行為をアンチファシズム運動はいつでも実行しうる。それを選択する政治的動機、正当性があるからだ。ゆえに日本なども全く他人事ではない。

一応、アメリカ人を擁護しておくと、全員が暴力の実行をするわけではない。むしろ、それが無意味だと気づき、命がけで立ち向かっている人々は少なくない。実際、SNSを観測すると、現在のアメリカの暴動中も、火器による暴力に人間の盾と対話で立ち向かっている、英雄的精神の持ち主は決して珍しくないようだ。同じ黒人でありながら、黒人暴動者から白人警官を小銃程度の武装や、さらには徒手で警護している集団も多く見られた。

だが、その人間性の素晴らしさも対立を調停・一時停戦するには至らない。問題は構造であって、良心ではどうしようもないからだ。ではどうすれば良いのか。最低限、暴力をやめさせるにはどうすればいいか。

結論から述べると、火種である暴力の期待値を、予めファシズムvsアンチファシズム直接抗争以外の構造を用いて削減しなければ、無理だ。

ファシズムもアンチファシズムの細かい思想も殆どはどうでもいい。どちらが正しいか、そんなものは関係ない。ただ、「敵」の暴力が期待されるので、恐怖によって、対抗暴力で「正当」に応じているだけだからだ。「正当」というのは「世間」レベルのロジックの正当性である。本来それは「敵」ではないとかファシズムの定義とか、理屈を言っても無駄である。無責任な私が言っても無駄、というだけでない。命をかけた同胞が英雄的行為で示し、丸腰で対話しても、ほとんど効果がないのだ。

一般論としてはここで行き止まりだ。ここからどうすれば良いのか。私達と皆さんで考えるしか無い。

一応、次のnoteから私自身のアイディアを述べる。結論から言うと、「ファシズム的なもの」、アンチファシズムにとってファシズムだと見える規範群から、人間社会に不可避に要請されるものだけを削り出し、別のミニマルな規範群として再構成する。更にその際、レイシズムや、国家統制などに起因する暴力を自発的に抑制させる規範も導入する。そしてその勢力が、ファシズム的とされる構成要素が好きな人々の最大勢力になればいい。これはどういう意味か、そして可能だろうか?

次回より、上記を検討していく。

追記:上記の一般的な「アイディア」を、まず日本の政治状況で実現できるか?という観点から考察しました。



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