最速!(予告編)感想『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
個人的には何とも好まないセンスだ。
「オマエら、こういうの、好きなんだろ?」
という制作サイドのつけあがりが見え見えな気がするのだが、
現代の安い刺激に首まで浸っている方々による「ヤバい!ヤバい!」という
「ヤバくもないのにヤバいと言いたがる現象」の恰好の餌となるだろうと想像した。
そうそう、
「なんもヤバくないのにヤバいヤバいと言いたがる現象」
については、いつかまとめたいと思っていた。
本当にヤバいもの、例えば北九州の工藤会とか笑、はポリティカル・コレクトネス洗脳で見て見ぬふりをし、
で、全然ヤバくないもの、例えばこの映画の前作とか、週末のクラブでのDJイベント&ライブとか、金満野外ロックフェスとか、
「安心安全な牧場内の見世物」には我先にとヤバいヤバい言いたがる現象が街に溢れている。
と、書いていて少しわかってきた。
リーマンさんやOLさんの呑み会で、
お互いに目が泳ぎながら「盛り上がっているふり」を延々と続ける光景をよく見かける。
アレは「強迫観念」の集団にしか見えない。
「(わー!わたしたち楽しいよねー!という)既存の感情の枠組み」
にハマっていないと不安になってしまうのだ。
この映画予告編を観た限り、
「ほ~ら、コレ、ヤバいだろう?カッコいいだろ?」という「形式主義」の匂いがプンプン感じられた。
要するに「観客の感情を最初から枠の中に入れようとしている」のだ。
だが、これは表裏一体でもある。
例えば歌舞伎などは形式主義の権化であり、
「いよ!待ってました!」と観客は自ら進んで「形式」に飛び込んでいく。
古典落語もそうだ、「名人芸」というのは形式主義の究極と言えよう。
つまるところ、
前作で「ジョーカーという商業キャラクター」が確立したのだろう。
その「商業キャラクター」が「キャラクター通りの芸」を見せることに現代のマジョリティーの観客はお金を払うのだ。
つまり、レディ・ガガはこの映画シリーズの「ミニーマウス」なのだ。
そんな私は「浦安夢の国」には行った事がないのだが、
最近の映画は全て「分かりやすいキャラクター」化している。
例えば大人気の『ゴジラ-1.0』が最近サブスクになったので観直しているが、ゴジラのシーンだけ見て後は飛ばしている。
なんか、子供相手の様に手取り足取り
「はい!いいですか~!?この人は、ここで、今、こういう気持ちなんですよ~」
とキャストが大袈裟に大振りで大声で一所懸命説明する「ニンゲンドラマ」がどうにも口に合わないのだ。
そんな最近、
「わたし、文化芸術系とか結構好きですよ~」という若OLさんと会話したのだが、何と小津安二郎監督を知らなかった。
私は、少々驚いた。
(という私は、決して「小津だのゴダールだの青山だの」と語る映画オタクの方々(シネフィルと最近は呼ぶらしい)には絶対に近寄りたくないタイプなので、小津安二郎監督の名前を迂闊に出すのは要注意なのだが)
とりあえず、若OLさんには『東京物語』の予告編のYouTubeリンクを送っておいた。
なんでわざわざここで「危険な笑」小津安二郎監督の名前を出したかと言うと、今どきの説明過多で誇張演出の「ジャンボリーミッキー映画」に少々食傷だからである。
もっと無駄をそぎ落としながらも無限に芳醇な、
ミース・ファン・デル・ローエ先生言うところの
「LESS IS MORE」
な映画をたまには観ないと心が栄養失調になりそうだからである。
ちなみに、ゴダールについても危険をなんとか回避しながら笑、書いてみましたので、お暇なときにでも。
という訳で、
パート2の、あくまで予告編の感想ではあるが、
「現代という時代を理解するために」、
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
ちゃんと改めて観に行きます。
完。
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