マガジンのカバー画像

日本と世界、世界と日本、なんとも大風呂敷なタイトル

123
運営しているクリエイター

2021年8月の記事一覧

イスタンブールは「旅心」の琴線に触れる街 〜 トルコ, イスタンブール 1度目の滞在・旅 note 第3編(1983年8月18日から8月31日)

イスタンブールは「旅心」の琴線に触れる街 〜 トルコ, イスタンブール 1度目の滞在・旅 note 第3編(1983年8月18日から8月31日)

前説トルコ入国は 1983年8月11日(ギリシャ・アテネからの 2泊3日の列車旅でイスタンブール着)。日本をバックパックひとつ担いで出たのは 1983年4月26日。横浜港から 2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに着いて, それから先はソ連・北欧諸国を旅し, さらに南下しながらヨーロッパ諸国の旅を続け, ギリシャにはアテネとサントリーニ島に計30日滞在。そこまでの旅については以下リンク *1 と

もっとみる
イラン革命(1979年) 〜 1983年8月, トルコ・イスタンブールで同宿したイラン人兄弟から聞いた話を, 当時の旅日記で振り返る

イラン革命(1979年) 〜 1983年8月, トルコ・イスタンブールで同宿したイラン人兄弟から聞いた話を, 当時の旅日記で振り返る

タイトル上の写真は, 1983年11月16日のイラン・イスラム共和国の首都, イラン革命(1978年1月7日 - 1979年2月11日, 結果としてイスラム革命)から 4年9ヶ月5日後のテヘラン市街(筆者撮影)。イランでは近年でこそスカーフ形状のヒジャブにすら, その公の場における強制に抵抗を示す女性が表立って出て来たが(ヒジャブを被らないで通り, つまりは公衆の面前に出て, そして多くがそれだけ

もっとみる
トルコ・イスタンブール, ガラタ橋で眺めた夕日 〜 1983年8月15日, 日本を出国して112日目

トルコ・イスタンブール, ガラタ橋で眺めた夕日 〜 1983年8月15日, 日本を出国して112日目

1983年4月26日に日本を出国 〜 トルコには 8月11日入国(2度滞在, 合計1ヶ月半)1983年4月26日に日本を出国し, トルコ入国は同年8月11日だった(ギリシャ・アテネを8月9日夜11時発の列車で発ち, 11日朝にトルコ・イスタンブールに着)。イスタンブールやカッパドキア(ユルギップ)に滞在した後, トルコとシリアの間のトルコ側国境の街アンタクヤに滞在, アンタクヤから陸路シリアに入っ

もっとみる
ギリシャ, アテネ part ε' 〜 大規模反核デモに遭遇したアテネ, 1983年8月初旬(写真8枚)

ギリシャ, アテネ part ε' 〜 大規模反核デモに遭遇したアテネ, 1983年8月初旬(写真8枚)

1983年4月26日に日本を発ち, ギリシャ入国は同年7月11日:7月11-27日 アテネ, 7月28日-8月1日 サントリーニ島, 8月2-9日 再びのアテネ
1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連(当時はあったソヴィエト連邦!)を旅した後は北欧に出て, その後, 徐々にヨーロッパを南下, 7

もっとみる
オリンピック, 永久ギリシャ開催ってどう?(ギリシャがやるって言ったらの話)

オリンピック, 永久ギリシャ開催ってどう?(ギリシャがやるって言ったらの話)

前説なんつってあんな莫大な額の金がかかるイヴェント, ギリシャだって毎回やらされるなんて嫌だろうから, 世界中の国々がそれぞれの経済規模に応じて費用負担して, かつ開催に必要な人員も世界中から派遣する, そういう世界規模の協力が大前提だけど。パラリンピックについても同様に考えていいと思う(別個に考えるような考え方が議論の末生まれるのであれば文字通り別だけど, 一緒でいいのでは)(あと冬季オリンピッ

もっとみる
ギリシャ, アテネ part δ' 〜 1983年8月2-3日(写真6枚), なぜか三木清 「人生論ノート」

ギリシャ, アテネ part δ' 〜 1983年8月2-3日(写真6枚), なぜか三木清 「人生論ノート」

1983年4月26日に日本を発ち, ギリシャ入国は同年7月11日:7月11-27日 アテネ, 7月28日-8月1日 サントリーニ島
1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連(当時はあったソヴィエト連邦!)を旅した後は北欧に出て, その後, 徐々にヨーロッパを南下, 7月10日にイタリア・ブリンディ

もっとみる