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たんじょうび

ここ何年か

たんじょうび

というものの因果?
というのかな
感じてきた。


何年か前までは

あのひと と むちゅめ🐶 と
いっしょに年中
過ごしていたわけなんだけど。


むちゅめ🐶のたんじょうび


むちゅめ🐶の

たんじょうび

12月24日。


ねっ
にぎわい華やかな雰囲気の
クリスマスイブ。


毎年
プレゼント や ごちそう の 用意

クリスマスだからっていうよりも
むちゅめの
たんじょうびだから

たのしかった。


いなくなった年は
ひとりで

ツリーも飾って
おなじように
やってみたんだけど

涙が止まらなくなって
大泣きしながらケーキ食べてた。


次の年からは
夜7時ぐらいに
もう寝てた。


あのひとのたんじょうび


あのひとの

たんじょうび

1月17日。


その日
必ず話題になる

あの震災から〇年。

あのひとは
そういう日にお祝いすること
遠慮してた。

それでも
きぶんを盛り上げていたんだけど。


あのひとがいなくなった次の年

1月17日

もういいからってことなのか
ひとりじゃさみしくて
たんじょうびだからってことなのか

むちゅめ🐶を虹の向こうに
連れていっちゃって。


懲りずに買ってたケーキ
やっぱり泣きながら食べた。


私の身内は
基本的に私たちのこと
全然把握してなかったんだけど

それ以来
1月17日っていったら

あのひとのたんじょうびじゃなくて
むちゅめ🐶が「もう○年」
みたいにしか言わない。

とても気分が良くない。


私のたんじょうび


私の

たんじょうび

3月16日。


特になんともない日
だったんだけど


あのひとを救急搬送した日。


それよりも前から
具合は悪そうになっていたんだけど


病院がとてもきらいで

病院の空気を吸うのも
イヤというぐらいきらいで

付き添いで病院に行っただけでも
血圧200まで上がる
というぐらいきらいで


梃子でも動かぬぐらい頑固だったから
無理強いはしなかった。

ただ睡眠時の無呼吸が出てきちゃって。

それも分 単位になってきて
これはもう危険だなって。


それで
生まれて初めて119番に電話する日を
3月16日にしちゃった。


朝から

無呼吸の時間を測って
やっぱり1分以上あって

電話して
もうすぐ到着ってころになってから起こして

予想通り怒られて
でももう近くまで来てるから
キャンセルは無理って


救急車に同乗したのも初めて。

ほんとに
赤信号で交差点に入っていくのねって。


いろいろ検査で
お昼前から夕方ぐらいになって

そのまま入院することになって
こうこうこういう疑いがあるって言われて

ひとり帰ってきて
どうやって帰ってきたんだったかな?
まったく覚えてない。


もう真っ暗で

むちゅめ🐶は留守番ができない
「分離不安」だったから

おうちの中もいろいろ
ぐちゃぐちゃになってて
よだれでべとべとになってて

経験がない まる一日の留守番
急にさせてごめんねって
部屋をかたづけて

たんじょうびの
「た」の字も出てこなかった。


次の年には
だれもいなくなってたから

最後に みんないた年の
たんじょうびが
こういう思い出で。


3月16日を迎えると思い出すのも
他のどの年でもなくて
あまりに鮮明なこの記憶。


おめでとう

と言われても
すなおに

ありがとう

と言うことができないから
たんじょうびを
オープンにしなくなった。


その後の たんじょうび


だれかにとっての
はじまりの日が

だれかにとっての
おわりの日

全部でどれだけのひとが
そうして
いのちを受け継いできているのか

知る由もないけれど


きょうが
おわりの日でもあるからといって
お祝いしないということはない。



ひとりになった絶望から
すべておわりにするところだった私には


絵に いのちを救われる

という奇跡が待っていた。




それまでの人生には
そんな絶望も救いも
経験のないことで


押し寄せてきた感情の波を
正確に ことばで説明する

などということはできなかった。

けれど
救ってもらった感謝はとどけたい。


想いを伝える術がなかった私は

たんじょうびにお花を贈った。



それから2年が経ち

こんどは思いがけず
私のたんじょうびにお花を贈られて。


それもうれしかったのだけど

ことば が 忘れられない。


消えない つらい思い出が残る
日かもしれないけど
その日がなければ
わたしたちは
出逢うことができなかった
だから おめでたい日で
わたしは ありがとう と
言い続けようって


魔法が かかったように
3月16日を
晴れやかな気分で
迎えられるようになったかといえば
そうではないんだけど

たんじょうびを明かすことも
なかなかできていないけど


今年も
贈ってくれた。



感激していたのだけど
いま改めて おもう。


あなたがいなかったら
今こうして
いることはできていなかったし

今へ至るまでの
出逢いもすべて
なかったのだから。









私の方こそ

生まれてきてくれて
本当に ありがとう。


私に
生きる意味をくれて
本当に ありがとう。





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