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【一日一言】「無用の人などいない」って先生も述べてますよ(草稿)

●はじめに

二月二十六日 「無用の人などいない」

世の中で馬鹿馬鹿しいものといえば、必要なところで使うのではなく、他の不要なところで使おうとすることである。

例えばのこぎりで木を削れとか、かんなで木をひけというようなことである。

不適材は、使う方がだめなのである。

棄瑕録に「用則無可棄之人物責短求備則天下無可用之人物(※)」とあるのは、そのことを言っている。

これは斎藤彦磨(江戸後期の国学者、古学を本居宣長に学んだ)の教えである。

PHP研究所 『[新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』
著者:新渡戸稲造 訳者:岬 龍一郎

※用則無可棄之人物責短求備則天下無可用之人物

「用いれば則ち棄てるべき人物なし、短きを責め備えを求むれば則ち天下に用いるべき人物なし」

「活躍してもらおうと思えば役に立たない人なんていない。
できないことを責めて、できるようになれと無理強いしようものなら、この世で活躍できる人物なんていなくなる」
(投稿者による現代日本語訳)

引用元では返り点やルビが振ってあった(noteでそれを付ける方法がわかりません)のでそれに沿って訳してみました。

正確に訳せた自信がないのですが、多分こんな感じの意味だと思います(間違ってたらすみません)。

●適材適所とはいかないもの

「適材適所」とは言うものの、現実はそうでもなく、それは百年くらい前も同じだったのかもしれないですね。

得意分野で活躍できたらいいのですが、不得意な分野で頑張ろうとしても無理があるんじゃないかということかと存じます。

冒頭一節に沿って述べるならば、まずはのこぎりの使い方、かんなの使用目的や使い方がわかってないと十分に使いこなせないと思います。

●自分を「用いる」

これは経営者やリーダーの心構えとして良い教訓になると思いますが、自分自身を振り返ると、私は「のこぎり」なのか「かんな」なのか、はたまた「はさみ」なのか自覚していた方が良さそうですね。

自分自身の特性を「わかっていること」が重要だと思いますが、どうしても自分だけでは「その良さ」を知るのは難しい場合も考えられます。

だからこそ、人との関わりのなかではじめて「知りえなかった自分の良さ」を自覚する、なんてこともあると思います。

●なんなら自分を変えてしまうというのはどうでしょうか?

人は自分を映す鏡であると同時に、自分自身も「人を映している」と考えられます。
これは自分目線で考えると、「人から影響を受けている」ともいえます。

お互いが合わせ鏡のように作用しあい、それぞれの特性も「変容しうるもの」と思われます。

その影響が「より望ましいもの」であるよう、「良好な関係」を築き上げることができたら、両者にとっての幸福度も上がっていくのでしょうね。

●より望ましい影響

責められるばかりか、できないことをやれと強要されてしまったら、「のこぎり」の刃が錆びてボロボロになるように、本来の活躍ができなくなってしまうおそれがあります。

これは自分自身にもいえることで、人様に頼るのはいいとしても、責めたり無茶なお願いをしてしまったらお互いに不利益を被るどころか精神衛生上よろしくない事となります。

そうならないためにも、お互いが「活きる」ためにも、普段から感謝の気持ちを伝えたり賞賛できる所は素直に褒めていけばいいと思います。

そうして生じる「望ましい影響」が連鎖していったら「活き活き」とした人が増えていくのかなと思います。
正確には、「そうなったらいいな」というエゴイズムが私のなかにあったりします。

そんな私でも、木は切れなくても何かしらできるのかなと思う次第です。

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