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エッセイ・感想文

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自身のエッセイ(モドキ)、読書感想文・コンサート感想文などをまとめました。
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記事一覧

【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(後半)

【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(後半)

休憩を挟んで、2曲目は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調。芸術劇場の時はラヴェル「ラ・ヴァルス」が主目的だったが、この日はこの曲が目的だったと言ってもいい。特に、有名な第四楽章。しかし、有名だからというよりは、小さい頃から数えきれないほど聞かされてきたから、というのが本当のところだ。私が小学生当時、父はまだオケに入っておらず(もちろん趣味で、だが)、吹奏楽団に所属していたが、胎教からしてクラ

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【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(前半)

【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(前半)

今回は上野の東京文化会館、大ホール。N響、指揮は坂入健司郎氏。
芸術劇場とはまた全く違う座席構成・座席数。私は一階席の中央から少し後ろあたりに落ち着いた。
芸術劇場の時はだいぶ空席も見えたが、この日は満員御礼だったのではないか。しかも5階席まであり、隣のご婦人方も話していたが、席と席の、前後左右の間隔が狭い。こんな状態も手伝ってか、音響は良いと聞いていたこのホールだが、私にはあまり良好とは感じられ

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【エッセイ】感受性を殺してでも生きるべきか 

【エッセイ】感受性を殺してでも生きるべきか 

日課で新聞を取りに行く。冷たい風に当たり、私は過去に引き戻された。

抑うつなどの症状が出たのは16の時だ。原因は「記憶があふれる」。今のこの空気は1年前の何月何日、何をしている時、3年前の…4年前の…7年前の…といった具合だ。空気に限らない。音、におい、見るものなど感覚に訴えてくるものはみな対象だ。記憶は毎日積み重なってゆくから、当然、年を重ねるごと、苦しくなってくる。学校に行くにも、とにかく道

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【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(後半)         

【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(後半)         

三曲目はサン=サーンスの「ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61」。1881年の作品。

独奏ヴァイオリンが上手だったので感動した。ヴァイオリン協奏曲というと、シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47も有名だが、こちらの演奏を聴きに行った際、独奏ヴァイオリンの高音が耳をつんざくようで、しばらく独奏ヴァイオリンを聴くのが嫌になったことがあるのだ。

ドビュッシーの曲(演奏)に比べると、良い意味で

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【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(前半)

【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(前半)

先日、久しぶりに、一人でクラシック・コンサートに行ってきた。大学生の頃あたりは、かなり頻繁に様々な芸術に触れていたものだが、大学院に進んだ頃から、勉強で忙しくなり、いつの間にか遠のいてしまった。クラシック音楽だけでなく、クラシックバレエ、現代バレエ、絵画展、彫刻展、演劇など、古典・前衛問わず、場所も、色々な所に行った。
最近、またクラシック音楽を聴きに行きたくなり、詳しい友達から情報を得て、一人で

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心理学と現象学について~心理学批判その2~

心理学と現象学について~心理学批判その2~

前回は心理学と法律学の共通点について述べた。今回は『精神分析入門』のメモの中の一つ、現象学とのかかわりについて述べよう。

前回「現象学の始まりが記述的心理学であったのはうなずける」と書いたが、記述的心理学とは、フッサール初期において、あくまで直観にとどまって、そこに与えられるがままの心的諸体験という事象そのものを純粋に記述していこうとする「理論の前段階」としての「純粋記述」であった。

だが中期

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心理学と裁判の誤判について~心理学批判その1~ 

心理学と裁判の誤判について~心理学批判その1~ 

私は哲学畑であり、かつ、心理学を認めていない主義である。といっても、いつまでも食わず嫌いでいても仕方ないので、フロイト著『精神分析入門』を読んでみた。

『精神分析入門』が厳密には心理学であるといえるかは別としても、少なくとも心理学の立場からみた分析となっている。読み進めるにあたっていくつか気になった点をメモしておいた。
「蓋然性の寄せ集め」
「証明の方法?」
「現象学の始まりが記述的心理学であっ

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【エッセイ】ふるさと、そして、未来

【エッセイ】ふるさと、そして、未来

初めに、このエッセイを投稿するにあたりまして、今回の地震で、故郷へ帰省する際に被害に遭われた方、故郷にて被害に遭われた方、また、災害のために帰省を断念された方々も含め、被災された全ての方々に、心より、お見舞い申し上げます。
          まどろみ天使

 私たちは時間の流れの中で生きている。ふるさとと未来は、それぞれ時間のどこに位置するのだろうか。とりわけふるさとを場所でなく、時間に於いて捉

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【エッセイ】死、そしてロゴスについて

【エッセイ】死、そしてロゴスについて

プラトン『パイドン』におけるソクラテスの死に対する考え方は、何かを純粋に知ろうとするならば、肉体から離れて、魂そのものによって事柄そのものを見なければならない。その時とは、肉体と魂が分離する、つまり我々が死んだ時である。それ故、ソクラテスには、これまでの人生においてその為に大きな勤勉さをもって追求してきたそのものを十分に獲得するという、死んだ後の世界への希望があった。私はこの考えに準じない。

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【読書感想文】少しはマトモな坂口安吾

【読書感想文】少しはマトモな坂口安吾

アタシは坂口安吾が専門だったわけでもないのだが、どうしても『堕落論』や『白痴』などから、安吾はダメなヤツ、というイメージがあった。今回読んだ短編集でも、そのダメっぷりは十分発揮されているので、まあ、ダメなヤツなんだろう。

だがこの短編集の中で、あれ?安吾さん、ちょっとマトモな発言?っていう箇所があったので、ここに披露しておきたい。

「青春は絶望する。なぜなら大きな希望がある。少年の希望は自在で

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【エッセイ】芸術についての走り書き

【エッセイ】芸術についての走り書き

芸術受容の態度は、その目指すものが美的対象そのものであるべきであり、そのときにおいてのみ、作品の真の評価が可能となる。享受の対象が感情である場合(我々は気づかぬうちにこのような態度=ディレッタンティズムをとっている場合が多い)、芸術は享楽の刺激物として、作品は芸術以外の感情喚起ないし陶酔手段と異ならない。

私は真正なる芸術体験とはセンチメンタリズムと主知論の間にあるものであると考える。

ところ

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【エッセイ】忘れられない味~渡せなかった手紙~

【エッセイ】忘れられない味~渡せなかった手紙~

おばちゃんへ

信州屋の暖簾初めてくぐってから、もう17年になるね。蕎麦屋みたいな名前で、実は中華料理屋。信州味噌を使った味噌ラーメンが売りだったね。私は、同じく売りの餃子が特に好きだった。それはよく知ってるよね。

私が精神的に弱くてお医者さん通ってて、人づきあいが下手だから、おばちゃんは私の唯一の友達だった。根っからの江戸っ子のおばちゃんはいつもしゃきっとしてて、小柄で早口で、どんな時も笑顔で

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【エッセイ】夢の中のひと

【エッセイ】夢の中のひと

あなたが戻ってきた。

私たちは毎日会って、会うたびに何度もキスをして、会うたびに何度も抱き合った。
そうして6年間、私たちは狂ったように愛し合った。

別れは突然だった。
なぜだったのか分からない。
愛しているまま、別れた。

あなたは昔と変わらず、面白くて、とびきり優しかった。
二人で、海を見ていた。

あなたが帰らなければならない時、私が目覚めるのだと思った。これが夢だと分かっている夢を見た

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【エッセイ】死の否定と生の肯定

【エッセイ】死の否定と生の肯定

死の否定と生の肯定は、必ずしも同一ではない。
私はようやく死を否定できるに至ったが、果たして生を肯定しているかとなると甚だ疑問だ。

宅建の勉強の時から疑問を抱いていた。毎日新しい知識を身に着ける私は、同時に日々馬鹿になっていっているのではないか。退化しているのではないか。

新たなことを知る、新しいことをする、またはできるようになる、それらがいかに大きなことであっても(例えば仕事であっても、人助

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