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エッセイ・感想文

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自身のエッセイ(モドキ)、読書感想文・コンサート感想文などをまとめました。
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記事一覧

【感想文】スメタナとドヴォルザーク@ サントリーホール7.11(前半)

【感想文】スメタナとドヴォルザーク@ サントリーホール7.11(前半)

「芸術に触れよう」という私の2024目標、クラシックコンサートのライナーノーツも3回目だ。今回は2021年末の「第九」以来のサントリーホールで、プラハ放送交響楽団、指揮者はペトル・ポぺルカ。
1926年創設のプラハ放送交響楽団と、1986年生まれのプラハ出身の指揮者に加え、ヴァイオリン協奏曲のソリストは30代初めのようである。また、今回の曲目の作曲家であるスメタナ、ドヴォルザークともにチェコの人で

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【エッセイ】独白②~自殺未遂~ 

【エッセイ】独白②~自殺未遂~ 

(過去作)

一度、本気で自殺を図ったことがある。

自室のドアノブにベルトを掛け、首を吊って脱力し、全体重をかけ、自らを放置した。

動機は単純だった。その頃私には、およそ4年間にわたって死神が憑いていて、その真只中にいたからである。
死神は悪魔とは質を全く異にする。(……ここで、死神と悪魔について、その相違点を述べようと思ったが、あまりに気違いじみているので、やめた。)

自殺の勧誘は、無論死

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【エッセイ】三島由紀夫は近くて遠い 

【エッセイ】三島由紀夫は近くて遠い 

写真は、三島がよく通っていた、熱海の喫茶店ボンネット。その方面に旅行する際はできる限り立ち寄る。三島と深い交流のあったマスターはもう90歳を超えてなお接客をつとめており、彼の話などお聞かせくださる。変わらずお元気だろうか。

三島といえば、高校まで学習院で、同じ学習院の先輩であり、そこに親近感を覚える。実際、彼の作品中には、学習院についての記述も多い。そう、そうだよね、とうなずける場面もある。(最

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【エッセイ】独白①~序章に代えて~

【エッセイ】独白①~序章に代えて~

(過去作)

「何処にゆけば苦しみを愛せる」*1
本当の意味で終わりのない終末への旅立ちだった。
死のうと思い始めたのは、しかし、この一節に出会った後からだったと思う。

そして今も、死のうと思っている。

小学生の頃、随筆家になりたいと思っていた。
受験勉強でかなりの量の随筆を読んだ。しかし「これ位なら今の私にも書ける」と常に思っていた。
そのうち小説家になりたいと思った。だがどうしても書けなか

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【エッセイ】~impressとexpress~苦しみを愛せるか~

【エッセイ】~impressとexpress~苦しみを愛せるか~

4月30日投稿「感受性を殺してでも生きるべきか」の続きである。

私が10代後半から30代前半まで苦しかったのは、単純にストレスなどによる抑うつ状態だったからではない。

私は空や雲や風、音楽などの芸術作品、総じて主に美しいものに触れると、味覚を除く五感がめいいっぱい開き、それを自己の中に留めておきたくて、でもそれができずに、体中から、感覚で受け取ったものがあふれ出して、抱えきれないことによって、

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【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(後半)

【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(後半)

休憩を挟んで、2曲目は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調。芸術劇場の時はラヴェル「ラ・ヴァルス」が主目的だったが、この日はこの曲が目的だったと言ってもいい。特に、有名な第四楽章。しかし、有名だからというよりは、小さい頃から数えきれないほど聞かされてきたから、というのが本当のところだ。私が小学生当時、父はまだオケに入っておらず(もちろん趣味で、だが)、吹奏楽団に所属していたが、胎教からしてクラ

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【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(前半)

【感想文】ハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ@上野東京文化会館5.3(前半)

今回は上野の東京文化会館、大ホール。N響、指揮は坂入健司郎氏。
芸術劇場とはまた全く違う座席構成・座席数。私は一階席の中央から少し後ろあたりに落ち着いた。
芸術劇場の時はだいぶ空席も見えたが、この日は満員御礼だったのではないか。しかも5階席まであり、隣のご婦人方も話していたが、席と席の、前後左右の間隔が狭い。こんな状態も手伝ってか、音響は良いと聞いていたこのホールだが、私にはあまり良好とは感じられ

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【エッセイ】感受性を殺してでも生きるべきか 

【エッセイ】感受性を殺してでも生きるべきか 

日課で新聞を取りに行く。冷たい風に当たり、私は過去に引き戻された。

抑うつなどの症状が出たのは16の時だ。原因は「記憶があふれる」。今のこの空気は1年前の何月何日、何をしている時、3年前の…4年前の…7年前の…といった具合だ。空気に限らない。音、におい、見るものなど感覚に訴えてくるものはみな対象だ。記憶は毎日積み重なってゆくから、当然、年を重ねるごと、苦しくなってくる。学校に行くにも、とにかく道

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【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(後半)         

【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(後半)         

三曲目はサン=サーンスの「ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61」。1881年の作品。

独奏ヴァイオリンが上手だったので感動した。ヴァイオリン協奏曲というと、シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47も有名だが、こちらの演奏を聴きに行った際、独奏ヴァイオリンの高音が耳をつんざくようで、しばらく独奏ヴァイオリンを聴くのが嫌になったことがあるのだ。

ドビュッシーの曲(演奏)に比べると、良い意味で

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【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(前半)

【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(前半)

先日、久しぶりに、一人でクラシック・コンサートに行ってきた。大学生の頃あたりは、かなり頻繁に様々な芸術に触れていたものだが、大学院に進んだ頃から、勉強で忙しくなり、いつの間にか遠のいてしまった。クラシック音楽だけでなく、クラシックバレエ、現代バレエ、絵画展、彫刻展、演劇など、古典・前衛問わず、場所も、色々な所に行った。
最近、またクラシック音楽を聴きに行きたくなり、詳しい友達から情報を得て、一人で

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心理学と現象学について~心理学批判その2~

心理学と現象学について~心理学批判その2~

前回は心理学と法律学の共通点について述べた。今回は『精神分析入門』のメモの中の一つ、現象学とのかかわりについて述べよう。

前回「現象学の始まりが記述的心理学であったのはうなずける」と書いたが、記述的心理学とは、フッサール初期において、あくまで直観にとどまって、そこに与えられるがままの心的諸体験という事象そのものを純粋に記述していこうとする「理論の前段階」としての「純粋記述」であった。

だが中期

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心理学と裁判の誤判について~心理学批判その1~ 

心理学と裁判の誤判について~心理学批判その1~ 

私は哲学畑であり、かつ、心理学を認めていない主義である。といっても、いつまでも食わず嫌いでいても仕方ないので、フロイト著『精神分析入門』を読んでみた。

『精神分析入門』が厳密には心理学であるといえるかは別としても、少なくとも心理学の立場からみた分析となっている。読み進めるにあたっていくつか気になった点をメモしておいた。
「蓋然性の寄せ集め」
「証明の方法?」
「現象学の始まりが記述的心理学であっ

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【エッセイ】ふるさと、そして、未来

【エッセイ】ふるさと、そして、未来

初めに、このエッセイを投稿するにあたりまして、今回の地震で、故郷へ帰省する際に被害に遭われた方、故郷にて被害に遭われた方、また、災害のために帰省を断念された方々も含め、被災された全ての方々に、心より、お見舞い申し上げます。
          まどろみ天使

 私たちは時間の流れの中で生きている。ふるさとと未来は、それぞれ時間のどこに位置するのだろうか。とりわけふるさとを場所でなく、時間に於いて捉

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【エッセイ】死、そしてロゴスについて

【エッセイ】死、そしてロゴスについて

プラトン『パイドン』におけるソクラテスの死に対する考え方は、何かを純粋に知ろうとするならば、肉体から離れて、魂そのものによって事柄そのものを見なければならない。その時とは、肉体と魂が分離する、つまり我々が死んだ時である。それ故、ソクラテスには、これまでの人生においてその為に大きな勤勉さをもって追求してきたそのものを十分に獲得するという、死んだ後の世界への希望があった。私はこの考えに準じない。

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