実家がモノで溢れてる ゴミではない モノが溢れてる 私は使わないなら捨ててと言う 母は必要だから捨てないと言う 長いこと長いこと 同じことの繰り返し まさに座る隙…
子供が使う水筒は選び方が重要だ。 年齢や学校生活を考慮し、毎日使うものだからこそ最適なものを選びたいものである。 そして水筒に入れる麦茶もまた、大切なポイントで…
中学生の時、体育で柔道の授業があった。 私は柔軟体操を一人で、念入りに行なっていたところ、勢い余っておならが出た。 幸い友達は離れてふざけ合っており、周りには誰…
「おばちゃーーーん!」 しわがれた大きな声と共に彼は突然現れる。 我が家の外から窓越しにヌッと顔を出し、大声で私の母を呼ぶのだ。 今から20年以上前になるが、私が両…
私は本が好きだ。 「NO BOOK, NO LIFE」 と言っても過言ではない。 ところで、 世の中の本好きには2種類の人間がいる と言われている。 それは、読書の時に「音楽を聴…
私が通った中学校は給食ではなく、弁当だった。 毎朝母が作ってくれる弁当を持って行くのだが、 いつも出来上がるのは登校時間ギリギリだった。 狭い家の狭い台所で、私と…
心理学者 河合隼雄氏の著書 「心の処方箋」に綴られた言葉にこうある。 『説教の効果はその長さに反比例する』 また、ネットで検索すると 子どもを叱る際のコツとして …
ふと昔の事を思い出した。 私がまだ小学生か中学生だった頃のことを。 ※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。 但し、当記事は一見真面目に…
※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の…
小学生、いや中学生の頃だっただろうか。私は暇を持て余していた。一緒に遊ぶ友達などほぼいなかったし、勉強などするはずも無かった私は何をして過ごしていたのだろう。…
私が育った家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄の4人暮らしだった。その暮らしは今思うとありふれた日常と、少し変わった非日常が入り混じっていた。 ※ど…
私は都会でもなく、かと言ってそれほど田舎でもない、ごく普通の地方郊外で育った。私が暮らした家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄。4人での暮らしは、今…
roots_ohtani913
2024年6月15日 22:22
実家がモノで溢れてるゴミではないモノが溢れてる私は使わないなら捨ててと言う母は必要だから捨てないと言う長いこと長いこと同じことの繰り返しまさに座る隙間もない寝る場所もないだから実家に帰れない昔から溢れてたわけではない少しずつ、少しずつ増えてきた止めることはできたのか何もしなかったわけではないだけど止めることはできなかったもう無理だと限界だと私は母
2024年6月9日 21:12
子供が使う水筒は選び方が重要だ。年齢や学校生活を考慮し、毎日使うものだからこそ最適なものを選びたいものである。そして水筒に入れる麦茶もまた、大切なポイントである。麦茶と水筒。それは切っても切れない絆で結ばれているのだ。幼い頃、私は「忍者ハットリくん」の絵柄がプリントされた水筒を使用していた。それは、いかにもキャラクターグッズといった感じの水筒だったので、成長するにつれ、徐々に使う
2024年5月29日 22:27
中学生の時、体育で柔道の授業があった。私は柔軟体操を一人で、念入りに行なっていたところ、勢い余っておならが出た。幸い友達は離れてふざけ合っており、周りには誰もいなかったので、ホッと一安心だ。い、いや、いた!振り向くと同じクラスの千住(仮名)がいた。彼もまた、一人念入りに股関節を広げていた。千住(仮名)とは仲が良いわけではなく、私にとっては、むしろ少し苦手なタイプだった。(お
2024年5月26日 13:41
「おばちゃーーーん!」しわがれた大きな声と共に彼は突然現れる。我が家の外から窓越しにヌッと顔を出し、大声で私の母を呼ぶのだ。今から20年以上前になるが、私が両親と一つ上の兄と住んでいた家は、三軒横並びで連なった小さな借家だった。我が家の隣りには、一人暮らしの年齢不詳のおじさんが住んでいた。彼は私が小学生だった頃に隣に引っ越してきた。長屋のように隣接したつくりだったし、当時は隣近所の付き
2024年4月21日 08:33
私は本が好きだ。「NO BOOK, NO LIFE」と言っても過言ではない。ところで、世の中の本好きには2種類の人間がいると言われている。それは、読書の時に「音楽を聴く派」と「音楽を聴かない派」だ。クラシックやジャズを聴きながら、リラックスして読書するという「音楽を聴く派」、何も聴かずひたすら読書に耽るという「音楽を聴かない派」。「どちらも」ということもあるだ
2024年3月31日 11:04
私が通った中学校は給食ではなく、弁当だった。毎朝母が作ってくれる弁当を持って行くのだが、いつも出来上がるのは登校時間ギリギリだった。狭い家の狭い台所で、私と一つ上の兄の二人分を同時に作るため時間がかかるのだ。幸い家から学校までは、猛ダッシュすれば約6分で着く距離だったため何とか間に合っていたが、朝はいつも壮絶な状態だった。当時は冷凍食品は今ほど豊富でもなく、母もできるだけ手作り
2024年3月23日 21:41
心理学者 河合隼雄氏の著書「心の処方箋」に綴られた言葉にこうある。『説教の効果はその長さに反比例する』また、ネットで検索すると子どもを叱る際のコツとして以下のことが挙げられている。・要点を簡潔に伝えダラダラとしない・過去のことを持ち出さない説教において、その「時間」という軸はとても重要なものだ。では、これから母の説教にまつわる話をしよう。※どなたもどうかおはいりく
2024年3月17日 14:34
ふと昔の事を思い出した。私がまだ小学生か中学生だった頃のことを。※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。その年の夏は例年になく暑い夏だった。私は狭い家でよく扇風機を独占し、『強』で涼んでいた。我が家には扇風機の『強』は埃が舞うからという理
2024年3月9日 20:35
※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。今からもう20年以上前になるだろうか。大学生になった私は少々色気付いていた。ファッションに気を使ってみたり、髪型をいじってみたりしたいと思うようになった。高校時代、地味で暗い時代を過ごした私は少しでも明るい
2024年3月3日 15:31
小学生、いや中学生の頃だっただろうか。私は暇を持て余していた。一緒に遊ぶ友達などほぼいなかったし、勉強などするはずも無かった私は何をして過ごしていたのだろう。昔の記憶をたどってみると…あ、思い出した。「パッチン」してたな、一人で。「パッチン」。その呼び名は地域によって様々だろうが、「メンコ」という方が一般的だろう。昭和の駄菓子屋などで売られていた、厚紙で作られたカードで、二人以上の
2024年3月1日 22:43
私が育った家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄の4人暮らしだった。その暮らしは今思うとありふれた日常と、少し変わった非日常が入り混じっていた。※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。私が小学生の時、「ファミコン」が流行っていた。スーパー
2024年2月25日 11:05
私は都会でもなく、かと言ってそれほど田舎でもない、ごく普通の地方郊外で育った。私が暮らした家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄。4人での暮らしは、今思うとありふれた日常と少し変わった非日常が入り混じっていた。これは、私が幼少の頃から成人するまで、愛すべき家族と暮らした実家での記録の一部である。【テレビ】家のテレビが壊れた。ガチャガチャと手でダイヤルを回してチャンネルを変える昭和
2024年2月24日 17:36
私は都会でもなく、かと言ってそれほど田舎でもない、ごく普通の地方郊外で育った。私が暮らした家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄。4人での暮らしは、今思うとありふれた日常と少し変わった非日常が入り混じっていた。これは、私が幼少の頃から成人するまで、愛すべき家族と暮らした実家での記録の一部である。【お風呂】 狭く古い、その浴室は満天の星空のように点々と天井を埋め尽くしていたものがあ