その切ない嘘に後悔は無い
※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。
今からもう20年以上前になるだろうか。
大学生になった私は少々色気付いていた。
ファッションに気を使ってみたり、髪型をいじってみたりしたいと思うようになった。
高校時代、地味で暗い時代を過ごした私は少しでも明るい大学生活に憧れていた。いわゆる大学デビューである。
既に色気付いていた兄の影響を受け、髪を切る際に「美容室」を利用することにした。因みに小学生から中学生までは父のバリカン丸刈りで過ごし、高校時代はどうやって髪を切っていたかの記憶が皆無である。
そんな私にとって、「美容室」は特別で華やかな空間であったが、華やかな場所で働く華やかなスタッフの人達とのコミュニケーションが少々苦手だった私は、なかなか馴染むことができなかった。色々と悩んだ挙句、地元の古くからある「床屋」へ行ってみることにしたのである。
その床屋は私が小学生の頃からあった地域密着店だったが、利用したことはなかった。ただ、朝の通学途中に店の前を通ると、店員さん全員が整列し
『ウーッ!イーッ!アー!』
と雄叫びのような発声練習を毎日繰り返しており、子供ながらに
「ここで働くのは大変そうだなぁ」とよく思っていたものだ。
そんな床屋を初めて訪ねたのは大学二年の冬の終わりだった。私は店内の昔ながらの雰囲気に安心感を覚えた。特に流行りでもない普通の髪型を希望し、無駄な会話は一切しない。普通に切り終え、普通に洗髪を終えた私は普通であることの素晴らしさを噛みしめていた。
最後に店員さんが突然ひざまづき、王冠を渡すように深々とおしぼりを渡してくれるという、少々普通ではないサービスには面食らったが、それ以外は全く問題ない。私は満足感に浸りながら会計をするためレジまで移動したその時、それは起こった。
「君、高校生? 中学生じゃないよね」
そう店員さんが尋ねてきたのだ。
なんということだろう。確かに私は童顔であったし、身長も平均より低かったため年齢より若く見られがちだった。だから店員さんが高校生と間違うことも不思議ではなかったが、問題はその後の言葉、
「中学生じゃないよね」
である。
高校生に間違えられることはまだしも、さらに幼い「中学生」と迷われてはさすがの私も心穏やかではいられない。しかも、残念なことにその時の私は
「色気付いた大学生」
であった。
それなりにかっこつけているにも関わらず、中学生に間違えられること自体あってはならないのである。
私は瞬時に考えを巡らせた。
本当のことを言うべきなのか。
いや、店員さんはただ、中学生料金か高校生料金かを確認するためだけの一言だ。しかも、九分九厘私が「高校生」だと思っているし、僅かながら中学生であることも捨てきれないでいる。 ここで「いや、大学生なんですよ」などとバカ正直に答えれば、年齢を読み間違えた店員さんは将来に亘って自分を責め続けることになるだろう。かと言って気を使って「高校生です」などと嘘をつけば、大学生の私のプライドはズタズタである。
店員さんを傷つけないよう済ますべきか、自分のプライドを護るべきか。
身動きの取れない状況に私は追い詰められていたが、迷っている時間はない。
どうする、どうする・・・・・
その間約1秒、出口の見えない迷路をさまよい続けた私は意を決して答えた。
何事も無かったように
「高校生です」と。
嘘をついた。
その場の流れに身を任せ高校生と言ってしまった。
私は負けたのか。
確かに「高校生」で妥協してしまったことは否めないが、果たして
何が正解だったのか。
これでよかったのだ。
大学生だろうが高校生だろうが、ましてや中学生であろうがそんなことはどうでも良く、私のつまらないプライドを護ることに意味はない。
大事なのは、普通に髪が切れることだ。
店員さんは満足そうに高校生料金を受け取り私を見送ってくれた。
私はこの切ない嘘を後悔することはないだろう。
店から出て歩きだした私に、一陣の風が吹き抜けた。
春一番。
暖かい季節はすぐそこまで来ているようだった。
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