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隣りのおいちゃん

「おばちゃーーーん!」
しわがれた大きな声と共に彼は突然現れる。
我が家の外から窓越しにヌッと顔を出し、大声で私の母を呼ぶのだ。

今から20年以上前になるが、私が両親と一つ上の兄と住んでいた家は、三軒横並びで連なった小さな借家だった。
我が家の隣りには、一人暮らしの年齢不詳のおじさんが住んでいた。彼は私が小学生だった頃に隣に引っ越してきた。
長屋のように隣接したつくりだったし、当時は隣近所の付き合いもそれなりにあった時代。
私がその家を出るまでの十数年間、そのおじさんはある意味密接に過ごした忘れることのできない隣人である。

私たち家族は彼を、「隣のおいちゃん」と呼んでいた。 


隣のおいちゃんは小柄だった。
隣りのおいちゃんは歯が無かった。
隣のおいちゃんの顔はシワくちゃだった。
隣りのおいちゃんは気さくで声がデカかった。
いつも鍵をジャラジャラ鳴らして歩いていた。
職業はカメラマンらしく、よく大きなカメラを持ち歩いていたが、日中はいつも出歩いていて、いつ仕事をしているのか分からなかった。
そして隣りのおいちゃんはかなり変わっていた。

少し障がいがあったこともあり、奇声や雄叫びをあげたり、悪態をついたりするため、近隣住民と揉めることもしばしばあった。

そんな彼を私の両親は邪険に扱うことなく、いつも気さくに話をしていたし、私や兄にも、おいちゃんをバカにするような態度を取ることを決して許さなかった。
だから彼は、私の両親と揉めたことは一度もなく、よくウチの窓越しに世間話をしにふらふらとやってくるのだった。

揉めたことは無いとはいえ、小学生だった私はおいちゃんとよくケンカしていた。その頃の私は、実直でそれなりの正義感を持っていたため、おいちゃんが時々やらかす粗暴な言動が許せなかったのだ。
だが、ケンカはいつも他愛のない事であり、おいちゃんにいいようにあしらわれていた。


ただ一度だけ、私はおいちゃんと大揉めに揉めたことがある。

ある時、おいちゃんが雄叫びを上げながら炊飯ジャーを家の前の道端に投げ捨てたのを私は偶然目撃してしまった。
何があっての投棄かは全く分からないが、おいちゃんはひどく興奮しており、悪態をついて家の中に戻り、バタンとドアを閉めた。

私は彼のその一連の行為に激怒した。

炊飯ジャーを道端に捨てるだと?
こんな理不尽なことがあっていのか。

それなりの正義感なのに、その時は何故かかなりの怒りとなって溢れ出し、固く閉ざされた彼の家の扉を叩いた。

「不法投棄反対イイイ!炊飯ジャーを即刻回収せよ!」
「今すぐここを開けろ!オープン ザ ドアァァーーー!」

私は彼の家の玄関前でシュプレヒコールを繰り返しながら抗議した。

普段温厚な私が大声で叫ぶその姿は、さながら映画「ラストエンペラー」の皇帝 溥儀が紫禁城で絶叫するワンシーンのようだったと後に兄は語っている。

そしてその兄が、私の気持ちを鎮めるため、おいちゃんが「ハウステンボス」のことを空耳で「ハウス天国」と言い間違えていたと、そっと教えてくれたことで、ようやく私の興奮は収まったのである。

そんな激しいやり取りがあっても、次の日には何事も無かったように喋る仲で、後を引きずらないのが隣りのおいちゃんの流儀だった。


ところで、隣りのおいちゃんは新しいもの好きで、服や家電、おもちゃなどを次々と買ってきては「これ買った〜」と自慢してきた。

私は子供ながら、それが羨ましいことを悟られてはならないと思い、「ふ〜ん、よかったね」などと素っ気なく対応していたが、本当は欲しくてたまらなかった。

そんな私の心持ちを知ってか知らずか、彼は次々に自慢してきたが、使い飽きると稀に我が家に譲ってくれることがあった。
私は、勝手に譲って欲しいものランキングをつくった。


勝手に譲って欲しいものランキング
第一位
3Dゲーム機。


当時、3D仕様のゲームが続々と出始めており、流行に敏感な隣りのおいちゃんは、どこかよく分からない海外メーカーのゲーム機を手に入れたようで、早速私達兄弟に自慢してきた。

それは今まで見てきたテレビゲームと全く違っていた。立体感溢れるリアルな映像は一瞬にして私を虜にした。

(このゲームがしたい、羨ましい…)

私はいつも華麗にスルーしているつもりだったが、羨ましさが全面に漏れ出ていたのだろう。

ふと、おいちゃんは

「やろーかー」

と、軽いジャブを入れてきた。

不意をつかれた私は

「くれると!?」

とついつい反応してしまったが

私は知っていた。
その甘い囁きが、儚き幻想であることを。

今まで幾度となく、この「やろーかー」という言葉に期待し、破れ去ってきたことがあったからだ。

また、過去に何度も激しいケンカを繰り返してきただけに素直に欲しいとも言えず

「うーん?いや〜、なんやろうね」

などと曖昧且つ意味不明な返事をしながらも、やんわり欲しい雰囲気を醸し出すことはしておいた。

「どうせくれるわけないやろ」

とは思っていたのだが、どこか心の片隅で期待している私がいた。

その後もおいちゃんは「ゲーム機やろ〜か〜」のパンチを幾度となく放ってきたが、一向にくれる気配は無く日々は過ぎていった。
私は私で、既にこのパンチを軽く受け流す技を身につけていた。

そして2年の月日が流れ去ったある日のこと。
私が学校から帰ると、母が


「おいちゃんがゲーム機くれたよ」










キターーーーーーーーーーーーーーーーー!!




そこには、長い間待ち続けたものがあった。
長過ぎやろ、ということはさておき私のテンションは上がった。
3Dゲーム機である。
黒く光った重厚感あるそのゲーム機は、どこか特別な雰囲気を持っており、私はまじまじと眺めていた。

「あんた、おいちゃんにちゃんとお礼言ってきなさいよ!」


母の声に私は我に返った。

そうか、ちゃんとお礼を言わないといけない…
しかし、、、、


いつもしょうもないケンカばかりしていた隣のおいちゃんに、お礼を言いに行くのが照れ臭かった。

「炊飯ジャー不法投棄事件」の時、激高した私に若干引き気味だった隣のおいちゃん。

「やろーかー」と言いながらくれないことに一方的に腹を立てていた私に不思議そうな顔をしていたおいちゃん。

あのおいちゃんが大事なゲーム機を譲ってくれた・・・

行かなければいけない。

気付くと私は隣の家に全力で走っていた。

「おいちゃーーーーん!
 オープン ザ ドアーーーーーーーーー!」




今でも憶えている。
お礼を言った時の、照れくさそうな
おいちゃんの顔を。

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