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我が家にエアコンが来た日


ふと昔の事を思い出した。
私がまだ小学生か中学生だった頃のことを。


※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。
但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。



その年の夏は例年になく暑い夏だった。
私は狭い家でよく扇風機を独占し、
『強』で涼んでいた。

我が家には扇風機の『強』は埃が舞うからという理由により、最大で『中』まで、という厳格なルールがあった。
当時少し反抗期だった私は、そのルールを破り
『強』を使うという禁断の行為を強行していたものだ。

ところで我が家には「エアコン」が無かったため、夏は一つ年上の兄との扇風機の取り合いが当たり前で、負けた者はうちわで凌ぐしかなかった。夜寝た後なども暑さに悩まされることが常であった。

そのため私はエアコンに憧れを抱いていた。
いや、スイッチ一つで部屋全体が涼しくなり快適に過ごせるというその機械に、憧れを通り越し神格化していたと言っても過言ではない。



ある蒸し暑い夜、私は暑さからランニングシャツに白ブリーフというギリギリ且つ快適極まりない格好で家の外に出て涼んでいると、
飲みに行っていた父が帰ってきてこう言った。


「エアコンが来るぞ」

父は勤めていた造船会社の社長と懇意にしており、その日も社長の家で飲んだ帰りだった。

「えっ! 嘘やろ?マジで!!」

この夢のような話に、私たち兄弟はにわかに沸き立った。社長がエアコンを買い替えるので、不要になった古いタイプを譲ってくれるというのだ。

こんな上手い話しがあって良いのだろうか。
これまでの暑さ対策といえば、扇風機かうちわ、
あるいはランニングシャツにブリーフしか無かったところに中古とはいえ、エアコンという最強の仲間が加わることになるのだ。

この一大ニュースに家族全員が騒然となり、
私は社長を神のように崇めると共に、エアコンが来る日を待ち遠しく思うのだった。

数日後、私が学校から帰ると家の中が何やら
いつもと違う雰囲気である。
ついにエアコンが届たのだ。
工事のおじさんが、まさに設置の最中であった。

私は溢れる感情を胸に秘め、何事もない雰囲気で
「ああ・・・エアコン来たんやね」
などと特に興味も無さそうな感じで無表情を貫いたが、心の中では今日が記念すべきエアコン生活の始まりの日だ・・・
そう、感慨深く思いながら、そっと横目で運ばれてきたエアコンを見た。



とんでもなく旧式のエアコンだった。

木目調の茶色の外観で昭和レトロな温泉旅館や喫茶店などに置いてあるような古いタイプだ。

「めちゃめちゃ古いやつや・・・」

エアコンと聞いただけで、白く軽やかで涼しげなエアコンを勝手に想像していた私は戸惑った。

落ち着け、落ち着くんだ。
中古とは分かっていたことだろう。
しかも譲ってくれるのだ。
何を不服に感じることがある?
エアコンがあるだけで十分ではないか。

私は自分で勝手な期待を膨らませたことを恥じ、
社長と旧式のエアコンさんに心の中でそっと謝った。

かくして、エアコンは無事取り付けられ、
ついにスイッチを入れる時がきた。

祝 エアコン起動式典である。

家族はエアコンの前に整列し、
リモコンのスイッチがおずおずと押される。

そっと、しかし力強く、
涼しい風が流れはじめた。私たちは、しばらくその風を想い想いに堪能する。

「いや~、最高・・・」

これがエアコンのチカラか。
うちわのように、ただ風を起こしているのではない。確実に冷たい風がその吹き出し口から出ているのだ。


その日、涼しい空気により、
小さな家は大きな幸福感で満たされていた。
就寝後に寝苦しさで目が覚めるなどということもなく、快適な夜を過ごした私は改めて社長に感謝した。


次の日、学校から帰るなりエアコンを見ると電源が入っていない。

「エアコン付け取らんと?」

どうやら母は電気代を気にして電源を入れていないようだ。
私は、扇風機の「強」をつけるような勢いでエアコンのスイッチを押した。

「プシューーーーーーーーーー・・・・」

ん?
何の音だ・・・
電源が入らない。
何度スイッチを押しても入らないのである。

それから父も帰ってきて色々と試行錯誤したが、
さすがの父もテレビを修理した時のようにはいかなかった。
参照:壊れたテレビの行方|roots_ohtani913 (note.com)

エアコンは再び冷たい空気を吹き出すことは二度と無かった。




あの日、何か絞り出すような音を立て、エアコンは停止した。
時を経て今思い返すと、私にはこう思えてならない。

エアコンが我が家に来た時、既に瀕死の状態だったのだろう。しかし、私たちの期待に応えようと最後の力を振り絞ったに違いない。
幸福感で満たされたあの夜、エアコンはその生涯を終えたのだ。

僅か一日のことであったが、私は今でも鮮明に憶えている。最後に絞り出したあの音を。

その日からエアコンは神棚のように我が家を
そっと見守ってくれる存在となった。
そして、私はその生涯を終えたエアコンに

「お疲れ様でした。」

と労をねぎらい、またこうも思った。


「あの社長やりやがったな」

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