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母の説教とその対処法についての考察


心理学者 河合隼雄氏の著書
「心の処方箋」に綴られた言葉にこうある。

『説教の効果はその長さに反比例する』

また、ネットで検索すると
子どもを叱る際のコツとして
以下のことが挙げられている。

・要点を簡潔に伝えダラダラとしない
・過去のことを持ち出さない

説教において、その「時間」という軸は
とても重要なものだ。

では、これから母の説教にまつわる話をしよう。


※どなたもどうかおはいりください。
けっしてごえんりょはありません。
但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。



私の母は説教が長かった。
長かっただけでなく、途中から話が広がる、
終わったかと思うと
ぶり返しがくるといったもので、それは寄せては返す荒波のようであった。

私は一つ年上の兄と共に、
いつも説教を喰らっていた。
理由はささいなことだったが説教は長時間に亘り、少しでも口を挿めば倍返しは当たり前だったため、早く終わらせるには沈黙しかなかった。

しかし兄と母は、お互いの性格もあったのか、ぶつかることが多かった。
反抗期には、兄はいつも説教を延々と繰り返され、私はそれを後ろから見ながらニヤニヤしていたものだ。

そんな時に限って母の説教は突然、
対象範囲を広げる
「秘技 二人いっぺん」
を繰り出してくることがあった。

とばっちりを受けた際の私には対処の術はなく、
兄の「ざまあみろ」という顔を横目に感じながら撃沈するのだった。

そして説教の最後に決まって出される指令が

「家の近所を走る」

であった。
言ってしまえば、罰である。
その罰は言葉の通り、家の近所をひたすら走るというものだ。

最後の最後に繰り出されるその最強の指令は、
それまでの親子のやり取りを
全て吹っ飛ばすという
とてつもない奥義であり、一度発令されれば
私たち兄弟は逃れることはできなかった。

二人の兄弟は走った。懸命に走った、走った。
私は兄の背中を追った、必死に追った、追った。

そして思った。

「なんで走っとるんやろ…」
走る理由が一体何だったのか。
説教が行き詰って無理やり走らされているだけやないんか?

私は激怒した。
このような理不尽がまかり通ってはならぬと決意した。そして、その対処法を子どもながらに密かに考えたのである。


ある時、我々兄弟はいつものように説教を喰らった。そしていつものように「近所を走る」が発令されると、私はそれまで温めていた、ある方法を実行することにした。


指令発動と共に兄は走り出した。
説教には結構な勢いで反抗していたが、
「近所を走る」指令には素直なものだ。

それを見た私も同時に走り出したが
その直後、コースを変えて家の物陰に身を潜めたのである。

そう、
「家の近所を走る」に対して
「こっそり隠れる」を実行したのだ。

兄は真面目に走った。
走った、走った。
私は家の陰の狭い空間に隠れ、じっとしていた。
ただただゆっくりしていた。

それは長い説教の後に訪れた至福のひと時。
そして指令を守らないことへの不安、懸命に走る兄に対しての罪悪感が入り混じった何とも言えない不思議な時間であった。

やがて、兄が息を切らせて帰ってきた。
ゼーゼー言ってる。

私はそれに続いて、さも懸命に走ってきたように
息をゼーゼー言わせながら同時に家の中に滑り込んだ。

その瞬間、兄は凍り付いた。
全てを悟ったその目には怒りと失望、
そして憐みが宿っていたように思えた…


兄よ、殴れ。
走るフリをして物陰に隠れ、
じっと待っていたこの卑怯者を。
私は裏切ったのだ。
一緒に説教を受けたにも関わらず、あなたが走っているその時、ただ時間がたつのを座って待っていたのだ。
兄を裏切った事への後悔が
どっと押し寄せた・・・






などということは全く無く、
ただただニヤニヤしていた。
心の中で爆笑していた最低野郎だ。


あれから30年以上時を経た今でも
兄は懐かしむように当時のことを振り返る。

その昔話を楽しそうに話す兄の声に、
当時のような恨みは微塵も感じられない。

ひたすら走った兄と、隠れていた弟。
そんな兄弟の絆は固く結ばれているのだ。
と思う。

さて、私の経験に基づけば
説教について言えることはただ一つである。



『長い説教をすると卑怯者が増える。』

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