リセット世代と呼ばれて

1976年生まれ、ロスジェネの備忘録です。 いろいろな会社や仕事を経験した思い出の書。…

リセット世代と呼ばれて

1976年生まれ、ロスジェネの備忘録です。 いろいろな会社や仕事を経験した思い出の書。 IT業界を中心としたSalesとMarketingの領域が主戦場のおじちゃんです。

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記事一覧

34歳で知った、メンタル不調って。。。の話

私の不調など一般的に見れば私はだいぶ軽傷だったはず。(たぶん) 本当にダメになってしまう前にギブアップしたからだと思う。これがもう少し遅れていたら結構マズイこと…

34歳でメンタル崩壊がもたらしたオプション。

まさか休職が家族・家庭へこんなにネガティブインパクトするなんて思ってもいなかった、という話。 誰も幸せにならないってこういう事なのかもなと。 妻への負担がひどか…

34歳でメンタル崩壊に至るまで。

「鬱症状だね、会社休める?」医師の無邪気な言葉が脳裏に焼き付いてる。 これは異動して2.5ヶ月でノックアウトされ戦線離脱した話。自分の力不足とパワハラがその原因。…

鎮火せよ!33歳のハラスメント事件簿

同僚マネージャーが部下に人事に駆け込まれて大変だったお話。 Bossから連絡が「ちょっとマズいことになった。Bさん(女性)からパワハラのアラート出た」と。リーマンシ…

32歳に非情な試練、リーマンショック。

社会人10年生、駆け出しのマネージャーが3人のメンバーを辞めさせた話。 リーマンショック。大々的な報道でしたよね、でも恥ずかしながらそれがどんなインパクトがあるの…

採用地獄でみた、31歳の哀愁。

この頃、ビジネスの拡大と組織拡大が大きなミッションでした。毎日何回も採用面接を実施し、仕事の半分は採用!という日々を過ごしました。 公私ともに立ち上がりがいまい…

本社チームを任された30歳。イキる。

思い出すだけで恥ずかしい。完全にイキってたしオラってた。 偉そうというか、自信満々というか、、いやいや!それは虚勢だったのだ!とも言えるけれど、自分でも本当はど…

半年で降格した29歳。スネる。

宮崎から強制帰還した私を待っていたのは、インサイドセールスのメンバーとしてのポジション。そう、改めていうと降格であります。 いわゆるTHE MODELが提唱される前のイン…

ビジネスの洗礼。29歳で向き合った現実。

宮崎へ一人旅立った私。 ここは人もいい、陽気もいい、食べ物もうまい、お酒もうまい、自然もたくさんあるし、最高の場所だーーー。 なんてことは一切考えられない地獄の…

新婚の28歳に迫るトップセールスからの…

28歳で結婚。仕事も波に乗り、何回かトップセールスや社長賞をいただくまでに成長。そんな一瞬の栄光から荒波に飲まれていった件。 残念ながら素直に思うのは実力ではなく…

27歳、衝撃の給料とキャリアの転機

27歳最終話。 入社して4か月目の給料日、明細確認したら手取り18万円だった件。 はー!? 27歳!IT!外資!じゅうはちまん! のぉぉぃぉぉおああぁあ!初任給より安いぃ…

27歳でも大失敗、3か月でクビの危機。

はい、、いきなりクビに”なりそうに”なった話です。今では笑い話だけど。 でもその話の前に記録用に少しだけ仕事のことを。 当時PCだけではなくハードウェア導入やシス…

2003年、27歳、外資デビュー。

無職だった約4か月を乗り越え、間も無く27歳になる強運の大型新人であるこのワタクシが入社の日を迎える。 2-3年で辞めると思ってたのに、16年半もこの会社で過ごすことと…

脱・日雇い!間もなく27歳の秋。

生きるための日雇いバイトを全力で回しながらも、真面目に転職活動を開始 していた私。程なくして筋のいい話がいただけるようになってきて、当時は非常に親身だったリ〇ル…

26歳のわびさび。日雇いバイトの茶封筒

晴れて無職の身となった私ですが、エージェントに登録したり、知り合いの紹介などを頼りに仕事は探し始めていて、根拠なく何とかなるだろうとフリーダムな時を過ごしていま…

26歳の大失敗。大人の階段上ル。

SESで某大手ITベンダの子会社にて金融IT営業に転身後は、今でいうJTCのカルチャーにどっぷり浸かっていました。バブルは何年も前に弾けていたのに、その時代を彷彿とさせる…

34歳で知った、メンタル不調って。。。の話

34歳で知った、メンタル不調って。。。の話

私の不調など一般的に見れば私はだいぶ軽傷だったはず。(たぶん)
本当にダメになってしまう前にギブアップしたからだと思う。これがもう少し遅れていたら結構マズイことになっていたような気がするのです。
まぁそんな感じだったので3ヶ月で徐々に職場復帰することができました。
服薬は2年くらい続いたけどね。

- メンタル不調というけれど -

医療従事者ではないのであくまでも個人の見解にはなるけど、鬱症状は

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34歳でメンタル崩壊がもたらしたオプション。

34歳でメンタル崩壊がもたらしたオプション。

まさか休職が家族・家庭へこんなにネガティブインパクトするなんて思ってもいなかった、という話。
誰も幸せにならないってこういう事なのかもなと。

妻への負担がひどかった

この頃、ふたりの子供たちはまだ幼児。まだまだ手もかかり大人に自分時間などない。そんな中、旦那が毎日家にいるんだからただのストレスだよね。もちろん家のことはやるのだけど、思うように考えて行動したりできないこともあったので、たいして役

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34歳でメンタル崩壊に至るまで。

34歳でメンタル崩壊に至るまで。

「鬱症状だね、会社休める?」医師の無邪気な言葉が脳裏に焼き付いてる。

これは異動して2.5ヶ月でノックアウトされ戦線離脱した話。自分の力不足とパワハラがその原因。良くも悪くもここから人生が少しずつ変わり始めたのだ。

- 新しい仕事と上司とのあれこれ -

新しいチームはベテランも多くみんな自立していて、ピヨピヨを育成してきた自分にとってはだいぶ違う仕事になった。毎日の数字の進捗、メンバの行動

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鎮火せよ!33歳のハラスメント事件簿

鎮火せよ!33歳のハラスメント事件簿

同僚マネージャーが部下に人事に駆け込まれて大変だったお話。

Bossから連絡が「ちょっとマズいことになった。Bさん(女性)からパワハラのアラート出た」と。リーマンショックの傷も癒えてないのに。

当時本社チームは2チーム。私と同僚のマネージャー(以下”Mさん”)が1チームずつ管理していたのですが、小さな所帯だったので常に一緒に活動していました。その同僚のMさんはいわゆる ”空気を読めない系” の

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32歳に非情な試練、リーマンショック。

32歳に非情な試練、リーマンショック。

社会人10年生、駆け出しのマネージャーが3人のメンバーを辞めさせた話。

リーマンショック。大々的な報道でしたよね、でも恥ずかしながらそれがどんなインパクトがあるのか、ちゃんと理解していませんでした。報道から数か月遅れで凄いインパクトが来て、みるみるうちに状況が悪化していった。売れない。とにかく売れない。本当に売れないのだ。

早々に組織のスリム化が始まる。特に外資はこのあたりのフットワークがまぁ

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採用地獄でみた、31歳の哀愁。

採用地獄でみた、31歳の哀愁。

この頃、ビジネスの拡大と組織拡大が大きなミッションでした。毎日何回も採用面接を実施し、仕事の半分は採用!という日々を過ごしました。

公私ともに立ち上がりがいまいちなワタクシは、この頃からようやく”People Manager”という立場を自覚し始めていました(遅ぇ)。今もまだまだ勉強中ですが、組織の中でビジネスをリードするというだけはなく、誰かのキャリアや人生に関わる立場として毎日毎日毎日悩んで

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本社チームを任された30歳。イキる。

本社チームを任された30歳。イキる。

思い出すだけで恥ずかしい。完全にイキってたしオラってた。
偉そうというか、自信満々というか、、いやいや!それは虚勢だったのだ!とも言えるけれど、自分でも本当はどっちなのかわからん。

宮崎とは違い、関東は最強の採用マーケットなので経験者の採用が普通にできるし、そもそも人材を選べる、何より会社自体のブランドが強い(採用はここがかなり大事)つまり強いチームが作りやすい。そんな恵まれた環境だということも

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半年で降格した29歳。スネる。

半年で降格した29歳。スネる。

宮崎から強制帰還した私を待っていたのは、インサイドセールスのメンバーとしてのポジション。そう、改めていうと降格であります。
いわゆるTHE MODELが提唱される前のインサイドセールスの仕組みなので、朝から晩まで電話やメール、外勤営業を操って案件の発掘から提案、見積、受注、納期管理、請求、回収、クレームまでなんでもこなす。別にこの仕事は嫌いじゃないしむしろ好き。ただし、一度管理職になった人間がメン

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ビジネスの洗礼。29歳で向き合った現実。

ビジネスの洗礼。29歳で向き合った現実。

宮崎へ一人旅立った私。
ここは人もいい、陽気もいい、食べ物もうまい、お酒もうまい、自然もたくさんあるし、最高の場所だーーー。

なんてことは一切考えられない地獄の日々が始まった。現実は残酷だ。

現地採用のピヨピヨ社員が何十人もいる

ほぼ全員が異業種からの転職でITを知らない

のんびりした性格のメンバーが多く、何もかも遅い

上司との相性が最悪

常時10名ほどのピヨピヨメンバーを抱えるチーム

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新婚の28歳に迫るトップセールスからの…

新婚の28歳に迫るトップセールスからの…

28歳で結婚。仕事も波に乗り、何回かトップセールスや社長賞をいただくまでに成長。そんな一瞬の栄光から荒波に飲まれていった件。

残念ながら素直に思うのは実力ではなく、「運とスピード」で獲得したハリボテのトップセールスでしたね。だから未だに自信はない。「運と実力は違う」というのが持論なのだけど、、、でもまぁもうどっちでもいいかぁ。

実力主義・成果主義・キャリア志向という会社のカルチャーもあり、売れ

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27歳、衝撃の給料とキャリアの転機

27歳、衝撃の給料とキャリアの転機

27歳最終話。
入社して4か月目の給料日、明細確認したら手取り18万円だった件。

はー!?

27歳!IT!外資!じゅうはちまん!
のぉぉぃぉぉおああぁあ!初任給より安いぃぃぃぃぃ!!
オレは外資のキラキラ営業ちゃうんか!!

と言いたいところだったのですが、これはそういう仕組みだったのです。

入社3か月は目標数字の100%達成を保証してくれる。
その期間を経過するか、期間内に1回でも100%

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27歳でも大失敗、3か月でクビの危機。

27歳でも大失敗、3か月でクビの危機。

はい、、いきなりクビに”なりそうに”なった話です。今では笑い話だけど。

でもその話の前に記録用に少しだけ仕事のことを。
当時PCだけではなくハードウェア導入やシステム提案などは、国内大手のメーカーやSIerなどが主に行っていたので、インサイドセールスが電話1本で売ろうというのは結構難しい時代でした。当然お客様も不慣れなのでまぁ大変。毎日怒られてましたね。

「は?なんで営業に来ないの?電話で商売

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2003年、27歳、外資デビュー。

2003年、27歳、外資デビュー。

無職だった約4か月を乗り越え、間も無く27歳になる強運の大型新人であるこのワタクシが入社の日を迎える。
2-3年で辞めると思ってたのに、16年半もこの会社で過ごすこととなる。

仕事内容は全国の中小企業(従業員数1名~99名)にPCやサーバー、ストレージ、ネットワークなどのハードウェアを電話で提案するInside Sales。この記事を書いている時流では「え?電話?」という感じなのだけど、当時はま

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脱・日雇い!間もなく27歳の秋。

脱・日雇い!間もなく27歳の秋。

生きるための日雇いバイトを全力で回しながらも、真面目に転職活動を開始
していた私。程なくして筋のいい話がいただけるようになってきて、当時は非常に親身だったリ〇ルートエージェントの担当者さんが外資ITの案件を持ってきてくださった。

「なに。。?外資だと、、、?」

その企業は前職では競合。「そんなことできんの??」というぶっ飛んだ営業で案件をガンガン横取りされていった苦い思い出がありました。当時は

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26歳のわびさび。日雇いバイトの茶封筒

26歳のわびさび。日雇いバイトの茶封筒

晴れて無職の身となった私ですが、エージェントに登録したり、知り合いの紹介などを頼りに仕事は探し始めていて、根拠なく何とかなるだろうとフリーダムな時を過ごしていました。
(もう少し大人になった頃、心身の事情から働けなくなるロングバケーションが幾度か訪れることをこの頃は知る由もなし)

2003年当時、食いつないでいた日雇いバイトがまた渋い。
早朝に川崎駅に集合し、紺のハイエースに乗せられて工業地帯へ

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26歳の大失敗。大人の階段上ル。

26歳の大失敗。大人の階段上ル。

SESで某大手ITベンダの子会社にて金融IT営業に転身後は、今でいうJTCのカルチャーにどっぷり浸かっていました。バブルは何年も前に弾けていたのに、その時代を彷彿とさせるような夜の営業活動を部長の腰巾着として毎晩のように銀座に繰り出し、クラブ巡りからのタクシーチケットばら撒き生活。

そんな私を気に入ってくれた部長が、「SESではなく転職してこい」という話になり、「こんなチャンスねぇ!」と所属会社

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