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半年で降格した29歳。スネる。

宮崎から強制帰還した私を待っていたのは、インサイドセールスのメンバーとしてのポジション。そう、改めていうと降格であります。
いわゆるTHE MODELが提唱される前のインサイドセールスの仕組みなので、朝から晩まで電話やメール、外勤営業を操って案件の発掘から提案、見積、受注、納期管理、請求、回収、クレームまでなんでもこなす。別にこの仕事は嫌いじゃないしむしろ好き。ただし、一度管理職になった人間がメンバーの仕事をするというのは、いろいろ葛藤があるものだ。今思えばどうでもいい話なのにね。若かったのだなぁ、かわいいな、オレ。

・「プッwあいつ降格w」って思われていると思ってしまう。
・手当たっぷりもらったくせによ!って思われていると思ってしまう。
・逃げて帰ってきたんだろ?って思われていると思ってしまう。
・地獄を経験して帰ってくると、上司がクソ。

そんな不貞腐れた毎日を過ごしながら、息をするように転職活動を始めたのだが、ここで重大な問題にぶち当たる。幸か不幸か外の会社だとサラリーが全く合わないのだ。。。なにこの飼い殺し。。。給料を下げる?いやだけど我慢して働く?もうどうしたらいいものか。。。

こんなスネたガキみたいな態度が九州まで届いたのか、大先輩から連絡が。
「お前、本社で腐ってんだったら宮崎戻ってこい。転籍なしで進められないか交渉してやっから」というオファーが。
正直ここも悩んだが、やりきれなかった自分もいたので改めてチャレンジすることに。いろいろな思いもあったけど、宮崎に戻ったときみんなが歓迎してくれたのは救いだったなぁ。
「もういっちょやってみるか!」と意気込んでいた翌月、本社への帰還辞令が出る。。。「え?来たばっかなんすけど。。」

まぁいろいろな事情があったのですがビジネスのコンディションが変わってきていたのです。宮崎では人材採用の競争が激化し始めていて増員が困難になっており、採用効率の観点から本社に再びチームを作ろうという判断になったのです。

この頃の動きはこんな感じ。

11月~4月:第一期 宮崎勤務
5月~10月:本社強制帰還
11月~1月:第二期 宮崎勤務(30歳を迎える)
2月~  :本社異動辞令

自分のせいでもあるのだが、だいぶ振り回されていましたな。。
そんなこんなで本社に新たなチームを立ち上げるというステージに進みまして、ここから少々マネージャーとしての成長期に入っていくのでした。

そしてこの頃、可愛い長女ちゃんが妻のおなかの中に。
いやはや、このタイミングで本社に帰ってこられて本当によかったw
人生ってうまくできているものだぁ。知らんけど。

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