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お風呂という処方箋。
少し前に「風呂キャンセル界隈」というワードがXでトレンドになった。
わたしはお風呂が大好きだし毎日入るけれど、それでもお風呂というものは、どうしてこうもまぁめんどくさいのだろうと、毎日思う。とくに、入る前と入った後がめんどくさい。
わたしの入浴は、バスタブを洗うところから始まる。バスタブを毎回ごしごし洗うのはめんどうなので、それはたまに。いつもはバスタブクレンジングのスプレーをしゅーっとかけて
エンターキーを押す前に。
わたしはライターという仕事柄、文章を書き発信する機会が多い。投稿数も多いので、簡単にぽんぽん思いついているのだろう、と思う方もいるかもしれない。「よくそんなふうに文章を書くことができますね」と言われることも多い。
わたしの場合、Xの投稿やInstagramのストーリーなどは、投稿するまでに数十分、ときには数時間費やして悩むこともある。そして何度も書いては消してを繰り返して作り込んだ挙句、投稿しな
美しさという「価値観」と共に生きる。
「ダセェよね、そういうの」
友人のその言葉に思わずハッとして、食事の手が一瞬止まった。わたしの中の言葉にならなかったモヤモヤした感覚の正体は、それだった。
《ダサいことをしない》
それは自分の中で大切にしている価値観のひとつだったから、同意や答えを求めたわけでもない会話の中で友人が自然と「ダサい」という言葉を使ったとき、やっぱりこの人のことは信頼できるし大好きだと思って、思わず握手したくなっ
人生から小説が消えた日。
恥ずかしい告白をしようと思う。
わたしは文章を書く仕事でありながら、小説を読まない。好きな小説家も作品も言えない。とても恥ずかしいと思っている。
正しく言えば、大人になってから小説を読まなくなってしまった。
人生を遡ると、本はずっと大好きだったように思う。小学校の図書室や町の図書館から本を借りて、何かしら常に読んでいる子どもだった。
小学校高学年のときは小林深雪さんのティーンズ小説にドハマ
「自分の名前」で仕事をするということ。
去年わたしが本格的にライターとして活動を始めて以来、仕事で書いてきたものはすべて自分の名前が記載されない『無記名記事』だった。
そんなわたしにとってnoteは、自分の名前で記事を発信できる唯一の場所として機能していた。
noteの記事はわたしが書いたものとして読まれ、コメント欄やSNSを通じて読者から反応が得られる。それはやはり非常に嬉しいことだと実感した。「Miyuさんへ」と感想をいただくこ