Miyu

ライター。上京情報メディア『上京タイムズ』編集長。石川県出身、東京都在住。マイナビ×n…

Miyu

ライター。上京情報メディア『上京タイムズ』編集長。石川県出身、東京都在住。マイナビ×note投稿コンテストで《「今更」という呪いを捨てて、35歳で上京した話。》が、7,482作品の中から「入賞」を受賞。

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noteコンテスト「#あの選択をしたから」受賞のご報告。

今日は、夢がひとつ叶ったご報告をさせてください。 わたしが執筆したnote《「今更」という呪いを捨てて、35歳で上京した話。》が、株式会社マイナビ×note投稿コンテスト「#あの選択をしたから」にて7,482作品の中から「入賞」に選ばれました。 実は、わたしには「自分の書いた作品で何かしらのコンテストで受賞してみたい」という密かな夢がありました。 今回、自分が想像していたよりも遥かに早く、その夢が叶ってとても嬉しく思います。 受賞作品結果発表 記事に込めた想いこの記事

    • たとえ通知が鳴らなくても。

      誰からの通知も鳴らない日、誰にも必要とされていないような気持ちになることがある。 もし話したければメッセージを送るか電話をかけるだろうし、会いたければ会おうと言うか、何か口実をつけて誘うものでしょう?と思うけれど…… でもよくよく考えてみると、わたしが誰かを思い、必要としているとき、相手の通知を鳴らしているのかといえば、まったくそうではないことに気がつく。 むしろ大切な相手であるほど、自分勝手なタイミングで相手の時間を邪魔することは気が引けるので、気軽に連絡することがで

      • 膝丈のワンピースが教えてくれたこと。

        大好きなワンピースを捨てた。「大好きだった」ではない。今のわたしが手に取ってもときめく、大好きな服だ。 わたしはお気に入りの服を大切にするあまり、クタクタにしたくなくて、たくさん着ることができなかった。 季節は流れ、大好きな服を満を持して纏いたいくらいの「とっておき」の日など訪れないまま、年齢を重ねてその服がどうにも似合わない顔つきになってしまった。 大好きなワンピースは、今のわたしを素敵に見せるどころかなんともいえないミスマッチ感を醸し出し、わたしを一気に「なんかダサ

        • 美しき不吉。

          その日、花を買う予定はなかった。 暑い中、コーヒースタンドでコールドブリュートニックを飲んで喉を潤したわたしは、次はなんだかあたたかいラテが飲みたくなって、帰宅する道すがら二軒目のコーヒースタンドに向かっていた。 夕方になると、風が少しだけ涼しい。 その途中で、最近見つけたお気に入りの花屋の前を通る。遠目でちらっと店先を見ると、元気いっぱいの黄色の花束が、がさっとカゴに入れられてディスカウントされているようだった。 なんだかふと、妙にその花が気になった。ぽんぽんと弾け

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        noteコンテスト「#あの選択をしたから」受賞のご報告。

          ショーケースのアイスクリームみたいな人生を。

          アイスクリームが大好物なわたしが絶対に絶対に行きたかった、サーティーワンアイスクリームのよくばりフェス。好きなフレーバーを最大10個まで選べるという夢のようなキャンペーンだ。 たくさんのアイスクリームの中から、好きなものを自分の好きなだけ選べるって、なんてワクワクするのだろう。 人生ももっとよくばりでいいんじゃない?……しかし「よくばりフェス」は、どうして「よくばり」なんだろうか。 どうやらよくばりという状態は、お祭りになってしまうくらい、喜ばしいおおごとらしい。 も

          ショーケースのアイスクリームみたいな人生を。

          【宣言】フリーランス2年目、定休日を作ります(毎週金曜日)

          流れるようにいつのまにかフリーランスになってから丸2年が経ち、うまく休むことができないままでいました。しかし、いい加減この状況をどうにかしないといけないと思い、今後は【毎週金曜】を定休にさせていただき、「強制インプットの日」として、ひとりで過ごす日とすることに決めました。 別にわざわざ誰かに言う必要もないかと思ったのですが、自分の中だけのことにするとなあなあで働いてしまいそうなので、noteに書いています。 なんで定休日をつくるの?正直、書く活力が湧いてこない日が長いこと

          【宣言】フリーランス2年目、定休日を作ります(毎週金曜日)

          お風呂という処方箋。

          少し前に「風呂キャンセル界隈」というワードがXでトレンドになった。 わたしはお風呂が大好きだし毎日入るけれど、それでもお風呂というものは、どうしてこうもまぁめんどくさいのだろうと、毎日思う。とくに、入る前と入った後がめんどくさい。 わたしの入浴は、バスタブを洗うところから始まる。バスタブを毎回ごしごし洗うのはめんどうなので、それはたまに。いつもはバスタブクレンジングのスプレーをしゅーっとかけて、お風呂上がりに着る服などを準備しながらちょっぴり待つ。 そしてお風呂をためて

          お風呂という処方箋。

          エンターキーを押す前に。

          わたしはライターという仕事柄、文章を書き発信する機会が多い。投稿数も多いので、簡単にぽんぽん思いついているのだろう、と思う方もいるかもしれない。「よくそんなふうに文章を書くことができますね」と言われることも多い。 わたしの場合、Xの投稿やInstagramのストーリーなどは、投稿するまでに数十分、ときには数時間費やして悩むこともある。そして何度も書いては消してを繰り返して作り込んだ挙句、投稿しないことも実は多い。 これはnoteも同じで、未投稿の下書きを数えたら80投稿ほ

          エンターキーを押す前に。

          ずっと一緒にはいられないから。

          東京に来てから、新しい出会いが増えた。しかし誰かと親密になり距離が縮まっていくたびに、少しこわくなる自分がいる。 「この人とはいつどんな終わり方になるのだろう」と。 30代も後半になると、死を含めさまざまな形の別れを経験してきて、どのような関係でもいつかは終わりが来ることを理解する。 しかし別れというのは、どのようなタイミングで、どのような形で訪れるかわからない。 大抵の場合「今日で最後だね、さようなら」という明確な別れではなく、なんとなく疎遠になり、知らぬ間にもう一

          ずっと一緒にはいられないから。

          美しさという「価値観」と共に生きる。

          「ダセェよね、そういうの」 友人のその言葉に思わずハッとして、食事の手が一瞬止まった。わたしの中の言葉にならなかったモヤモヤした感覚の正体は、それだった。 《ダサいことをしない》 それは自分の中で大切にしている価値観のひとつだったから、同意や答えを求めたわけでもない会話の中で友人が自然と「ダサい」という言葉を使ったとき、やっぱりこの人のことは信頼できるし大好きだと思って、思わず握手したくなった。 人から見てどうかではなく、自分から見た自分がダサくないかを気にするという

          美しさという「価値観」と共に生きる。

          才能に嫉妬した夜。

          「やられた」と思った。 文章とは通常、どこまで行っても触ることができない。頭の中と感情で味わうものだ。 一方で、食事はどうだろう。これほどに五感を伴う体験は、他にないと言っても過言ではない。 ではもし、その二つが出会ってしまったならば? それを実現させてしまったイベントが、年度末の最終日である3月31日に、渋谷の某会員制Barで開催された。 ストーリーペアリングイベント『あの角を曲がれば』は、料理とお酒のペアリングではなく、なんと料理と小説をペアリングさせてしまった

          才能に嫉妬した夜。

          わたしは「感化」されたい。

          「純度100%のわたしとは何か?」について考えたことがある。 その結論は「そんなものは存在しない」であった。もしあるとするならば、あらゆるものから守られていた『胎内』かもしれない。 この世に産まれ落ちた瞬間から、わたしたちは他者の影響を受け続けている。それを回避することは不可能だ。 家族、友人、恋人、先生、同僚、本の著者、顔見知りの客、他者のさまざまな断片の集合体が「自分」である。 それくらい、一緒にいる人が自分の人格や人生をつくるのだと、このところつくづく感じている

          わたしは「感化」されたい。

          人生から小説が消えた日。

          恥ずかしい告白をしようと思う。 わたしは文章を書く仕事でありながら、小説を読まない。好きな小説家も作品も言えない。とても恥ずかしいと思っている。 正しく言えば、大人になってから小説を読まなくなってしまった。 人生を遡ると、本はずっと大好きだったように思う。小学校の図書室や町の図書館から本を借りて、何かしら常に読んでいる子どもだった。 小学校高学年のときは小林深雪さんのティーンズ小説にドハマりしてお小遣いやお年玉を注ぎ込み、ほとんどすべてと言っていいくらいの作品を持って

          人生から小説が消えた日。

          まるで文通のような。

          最近、ひとりの友だちができた。彼とは1〜2ヶ月に一度ほど、顔を合わせれば軽く挨拶をする程度の関係だったが、ひょんなことからメッセージのやり取りが始まった。 あるときから、彼はテキストではなく音声メッセージで返信をくれるようになった。わたしにとってそれは非常に新鮮な体験で、毎回あたたかい気持ちにさせてもらえる。 音声メッセージは、1分程度。もしこれを文字に起こしたなら、長い長い吹き出しになってしまうだろうし、毎度そのボリュームでテキストメッセージが来れば、大抵の人は戸惑うだ

          まるで文通のような。

          鈍色と純な空。

          東京に来て以来、なんども感動するのはその澄んだ空だ。 わたしは、空色というのをあまり知らないで育った。わたしが生まれた日本海側の街は、だいたい曇りか雨か、その中間だ。 晴天を知らないわけではない。でも真夏の空はギラついていて、青も彩度が高くて主張が強すぎる。やわらかな空色とは、まったくの別物だ。 上京して一年半が経ったが、いまだに寒さと晴れが同居する東京の空には慣れない。まるで奇跡みたいに見える。寒いときはかならず、鈍色の世界で生きてきたから。 東京で眺望がいい部屋に

          鈍色と純な空。

          「自分の名前」で仕事をするということ。

          去年わたしが本格的にライターとして活動を始めて以来、仕事で書いてきたものはすべて自分の名前が記載されない『無記名記事』だった。 そんなわたしにとってnoteは、自分の名前で記事を発信できる唯一の場所として機能していた。 noteの記事はわたしが書いたものとして読まれ、コメント欄やSNSを通じて読者から反応が得られる。それはやはり非常に嬉しいことだと実感した。「Miyuさんへ」と感想をいただくことは、無記名ライターの仕事では絶対に起きないことだ。 正直、記名記事を書けるラ

          「自分の名前」で仕事をするということ。