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膝丈のワンピースが教えてくれたこと。

大好きなワンピースを捨てた。「大好きだった」ではない。今のわたしが手に取ってもときめく、大好きな服だ。

わたしはお気に入りの服を大切にするあまり、クタクタにしたくなくて、たくさん着ることができなかった。

季節は流れ、大好きな服を満を持して纏いたいくらいの「とっておき」の日など訪れないまま、年齢を重ねてその服がどうにも似合わない顔つきになってしまった。

大好きなワンピースは、今のわたしを素敵に見せるどころかなんともいえないミスマッチ感を醸し出し、わたしを一気に「なんかダサくてイタいおばさん」化させてしまう。決して「洗練された大人の女性」には見せてくれない。

それに、この丈のワンピースを着ている女の子は、2024年の夏にはもういない。丈もシルエットも、明らかに「今っぽさ」からはズレている。

思い返すと、このワンピースを買った当時のわたしに、とっておきの日などなかった。

精一杯のおしゃれをして会いたい人はいないし、わざわざ行きたい場所もなかった。

ちょっと華やかな膝丈のワンピースは、つまらない日常を、そしてつまらない自分自身を変えたいという「自分への期待」だったのかもしれない。

でもわたしは結局その期待に応えることができず、素敵な思い出エピソードのひとつも添えてあげられないまま、ワンピースとさよならすることになった。

こんなに綺麗なままさよならするのなら、なんでもない日にも着て、クタクタになるまで着てあげればよかった。

とっておきの日に着たいのなら、とっておきの日を自分で計画すればよかった。

クローゼットに眠らせておくだけなんて、本当はちっとも大切にできていなかったのではないだろうか。

でもそれは、今だからわかることだ。

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服はたくさん持っているというのに、最近の自分にしっくりくる服がクローゼットに全然ない。このワンピースをはじめ、なんだか急に、手持ちの服がどれも似合わなくなった。

わたしは、どうなりたいのか。どのような自分なら満足で、人にどのような印象を残したいのか。

もしかしたら、今の自分自身やライフスタイルを大きく見直すべきタイミングが来ていることを、似合わなくなった服たちはわかりやすく教えてくれているのかもしれない。

今の自分のための服を、今度見に行こう。

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