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腕時計という小さな宇宙に恋をして。

わたしは現在、二本の腕時計を所有している。気が付いたときには、腕時計というものに恋をしてしまっていた。

しかしそれはなぜだろう。自分でも、わかっているようであまりよくわかっていなかったので、改めてそ理由について考えてみたいと思う。

「メカメカしいもの」がずっと好きだった

思い返すと、わたしは幼い頃から「メカメカしいもの」が大好きだった。

小学生のころは、同年代の女の子がこぞって遊んでいたシルバニアファミリーを欲しがったことはなく、弟とミニ四駆をいじることのほうが好きだった。ハイパーヨーヨーもゲームボーイも、スケルトンで中身の様子がよく見えるものに妙に惹かれた。

母親は、もともと工場でゲームの基盤などを作っていた人なのだが(全盛期にインベーダーゲームを作っていたらしい)、子どもを産んでからは内職で基盤の半田付けなどを行っていた。その様子をよく見ていたわたしは、その小さな世界に興味津々だった。

その後、中学生で初めてエレキギターを手にして、高校生になってからはバイト代でマルチエフェクターを買った。アンプに繋いで音作りをしているときの「機械をいじっている感」がとても楽しかった。多分、ギターを弾くことと同じくらい音作りが好きだった。

大人になってからは、車が好きだった。ボンネットを開けてエンジンルームを覗き込み「こりゃー自分の手には負えない代物だ!」と大興奮するのが楽しかった。今ではデジタル化している車も多いが、アナログのメーターパネルを見るのも、とても好きだ。

そんなわたしが、あるとき腕時計という小さな宇宙に出会う。

始まりは、高級腕時計への疑問と驚き

数年前、まだ時計にそれほど興味がなかったころ、時計に詳しい友人に「みゆはカラトラバとか似合うんじゃない」と言われたことがあった。

「なんじゃそら」と思ったわたしは、同じく「なんじゃそら」状態だった、パテックフィリップとかいう(当時は知らなかった)ブランドのホームページを見て驚いた。

一見、奇抜でもないシンプルなデザインのように思える時計が、なぜ500万円も600万円もするのか。電池で動く時計しか知らなかったそのときのわたしには、まったくわからなかった。

わたしの腕時計への興味は、そのときの疑問と驚きからスタートしたように思う。

腕時計は、あんなに小さくて薄いケースに、さらに小さな小さなパーツが何百個も詰まって動いている。意味がわからない。腕時計こそ、今まで出会った中で最大の「自分の手には負えない代物」だった。腕時計はわたしにとって「メカメカしいもの」の最高峰なのかもしれない。

そこから「いつかは自分らしい腕時計が欲しい」と思うようになった。

2023年、初めての「いい腕時計」を購入

2021年ごろから腕時計の購入を検討し始めたわたしであったが、世の中には数えきれないほどたくさんの種類の腕時計があり、なかなか最初の一本を決めることができなかった。

最初はロレックスの中でも比較的手を出しやすい価格であった「オイスターパーペチュアル36」の“キャンディピンク”が欲しかったのだが、何度店舗に通えど出会うことができず(会社員時代、すぐ近くに店舗があったため毎日のようにお昼休憩を利用して通っていた)、そうこうしている間に他の腕時計も幅広く検討できるくらい随分と値上がりしていまい、一旦候補からは外れてしまった。

結局そこから初めて「いい腕時計」の購入に至ったのは、悩み始めて二年ほど経ってからのこと。

購入したのは、ジャガールクルトの「レベルソ・デュエット」という腕時計だ。わたしの「欲しい」の細かな条件をもれなく満たしていたその運命の一本に一目惚れしてからは、あっという間の「スピード婚」だった。

表裏で異なる表情の文字盤を備えるこの腕時計は、「ビジネスシーンでもプライベートでも使える腕時計が欲しい」という、わたしのわがままな要求を叶えてくれる。おまけに「シェルもダイヤも欲しい!」という“お姫様かよ”という要望まで満たしてくれている、夢の一本だった。

大人しく無難にもキラキラにも変身できる時計なんて、そうそうない。デュエットの持つその二面性に強く惹かれた。

さらに、そこからほどなくして、カルティエの「サントスオクタゴン」を購入したのは内緒である。今ここに書いてしまったけれど。

これは「次は自分と同年代の時計が欲しい」と思っていたタイミングで、ちょうどよく出会ってしまったものだった。その“次”は、思いがけずあっという間にやってきてしまったが、出会ってしまったならば買うしかない。人生を変えるのはいつも、出会いとタイミングなのだ。(それらしいふうに言うな)

腕時計というものは、身につけていつも一緒にいられる。これまでの人生でも腕時計は欠かすことなく身に着けていたが、改めてなんて愛おしい存在なのだろうと思う。洋服や靴やバッグ、アクセサリーだって身に着けられるものだけど、時計は「時間」がわかるものだから、特別だ。時間とは、わたしたちの命そのものである。

「まだ時計沼にはハマっていない」と言い張っているわたしは、まだまだ腕時計に関しては知らないことだらけで、これからもっと勉強して知りたいと思っている。けれど、どれだけ学んでも決して知り尽くすことのできない「手に負えなさ」を感じるからこそ、きっとこんなに魅力的なのだろうと思う。

いまどき時間なんてスマホを見ればわかるのに、どうしてわたしは、あってもなくてもよさそうに思える腕時計をつけるのか。

それはきっと、腕の上で静かに流れてゆく針に「今を生きている実感」を求めているのかもしれない。

これ以上、腕時計を増やしてはいけない……と思いつつ、いつか「裏スケ」の腕時計を手に入れて、まるで生き物のように動くムーブメントの様子を眺めながら、しみじみとお酒を飲むことを将来の夢のひとつとしている。そんな時間を妄想しながら、今日も粛々と仕事を頑張るのである。

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