人生から小説が消えた日。
恥ずかしい告白をしようと思う。
わたしは文章を書く仕事でありながら、小説を読まない。好きな小説家も作品も言えない。とても恥ずかしいと思っている。
正しく言えば、大人になってから小説を読まなくなってしまった。
人生を遡ると、本はずっと大好きだったように思う。小学校の図書室や町の図書館から本を借りて、何かしら常に読んでいる子どもだった。
小学校高学年のときは小林深雪さんのティーンズ小説にドハマりしてお小遣いやお年玉を注ぎ込み、ほとんどすべてと言っていいくらいの作品を持っていた。
10代後半の頃は、山田詠美さんや林真理子さんの作品をよく読んでいた。
考えてみると、高校を卒業して働いて以降、わたしの人生から小説が消えていた。
そこからも本はいつもわたしのそばにあった。お金がなかったので、図書館で毎回上限冊数まで借りては読み、読書ノートをつけていた。
でも、大人になったわたしが読む本は自己啓発本やビジネス書のような実用的なものばかりになってしまい、いつの間にか小説は読まなくなっていた。
それがどうしてなのか、自分でもずっとわからなかったし、受賞作品にも話題作にも作家にも、興味がわかない自分がコンプレックスだった。
実用書には目的がある。こうなりたい、これ知りたい、だからその本を選ぶ。読めば必ず自分の血肉となり、人生がよりよくなるという期待感がある。
でも、小説を読んで「こうなりたい」は、ない。だから本を手に取る最初の興味のアンテナが働かないし、わたしはどの作品を読めばいいのかすらわからないのだと思う。
さらに、おそらくだが、わたしの中で小説は「贅沢品」なのだと思う。
18歳から不本意に始まった社会人生活の中で、最低限「人並み」になることにずっと精一杯だった自分に、実用的でないものは贅沢だった。
だからきっとわたしは、漫画も読まないし、ドラマも映画もほとんど観ないのだと思う。小説と同様に、話題作となったものすらわからないし、好きな作品も言えない。
振り返ってみると、わたしはそうした「豊かな人生の脱線」をしてこなかった。
目の前の生活以外のことを受け入れる精神的、時間的な余白がずっとなかったのだ。だから、数日かけてまわるような旅行もしたこともなければ、海外にもいまだに行ったことがない。
これを書きながらなんと視野が狭く、ロクな経験もせず生きてきたのだろうとさらに恥ずかしくなってきた。
ああ、こんなこと書かなければよかったのに、さぞかし人にもがっかりされることだろう、と今思っているが、もう1,000文字まで来てしまったのでどうしようもない。
今もまだまだ生活に余裕なんてものはないけれど、たまにはそこから脱線してみたい。むしろ脱線しないことには、わたしが目指していた「人並み」にはなれないのだろう。そんなふうに思った。
こんなわたしに偏愛を分け与えてくれる人がいれば、ぜひあなたのおすすめ作品をこっそりと教えてほしい。
物語でしか得られないものがきっとあるのに、わたしはまだそれを知らないから。