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美しさという「価値観」と共に生きる。

「ダセェよね、そういうの」

友人のその言葉に思わずハッとして、食事の手が一瞬止まった。わたしの中の言葉にならなかったモヤモヤした感覚の正体は、それだった。

《ダサいことをしない》

それは自分の中で大切にしている価値観のひとつだったから、同意や答えを求めたわけでもない会話の中で友人が自然と「ダサい」という言葉を使ったとき、やっぱりこの人のことは信頼できるし大好きだと思って、思わず握手したくなった。

人から見てどうかではなく、自分から見た自分がダサくないかを気にするということは、自己への信頼感を高めるうえで非常に大切なことだと思う。

どのように行動し、どのような言葉を使い、どのようなモノを身につけるか。意識的にも無意識的にも、わたしたちはすべて自分で選んでいる。

自分が「纏う」すべてを客観的に見たときに、自分の美しさの基準から外れた選択をしていないか。自分で自分をイケてると思えるか。

改めて気をつけなければといけないと思った。

その日の帰り道に「今、欲しいものがあって……でも迷ってるんだよね」と友人が楽しそうに話してくれた。なるほど、必ずなくてもいいものだけど、わたしから見たら絶対に買ったほうがいいものだった。

「それを見るたびに自分の心が豊かになるとか、それを使っている自分がイケてると思えるなら買ったほうがいいと思う。わたしのこの腕時計だってさ、別になくてもいいじゃん。時間なんてスマホでわかるし。でもこの時計と一緒にいるとね、わたしが嬉しいから」

とわたしは答えた。

自分の中の美しさにハマるものと共にあると、自分が嬉しいし楽しい。それはモノとの付き合いも、人との付き合いも、そして自分自身との付き合いも、みんな同じだ。

友人とバイバイを言って別れたあと「あの人と一緒にいるときの自分、すごく好きだな」と思った。

そういう美しい瞬間を、人生でたくさんもっていきたい。うまくいかないことや心が澱むことにはどうしても遭遇してしまうからこそ、人生は、努めて美しくあろうとすべきだ。

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