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ウッディ@人工呼吸器系男子
2024年6月14日 17:46
皆さんこんにちは。ウッディです。僕は幼稚園の頃に呼吸状態が悪くなり気管切開をしました。その話は時々noteでも書いてますが今回はその時の話をより深く、そしてどういう経緯があってはっきり今くらいの声が出せるようになったかをお話ししていこうと思います。今回の記事につきましては私の経験談や発声方法を見たからと言って同じ境遇の方にどれほど参考になるかはわかりません。なんの知識もない人間の我流の
2024年6月7日 17:55
皆さんどうもこんにちは。車椅子界隈の変わり者こと愛媛の佐藤健です。※おいお前挨拶だだ滑ってるぞのご指摘は受け付けませんさて、気を取り直しまして(笑)今回お話しするのは私の身体について。私の身体はびっくりするほど弱いです。軽ーく触ったつもりが月単位でも治らない痛みになる程痛めてしまうくらい弱い。今日は私のそんなよわよわな身体についてお話ししていきます。怪我と常に隣り合わせ今
2024年6月5日 20:35
皆さんどうも。ウッディです。今まで自分のことや両親の話が多かったですが今日は祖父母について書いていこうと思います。余計な一言も二言も多い祖父母ですが(笑)昔も今も優しく見守ってくれていて、何か大きな出来事には喜んでくれるそんな祖父母です。祖父母との幼少期僕が幼い頃。まだ幼稚園くらいの頃は親が共働きだったので日中はよく祖母と一緒にいました。今思えば祖母もよく僕のことを毎日見てくれ
2024年5月21日 17:44
タイトルから見ると私がとんでもないやつみたいに見えますが…まあおおよそは間違っていません。なんたって実の母に本当に言った言葉なのですから。以前にも一度母について書いた事があります。この時にも書きましたが私は母の事が嫌いで、タイトルの通り今はほぼ絶縁状態です。もう二度と母について思い出す事もnoteを書くつもりもありませんでしたが前回のnoteに本当に多くのメッセージや反応を頂いた
2024年5月12日 17:46
うちの家庭は父しかいません。今は私も一人暮らしをしているので別々で暮らしていますがずっと二人で暮らしていました。と、言うと「お母さんもしかして…」と思われるかもしれませんが生きています。多分、知らんけど。文章を見てあからさまに出ているように私は母が嫌いです。離婚する前から好きじゃなかったけど大人になってからは特に嫌いです。今まであまり書いてこなかった母との話ですが今回は覚えてる出来事
2024年4月26日 20:13
今回はうちの父の話を中心にどんなふうに育てられて私のような変わり者が爆誕したかをお話ししていきたいと思います(笑)(父が見ることがないのを願いますw)今の僕より若かった父僕は父が25歳の時の子供なので今の僕(26歳)の年にはもうすでに親になっていました。今自分がこの歳になって父は当時どんな気持ちだったのか最近ふと思う時があります。25歳で子供ができて、その子供に障害がある。しかも周
2024年4月23日 17:46
それなりの障害を抱えて生きてる僕。そしてメンタルが昔から強くはない僕。日々病んだり凹んだりして生きてきました。そんな僕は高校生の時に一度だけ。生きる事を本気で諦めようと思ってた時期があります。今日はその時のお話をしていきたいと思います。読まれてる方が気持ちがいい話でもないしなんの情報もない話にはなるけど。これも含めて僕の人生なので良かったら聞いて頂けたらと思います。病院生活以
2024年4月16日 17:58
僕は脊髄性筋萎縮症という難病。病気の進み具合で動ける範囲は変われど歩いた事もなければ運動をした事もない。輝いてる努力を見るのが苦手だった僕は昔から人と競ったり何かを努力した事がありませんでした。だから子供の頃は頑張ってる人を見るのがあまり得意ではありませんでした。もともとスポーツを見るのが好きだったけど甲子園でガムシャラに頑張る球児や24時間テレビで目標に向かう人を見ると感動はするとと
2024年4月9日 20:11
前回投稿した前編に引き続き今回は後編を書いていきたいと思いますので前編がまだの方はぜひそちらを見て頂けたらと思います。今回は前編の有料部分の続きなので後編は本編全て有料になります。ご了承ください。本編に入る前に今回自分の子供時代の事を改めて書き綴ったり思い出したりしていく中で自分はたくさんの出会いと奇跡的なタイミングの重なりで今があるのだなと感じました。嫌な事辛かった事が数え切れないほ
2024年4月5日 16:42
僕が今住んでいる場所は愛媛県。生まれ故郷も愛媛です。ですが学生の間大半の時間を香川県で過ごしました。時間で言うと約9年間。家族と離れて生活をしていました。今回は僕の子供時代の話をしたいと思います。 物心がつく前の話まず幼少期の話。親が僕の体の異変に気づいたのは一歳を過ぎた頃。ハイハイと掴まり立ちまではするものの一向に歩く気配がない為、不審に思い、病院に連れて行ったそうです。最初