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気管切開をしても声を出せた人間の話。

皆さんこんにちは。ウッディです。

僕は幼稚園の頃に呼吸状態が悪くなり気管切開をしました。その話は時々noteでも書いてますが今回はその時の話をより深く、そしてどういう経緯があってはっきり今くらいの声が出せるようになったかをお話ししていこうと思います。

今回の記事につきましては私の経験談や発声方法を見たからと言って同じ境遇の方にどれほど参考になるかはわかりません。

なんの知識もない人間の我流のやり方ですのでほとんど僕自身にしか当てはまらない内容も多々あります。

その辺をご理解の上お読み頂けたらと思います。


気管切開することになった経緯

以前のnoteでも書きましたが
私は5〜6歳ごろに気管切開をしました。

なにぶん幼い頃の記憶なものでかなりあやふやなところがありますが覚えてる範囲で書いていきます。

私は気管切開をする前に肺炎を患っており自分で痰を出す筋力もなく呼吸する力も弱い私は重症化していた記憶があります。

吸引をするにしても気管切開をする前は吸引をする場所が鼻か口からしか気道にチューブを入れる手段がないので凄く辛く痛かった思い出があります。

肺炎を患って間も無くだったと思いますが
お医者様から気管切開をした方がいいと両親に話があったようです。

その話があった時にもう一つ言われた事。

それはほぼ確実に声を失う事

この時両親はどんな気持ちで話を聞いていたのかはわかりませんがかなりショックな話である事は間違いない。

でも生きる為に必要だった。
生きる為に今後の人生の中でとても大きなものを失う覚悟が必要でした。

両親曰く幼かった僕にも手術の説明はしたようです。でもその時の年齢でわかるはずもなく…訳もわからないまま手術当日を迎えました。

どこに行くんだろうと軽く冒険気分の僕を尻目に不安そうに見ていた母親の顔を今も微かに覚えています。

手術から目が覚めるとそこはICU。
首の痛みも感じながら意識が朦朧とした中で目の前にいたのは母でした。

びっくりするほど声が出ない。
でも微かに、お母さん…と声が出ました。

この時点で既に奇跡的な状況と言われました。

まず微かに声すら出ない。そんな人が多い中ですぐに小さくても声が出た事。これが僕にとってとてもとても大きな事でした。

でも正直な話。今の僕の声からは程遠く、人に聞き取ってもらえたり会話が円滑にできる声量ではなかったです。

手術を終えて時間が経ち身体が回復してもこの問題は変わりませんでした。

今の僕を知ってくださってる方はわかると思うのですが。子供の頃からこの子は口から生まれた子と言われるくらい今も昔も喋る事が大好きな人間です。

そんな子供が会話の大半に「え?もう一回言って」と言われて。毎日毎日、ほとんどの会話がなかなか通じない。とんでもなくストレスでした。

日に日にイライラも募り、なんで自分はこんなに伝えたいのに聞き取ってくれないんだと絶望し親にも当たるようになりました。

キレる、物は投げる。
僕がその当時遊んでいたおもちゃは傷だらけ、クレヨン等の筆記用具は全てバキバキに折れていた。そんな日々でした。

あまりにイライラして収まらないから精神を落ち着かせる薬を試してみるかと大人達が話していて僕にも話がありました。

それにもまた絶望感しかない訳です。なんで薬で落ち着けようとするんだと。なんでみんなわかろうとしてくれないんだと。

この時は今思い出しても結構生きるのが辛かった時期だったのは覚えています。

それと同時に子供ながらに思っていた事はこのままではきっと良くない。もっとみんなと話せるようにならないといけないと思っていました。

そこで心の中で決めましょう。
どうやったらもっと声が出るか、試そうと。

声を出すための試行錯誤

さてここからが一番の本題。
どうやって声を出しているか、その方法について。

僕が気管切開をした時。
今からちょうど20年前。
今ほど情報が溢れてるわけでもなくネットも普及してない。

僕は自分で探していくしかありませんでした。

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