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「いつ歩けるんだ」その言葉が消えた祖父と孫

皆さんどうも。ウッディです。

今まで自分のことや両親の話が多かったですが今日は祖父母について書いていこうと思います。

余計な一言も二言も多い祖父母ですが(笑)
昔も今も優しく見守ってくれていて、何か大きな出来事には喜んでくれるそんな祖父母です。

祖父母との幼少期

僕が幼い頃。
まだ幼稚園くらいの頃は親が共働きだったので日中はよく祖母と一緒にいました。

今思えば祖母もよく僕のことを毎日見てくれてたなと思います。
遊びたい盛りでうるさい中であれ買えこれ飲みたいこれ食べたいを優しく聞いてくれてた記憶があります。

そう、いわゆる私は「じいちゃんばあちゃん子」子供の頃の好きな番組は水戸黄門でした。

祖父もバリバリ働いていた時だったけどお昼はよく一緒に食べていました。そんな中よく言われる会話がありました。

それは「お前はいつになったら歩けるんだ」と…

今考えると病気のことを聞いてないはずはないと思うのです。

孫に障害があることを認めたくなかったのか
はたまた期待を込めて言い続けていたのか
その時の祖父の気持ちはわかりません

周りにも重度の身体障害の人がほぼおらず田舎も田舎な場所なので大した情報もない。

そんな環境もありながら自分の孫が重い障害を持っている。祖父の中でもかなり戸惑いがあったのだろうとは思います。

両親も祖父母も共通していることが一つあって

それは障害があるせいで人と違う面を腫れ物として扱わなかったこと。

歩けないことや様々な出来ないことを否定するわけでもなければ触れないわけでもない。

現実として出来ないことはちゃんと目を逸らさず理解して出来ることをやるのは当たり前。

そんなスタンスでした。

話は戻りますが、祖父がいつも言っていた会話にその意図は多分ありませんがそんな育ち方をしたおかげで嫌な気持ちをすることなく返していた気がします。

僕が生きる中でこの感覚をこの時持てたのは今もとても大切なものだと思っています。

孫の見た目が変わった日

そんな幼少期を過ごしている中である転機があります。

それは気管切開をしたこと。

以前のnoteでもお話ししましたが私は幼稚園の頃に肺炎になり呼吸状態が悪くなったこともあって気管切開をしました。

気管切開とは喉に穴を開けて気道の確保をして呼吸器をつけたり痰の吸引をしやすくします。

ここからは私の20年近く前の微かな記憶を辿るのでもしかしたら間違ってる部分があるかも知れませんが大元の流れは間違ってないと思うので書いていきます。

気管切開の手術をした時のこと。
手術を終えて確か数日経った時だったと思います。両親はずっと病院にいたと思いますが祖父母もICUに面会に来ました。

何を話したかは覚えていません。
私もほとんど声が出なかったので話はきっとあまり出来なかったと思います。

気管切開をして直後、痰も多く出るので看護師さんに吸引をしてもらいます。

術後なんでまあ痛い。咳き込み方も出し方もわからないから苦しいしずっと咳き込む。
そんな状態で吸引をします。

するとその途中祖父がICU室から出ていきました。きっと苦しんでる孫の姿が見るに耐えられなかったのだと思います。

その時のなんとも言えない表情で一人、部屋から出ていく祖父の顔と姿は今でも鮮明に覚えています。

そこから色んな事がありましたが声も出るようになり、体調も良くなっていつも通り過ごせるようになりました。

一つだけ変わった事。

それは祖父が時々言っていた「いつ歩けるようになるんだ」を言わなくなったこと。

ここからは僕の憶測です。
実際は分かりません。

今の僕を見てもわかる通り気管に穴を開けて管が入っているので見た目が人とは違います。

祖父の中で孫が障害者だと改めて実感した一番の出来事だったのではないかなと思います。

この時を境に一切言わなくなりました。

学生入院期の祖父母

これも良く話してることですが
私は小学校三年生の終わりから親元を離れて病院に入院していました。

入院してから一年から二年くらいはなかなか実家に外泊で帰る事も難しかったので祖父母とも数年全くではなかったと思うけどほとんど会えていませんでした。

そんなある日。6年生になった時のこと。
祖父母が病院の近くまで来たからとのことで面会に来てくれました。

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